43


皇帝は、ジェイドと向き合い気味になって

ベンチの背もたれに 左の肘を掛けた。

青蛇バリアンと女の人は、“え?” って顔。

まぁ、ジェイドは認識されねーんだけどさぁ。


「ファウスト。見ろ、哀れな女が居る」


なんか始まったんだぜ。

皇帝は、ゲーテの “ファウスト” の 悪魔

メフィスト・フェーレスになってるらしい。


四郎は... って 気になって見ると

いつの間にか アコが買って来た カチャン... 塩味とか チリ味とか、いろんな味が付けられた豆の袋持ってて、瓶ビール飲んでるボティスが

「さて、南半球で見える星は... 」って

豆 食いながら、星を見るよう促されてる。


「女は、愛された事が無いが

騙され抜かれる事も無い。

一番に愛する者が 自己である為、

欲するものには 手は伸ばさず、

選ばれなければ “何故” だと不満を抱く」


バリアンの腕の中で、女の人の表情が 少し硬くなった。


「しかし、それが不幸とは 限らんのだ。

それなりに気に入られ、互いの妥協の上に

社会的な婚姻を結び、それなりの人生を歩む。

大した不満も無く、大した喜びも無い」


皇帝は 顔を動かして、バリアンの方に

碧い眼を向けた。


急激に湧いた バリアンの思念が届く。

“畏れ” だ。

自分が見ているものに 理解が及ばない... というように 眼を見開いて、腕の中の女の人のことも

今、どこで何をしているのかも 忘れてる。


「だが、不自然なものが加われば どうだ?」


ジェイドに顔を向けた皇帝は、空いた右手を上げ

ジェイドの頬に触れる。


バリアンと女の人の視線が、皇帝の右手へ移動し

みるみる 驚愕に支配されていく。

二人に、ジェイドが見え出したからだ。


「女は、これまでに知らなかった夢を見る。

求める男に 求め続けられる、途方も無く甘美なる夢だ」


「虚構だ」


ジェイドが乗った。見ている 二人からすると

居ないはずの人間... 幻像が口をきく。


「そうだ。

例え 真実の愛があったとして、それに実体が?

まやかしと どう違う?

幻想を求め、幻想を手に入れる」


静かな 眠気を誘う声。

ジェイドの髪に 指を入れて引き寄せ

くちづけると

「そしていつか 鏡の中に、年老いた自分を見る」と、女の人に 眼を向けた。


ベンチから皇帝が消え

残されたジェイドも、また 認識されなくなる。


目眩めくらましして戻った皇帝に、ジェイドが

「なんか ひどいじゃないか、メフィスト。

偽りで構わないのか?」って

もう よく分からねー 突っかかり方して

「いいや」って ゴキゲンに イチャつき出すし、

オレらは「豆 食いに行こうぜ」ってなってたけど

女の人が、バリアンに「離して」って 言った。

いや 実際は “Let me go” だけど。


で、まだ 無人に見える ベンチを見てたバリアンが

女の人に向き直ったけど

女の人は 何を言われても「No」つってる。


「えっ、これ... 」

「術、解いたんすか?」


皇帝は、ふふ って顔したまま

「話しをしただけだ」って 答えて立つと

ジェイドも立たせて 腰に腕を回した。


「解いたんじゃあなくて、解けちまったんだよ」


泰河に 新しい豆の袋渡して、開けさせながら

ボティスが「“皇帝ルシファー” だぞ」って 言う。


「バリアンが 皇帝ルシファーを畏れ、女は 皇帝ルシファーに堕ちた」


「ヒイイ!」

「あの 一瞬で?!」


朋樹が 眼ぇ見開くし

泰河は「カフッ」って 豆 吹いた。

「ルカ! ヒイとか言うなよ!」って

オレに怒ってるけど、ヒイだろ?!


「バリアンも女も、皇帝ルシファーの眼を見ただろ?

女は、皇帝の幻影を追って生きる。

しかし 悪いことばかりじゃあない。

恐ろしい程、女としての 魅力が増す」


バリアンが、目が覚めたように

本気で 女の人を引き止め出したけど

女の人は「No」って、スタスタ去って行く。

その後ろ姿を、途方に暮れた眼で見てるし。


「だが、どんな男に愛されようと

決して満ち足りる事は無い。

どの男も、皇帝ルシファーじゃあないからだ」


おおお...


