御大切 4


私が 大矢野へ参りましたのは、人々に

御大切 という教えを広める為で御座いました。


『... “心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる あなたの神を愛せよ”...

... “自分を愛するように

あなたの隣り人を愛せよ”... 』


今こそ、天主様の愛に立ち返るべきなのです。

生命いのちを生きるのです。

互いに認め合える世となりましたら

どんなに良いでしょう?


『... “あなたがたは どう思うか。

ある人に百匹の羊があり、その中の 一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、

その迷い出ている羊を 捜しに出かけないであろうか”... 』


誰ひとり、飢え死ぬことも

責め苦に合う事も無いのです。


『... “もし それを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、

むしろ その 一匹のために喜ぶであろう”... 』


一羽の白い鳩が、私の腕に とまりました。

鳩は、私が差し出した手に 卵を産み

卵からは、御言葉おらしょが書かれた巻物が出たのです。

幼い童が、飛び立つ鳩を追います。

飢えておっても、その顔には しあわせが御座いました。


『... “そのように、これらの小さい者の ひとりが

滅びることは、天にいます あなたがたの父の みこころではない”... 』


人々は、涙しました。

心は生き返るのです。幾度でも、幾度でも。



父上が、宇土から

私が居る 大矢野へ参りました。

大矢野には 父上と同じ、小西様の遺臣が居るのです。

皆 百姓であり、切支丹で御座います。


父上等は、人々に

切支丹に立ち返るよう 説得致しました。

蜂起の為の じゅわん廻状 と申します回覧も

回されておったようです。


『... “悔い改めよ、天国は近づいた”... 』

『... “荒野で 呼ばわる者の声がする、

「主の道を備えよ、

その道筋をまっすぐにせよ」”... 』


私は、盲人の瞼に触れ、足萎えの足に触れました。清くなれ と。

すると、盲人の瞼は開き、足萎えが癒えたのです。


『四郎こそは、救主である』

『奇跡を見よ』


この頃、密かに

大矢野と島原の間にあります 湯島にて

天草は小西様、島原は有馬 晴信様の遺臣らによる談合が持たれ、鉄砲や弾薬が集められておりました。


『... “あなたがたは 自分のために、虫が食い、

さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝を たくわえてはならない。

むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない

天に、宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には、心もあるからである”... 』


人は 信じたいのです。

諦めたくなど無いのです。


『... “目は からだの あかりである。

だから、あなたの目が澄んでおれば、

全身も明るいだろう。

しかし、あなたの目が悪ければ、

全身も暗いだろう。

だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、

その暗さは、どんなであろう。

だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。

一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで 他方をうとんじるからである。

あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

それだから、あなたがたに言っておく。

何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで 思いわずらい、

何を着ようかと 自分のからだのことで

思いわずらうな。

命は食物に まさり、からだは着物に まさるではないか”... 』


ママコスという名の神父が、予言を残されておったそうです。

この時分から、時を遡り 26年前。


“26年の後に天地異変がおこり、人は滅亡に瀕する。東の空も西の空も雲が焼け、時知らずの花が開く。

だが、16才の天童あらわれ、人々の頭に十字架くるすを立てるであろう”


私は、天草、島原の切支丹同盟に於きまして

盟主... 同盟の中心となる者として

“天草 四郎時貞” と、名を頂きました。

洗礼名は、“ふらんしすこ” で 御座います。

 

責め苦の折、腹に子のおる女子を 水牢に処し

冷たい水のショックにより 生まれいでた子 諸共

死んでしまったと聞きます。


切支丹に立ち返った者等が、長崎は島原にて

代官を殺害致しました。

翌日より、島原で 一揆が始まりました。


『... “まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちは のがれられると、だれが教えたのか。

だから、悔改めに ふさわしい実を結べ”... 』


天草でも 一揆を開始致しました。

神社仏閣を破壊し、火を点け

“切支丹に立ち返らなければ 殺す” と

脅す者もありました。

立ち返らず死ぬか 責め苦で死ぬか


『... “すべて重荷を負うて 苦労している者は、

わたしのもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で 心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、

わたしの荷は軽いからである”... 』


暑い夏が過ぎ、秋でありますのに

桜が 満開となりました。

空は赤く燃えております。


母上と姉、妹が、

細川藩の人質になったと聞きました。


『時貞』


父上に、名を呼ばれましたのは

この時が 最後で御座います。


『... ふらんしすこ様。御決断を』


私共は、天草は島子村にて

天草藩... 富岡藩の者等との 激戦の上

これに勝利致しました。

続きまして、本渡にて、富岡城代である 三宅籐兵衛 率いる本隊にも勝利し、三宅様は切腹されました。

進軍する橋の上、川の水までも 血に染めました。

生命いのちは 血の中にある


富岡城を落とすべく 進軍致しましたが

これは落ちず、細川藩の軍が来る との報を受け

船で 長崎は 島原に渡り、島原勢と合流致しました。その数、女 子供も合わせ、三万七千。


原城を修繕し、これに籠城 致しました。


有明海を望む 半島の南部にあり

高い丘の上に建つ城は、北、東、南の 三方が

海に囲まれた 自然の要塞で御座います。

そうして 攻め所となる西は、沼地で御座いました。

本丸の他、二の丸、三の丸、櫓、天草丸、出口丸。長屋造りの小屋などが、くるわに御座いました。


この時、原城は 使われておりませんでした。

切支丹大名でありました 有馬様が築かれた城で御座いましたが、次に藩主となられた 松倉 重政しげまさ様は、新たに島原城を築かれたのです。

時の藩主は重政様の嫡男である 勝家かついえ様で

蓑踊りなどは、勝家様の代から始まったものでありました。


籠城戦で御座いますので、私共は “後詰め” も

考えまして、南蛮のカトリック教会へ

海からの援軍を頼めませぬか... という 文を出しておりました。


後詰め と申しますのは

敵方を 挟み討ちにするものです。

私たちが居ります 原城が、敵方に包囲された際

海より 南蛮の船が参りますと

城の私共と 南蛮の船とで挟んで 攻撃する... と

いった具合です。


この度の 一揆、切支丹大名で あられました

小西様と 有馬様の遺臣が 決起したもので御座います。有馬様の遺臣の中には、南蛮絵師である

山田 右衛門作えもさく殿の姿もありました。


『ふらんしすこ様。

旗を 上げましょう。我々の』


右衛門作... りの殿が描かれたのは

天人ゼズ様の血肉を現す ホスチアと聖杯カリスでした。

赤い衣、青い衣の 二人の天使あんじょが 合掌し

聖体を崇めております。


ホスチアに描かれた十字架には

ゼズ様を表す “ INRI ” の文字。

旗の上部には

“いとも尊き聖体の秘蹟 ほめ尊まれ給え”。


聖体の秘跡により、ゼズ様は 私共の内に

生きられるのです。光をもたらされる。

ゼズ様は、天主でうす様の ひとり子にあられます。

... “『わたしの 心にかなうもの』”...


天主でうす様の御子みこが宿られ、天主でうす様の子となります。

御大切。愛そのもの なのです。


どうか、ほめ尊ばれよ。

愛の冷たき世にこそ。


それが 何故、ならぬのでしょう?


私共は、原城本丸に 旗を掲げました。


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