御大切 3


九龍球を食しました後、高島と真田が 部活に向かいますと、私と涼二は 学校を出て、河川敷に参りました。


河川敷の道路近くには、無料の駐輪場が御座いますので、そこに自転車を停め、鍵を掛けます。

最初は 物盗りなどを警戒し、鞄を置いておくことには、抵抗があったのですが

男児学生の鞄など、どなたも興味は無い様です。

また、豊かな世の中になったという事でも御座いましょう。


っついなー... 」


ペットボトルのスポーツドリンクといった物を持ち、河川敷の芝生に降りました私共は

散歩がてらに 菫青きんせい河の畔を歩き、今は青葉を繁らせる桜の木の木陰に座りました。


河を見ると、幼き頃を過ごした

熊本は 宇土の、船場川を思い出します。


意味も知らぬ時分から、“天童” などと呼ばれておった私も、幼き頃は 野山を駆け回ったものです。

実家近くには、船場川が流れておりますので

外へ出た折には、必ず眼にする風景に川があり、

水の流れを眺めたりも致しました。


「三者面談かぁ... 一年も、もうすぐあるぜ。

四郎は、誰が来るの? 榊さん... じゃないよね?」


「朋樹に話しましたところ、朋樹の御母上に

いらして頂けるそうです」


朋樹の御実家にも、御挨拶に参りました。


『高校生 引き取ったから、保護者が必要なとこだけ 頼まれてくれよ』


朋樹は、電話でいきなり、その様に申したのです。御相手が、御父上であるか 御母上であるかも分からぬ次第。


『とりあえず、“帰って来てみろ” だってよ』


そうして、兄様方だけで無く

榊やボティスまで 伴って、御実家に参りまして

『天草 四郎時貞、蘇りで御座います』と

頭を下げましたところ、

御父上や御母上は、手や声を震わされました。

さぞ 恐ろしいのでしょう。蘇りですので。


『大罪人であり、宗門も異なる 切支丹で御座います故、御無理は... 』と、場を去ろうと致しますと

御父上に、がしりと手を握られたのです。

眼は 赤く、充血しておられました。

思わず『おおっ』と、失礼な声を上げてしまうという始末。


『どうぞ、お上がりになって下さい!』

『朋っ、先に教えといてちょうだい!』


『言っても信じねぇだろ?』などと

朋樹が言うても、聞いておられぬ次第。


その後は『うちにいらしたら いかがかしら?』

『朋の部屋が空いておりますので... 』と

大変に引き止められまして、御二人の温かさと、

御実家は 神道であり、御父上が神主で あられる事を思いますと、互いに認め合える 新しき世になった事を 再度 実感し、胸が震えました。


『現世の父や母と思ってください。

どうか、甘えられ、頼られてください』

『愚息ばかりですので、嬉しく思いますよ』


親というものは、“父” や “母” という表情を

子に向けるものなのでありましょう。

過去、私に向けられた

父上や母上の 眼差しがよぎりました。


声も出せぬ始末で御座いましたが

『甘えろ』と、胡座で酒を飲む ボティスに言われ

卓上の菓子を黙々と食する榊も『ふむ』と 頷きましたので、背を押され

『どうぞ、宜しく お頼み申します』と

再び、手を取らせて頂きました。


「えー、良かったなぁ。

朋樹くん、男ばっかりの三人兄弟なんだろ?

お父さんやお母さんも、扱いとか

学校行事とかにも 慣れてるだろうしね」


「はい。何か、心がようやく

落ち着いたような気も致しました。

涼二は、御母上が?」


「そう。母さんが来るよー。

呼び方が心配でさ... 」


私は、涼二宅にも お邪魔した事があるのですが

御母上に 御挨拶を致しました時

『転入生なんでしょう? 涼二から聞いてますよ。

仲良くしてくれて、ありがとうね』と 笑顔で申され、それだけでも、涼二を 大変に愛されておることが 分かりました。


涼二の部屋におりまして、音楽や漫画などを教えてもらっておりますと、御母上が部屋の扉を叩かれ、ジュースや お菓子などを頂いたのです。


『母さん、そういうのは

不要いい” って 言ってるだろ?』


なんと 涼二は、迷惑そうに申したのです。

私は、微かな反発心をいだきました。


『有難う御座います。嬉しいです』


『まあ、四郎くんは 良い子よねぇ。

涼ちゃんは、ママに冷たいのよー。

このくらいの子は、みんな そうだって聞くけど... 』


『いいから、出てろって』


... なんという 言い草で御座いましょう?