「今、みんなに見えてない シロウに

ずっと話してる 俺がホラー」って 肩 竦めてる

アコ見て、ちょっと落ち着いたけど

術とか無しで、一生 魅了するって何だよ?


「シェムハザと違う... 」

「おう、芯がな」


震えながら、ガーリック味の豆 食ってたら

「お前は どうなんだ、ボティス。

地界に戻れんというのに、俺に くちづけず

ミカエルとばかりいる」って

すぐ近くで 声するし。


「おっ... 」「すんません!」って

豆 差し出して、一粒 食ってもらってたら、

ボティスは「疾うの昔から イカれてるだろ?」って、大人しく 豆 食ってる 四郎の肩 抱いて

“コドモの前” って 思い出させてる。


ちょっと自粛した雰囲気の皇帝を

「戻って ハナフダだ。俺は強いが... 」とか

上手いこと 挑発して、ようやくヴィラに戻った。




********




花びらが浮いた テラスのプールには

仰向けのミカエルも 浮いてた。

プールの上には、エデンのゲート


「ミカエル」「戻ってたんだ」


水面に翼を広げて浮いてる ミカエルは

アンニュイなツラしてて

「30分も前にな」って 拗ねてるけど

「おお、翼と花の美しき事です。

まさに 天使あんじょで御座います」って 四郎に感動されて、多少 機嫌直る。


カウンターの上にあったパンの籠 見つけたアコが

第二天ラキアの?」って 聞くと

「そうだぜ。でも 食って来たんだろ?」って

起き上がって、プールの中に立った。


まだ 天衣だったミカエルは、真珠色の翼が

ほんのりと輝いていて、水面にも それが映る。


「ミカエル... 」


予想通りだしぃ。


まだ居るのかよ って 眼ぇ向けるミカエルに

皇帝は「濡れたまま 来い」って

訳 分からねー 要求してるけど

「白いパン、あるぜ?」って 普通に答えられてる。最近、ミカエル やるよなー。

白い淡泊なパンは、皇帝のお気に入りらしい。


けど、ソファーの皇帝の隣で

ボティスが “マズイな” って 顔して

何か察したアコは

「珈琲 買ってくる。シロウ、付き合ってくれ」って、四郎を連れて行く。

あんまり さらっと避けても、それはそれで

挑発になるっぽいんだぜ。


まだ 豆 食ってる泰河と、カウンターでビール開けてたら、ジェイドが パンの籠を取りに来た。


「お前、何なんだよ?」


プールの中に移動してた皇帝は

「どう 耐えろと?」って

両手で ミカエルの頬 挟んでるし。


「見てくれ。パンを取るスキに だ」


肩 竦める ジェイドは、そのまま カウンターの

椅子に座って

「アルコールじゃないやつ ある?」って

アップルパイ食って 見学し出した。


こいつさぁ、神父として

ひとには 愛とか語ることあるけど

たまに、大丈夫なのかよ って思う。

いや、皇帝とかに妬かれても

そりゃ 困るんだけどさぁ。


けど、瓶のグァバジュース渡す 泰河が

「妬いたりとか ねぇの?」って

間違えて 聞いてみちまったら

「どうして? 僕は、ルシファーに

“傍にいる” って 言っただろう?」って

キョトンとしてる。


「ルシファーが 望む形でいるじゃないか。

何があろうと、揺るがず居る。

でも、ルシファーに溺れてはならない。

僕は 神父だからね。

節度のある “親愛” でなければならない。

ルシファーは、僕を通して

聖父に対する 人間の敬愛も 信じたいし、

誘惑も し続けたいんだ。

こんなことで いちいち妬いてられないだろう?

堕ちないでいるのも 大変なのに」


「おおっ」「深ぇ... 」


違う次元だったんだぜ。そーいえば ミカエルも

神父のジェイドが、ああやって 皇帝と居ても

特に 戒めたりとか ねーもんなぁ。


「いい加減にしろよ!」


当のミカエルは、つい 皇帝に

煙 出させてるけどさぁ。


「焼いたな... 」


「あっ。皇帝、噎せてる」って

泰河が心配して、ビールの瓶 置くけど

喀血してる皇帝は、すげー 嬉しそう。


「やり過ぎだ、ミカエル。

まだ シェムハザが戻っておらん。

ジェイド、朋樹」


ボティス、皇帝が 血みどろになってから

止めるんだよなぁ。


「だって こいつ、いつも これだぜ?

普通に話せる時が あるのかよ?」


ミカエルは、ジェイドと朋樹が 服のまま

プールん中へ 皇帝に肩 貸しに行くのを見ながら

「お前 今日、アバドンに殺られかけただろ?

考えろよ」って 呆れて、軽く羽ばたいた。


テラスに立つ ミカエルを見て

「お前は 水が似合う」って

サッパリ 話しになってねーけど。


「いいから 上がれよ。

地上の入れ替わりの対処と、アバドンの対策

練らないとだろ?

話したら 帰れよ。地界 け過ぎ」


「だが俺は、ハナフダの約束がある」


ジェイドに タオルで血を拭われて

朋樹の肩に手を掛けながら、プールの階段昇る

皇帝が言うと、ミカエルは

“もー いい” ってツラで 部屋に上って来て

「何か着換え」って オレに言う。


アコが買って来てくれた 服の紙袋 漁ってる間に

ボティスが ミカエルの翼を目眩めくらまししながら

「まだだ」って 小声で言った。

地界に返せねー ってことかぁ。

ハティもシェムハザも 戻ってねーもんなぁ。


オリーブグレーのシャツと 黒のクロップドパンツを渡すと、ミカエルは 術で着換えた。

天衣を浮かせて、エデンの門に通すと

「糖蜜!」って言って、泰河に パンの籠を持ってこさせてる。


テラスから上って来た皇帝は、フリルタイに血は付いてんのに、全く濡れてねーし。

ジェイドと朋樹には タオル渡して、後は知らねー。


ボティス挟んで、二人が座ったけど

まだ狙われてる雰囲気を 察したミカエルは

糖蜜パイ食ってから、ベッドに移動した。


もちろん、皇帝の眼も動いてんのに

「ルカ、来いよ」って 言いやがってさぁ!

自分の身は護りながら 挑発かよ!


「んん? なんでだよ... 」って かわそうとしてたら

皇帝の眼だけでなく、ボティスのゴーストの眼まで オレに向くし。


すごすご 歩いてったら、ベッドに横になってる

ミカエルが、自分の隣を指差した。

バリ島でさぁ...


「聖ルカ」


問うように 呼ばれちまってるじゃねーか。

皇帝の恋敵ライバルになる気はねーし

「いや、仲良しっす! タダの!」って

もう、“なー、そーだよなー” って 感じで

ミカエルの隣に転んで、片肘着いて 頭載せてたら

「俺より ミカエルが?」って 聞かれるし。

そう くるのかよ...


皇帝の隣に 座りづらかった泰河が

「花札は、ベッドの方が やりやすいっすよ」って

隣のベッド指すし。


「タイガ、座れ」


「ええーっ!!」


皇帝に、自分の隣 されて驚愕してやがる。

「... う れしいっす」って 誤魔化して

強張った笑顔で、そっと座ってるけど。


「お前は 最近、色気が出て来た。

女に よるものか、様々な経験によるものか... 」


「いや... そんなことは... 」


ボティスの肩 抱いて、真隣から見つめる皇帝に

声 震わしながら、白いパン渡してみて

ニコってされてる。泰河も つられる。

あの笑い方する時だけ、屈託なく見えるんだよなぁ。ミカエルも あーいう笑い方するけど。

何かと あぶねーし。


『... ルカくん』


ふわっ と、身体の中身が浮き立つ。

エデンのゲートに、リラが立った。

ショートボブの毛先。黒眼がちの丸い眼。


リラだ


「行って来いよ」


ミカエルに言われて、ベッドに転んでたのを 思い出して、ふわふわしたまま テラスまで歩く。


「リラ」


花びらの プールの下から

薄く白い エデンの階段を見上げる。

リラの背後には、ザドキエルが居て

リラを 見守ってくれてるのが分かった。


階段、昇れねーんだよな...

リラも ゲートからは出られねーし

でも、会えた。

『うれしい』って、天衣のリラが笑って

胸の 骨の欠片が軋る。


「ふん... 」


部屋から 皇帝が、眠気を誘う声で

何かの呪文を言うと

エデンの階段が プールの水に沈んで行く。


「ルシフェル、エデンを地上に降ろすのは... 」


ゲートを 水中に降ろしただけだ。

地には着いていない」


プールの中に降りて、アーチのゲートの中

腰までを 水に浸けたリラに、手を伸ばすと

リラは オレの手に、細い指の手を重ねた。








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