これが、御母上に向かっての言葉とは。

こうして共に、しあわせに暮らすことが出来、

日々 どれだけ面倒を掛けておることか。

涼二も いつも、大変に美味そうな弁当を持参するのです。そうです、それであるのに

『母さん、また 野菜多いし... 』などと

洩らしたことも御座いました。

要は、甘えておるのでしょうが...


一言 申したい心を抑えておりますと、御母上は

『はいはーい』と、笑顔で 退室されたのです...

母子というものは、心と裏腹なことを申しましても、互いの心は 通じておるものなのでしょう。


「呼び方とは、“涼ちゃん” でしょうか?」


スポーツドリンクを飲みながら、茶化してみますと、涼二は「うるさいなぁ」と 照れ笑いしております。私も 笑うてしまうのです。


「父さんは、“涼二” って 呼ぶんだけど。

自分が “涼一” だから。蜘蛛は “涼三”。

四郎は、なんて呼ばれてた?

昔はみんな、普通に 名前なのかな?」


「母上や姉上は、名前で御座いましたが

父上は、“ふらんしすこ様” で 御座いました」


「えっ?」


木陰に投げ出した 足や腕のように、顔にも

桜の葉の影と木漏れ日とを落とした 涼二は

全く思いがけなかった といった表情を

私に向けました。


私が、総大将となるまでは

名で 呼ばれておったのです。


益田 時貞。それが、私の名で御座いました。

四郎 といいますのは、家族以外が私を呼ぶ際の名で御座います。

古くには、違う意味合いも御座いましたが

呪術などには、名が必要で御座いますので

このようにして、本来の名とは別の名を持つのです。私共の頃は、慣習として残っておりました。

ですので、外に出る頃となると 四郎 と呼ばれ、

何かに署名など致します時は、四郎時貞と記しておりました。

切支丹一家で御座いましたので、洗礼名は

じぇろにも で御座いました。


私が生きました世は、戦国の世は過ぎたものの

悪天候や凶作が続き、食うや食わずの世でありました。まだ わらしで御座いましたが

“飢え死にさせるなら... ” と、妻子を斬って自害した者がある、生まれたばかりの子を殺めた、など

大人達の話を 小耳に挟んだ事も御座います。


藩主様に定められた年貢も納められぬと

村の者は、責苦に合わされておりました。

手を後ろに縛られた上、蓑を着せられ 火を点けられる “みの踊り”。

縛られ、水の中に浸される “水牢みずろう”。

切支丹であれば、余計に重い責苦を受けます。

焼死した者も、水の中で死んだ者もおりました。


何故、このような事になるのでしょう?

私共は、藩主様等と同じ、人間では無いのでしょうか?


私の父、益田 好次よしつぐ... 通称、益田 甚兵衛じんべえ

切支丹大名であられた 小西 行長ゆきなが様の家臣でありました。

1600年の関ヶ原の戦いで、西軍でありました小西様は敗れ、切腹を命じられましたが

自死は大罪でありますので、これをこばまれ

斬首されたそうです。


父は、後に小西様の藩を治めた 加藤 清正様や

細川 忠利ただとし様の藩には入らず、百姓となりました。

とは言え、豪農の類で御座いましたので

年貢が納められぬということは、辛うじて無く

家族から人死は出ておりませんでした。


このような世に、父が 私を学問に打ち込ませておりましたのは、習わず字を読み その意味を解したこともありましょうが、世を変えねばならぬ と、先を見据えておった為です。


長崎に留学致しました私は、宇土に戻りまして

大矢野に嫁いだ 姉の家に参りました。


大矢野は、父の出身地で御座います。

其処そこには 父と同じ、小西様の遺臣がおりました。

皆、入藩を拒み、百姓になっておったのです。


長崎にて、神父パードレ等に 教えを頂いた時

胸に 得も言われぬ 尊きものが溢れ

眼が開いたのです。


... “一 には、ただ御一体の 天主でうすを万事に こえて、

御大切に うやまたてまつるべし。

二 には、我身のごとく、

ぽろしもを思へという事 なり”...


御大切 とは、愛 で御座います。

天主でうす様を 愛し敬い、

他の者を 我身のように思うこと。

人々の上には、平等に 日が照り、雨が降る。

皆、天主でうす様に愛されておるのです。


人は 人を愛せるのです。

生きる ということは、愛すること。

苦しんでおる方の身に 心を置き、手を差し伸べる。差し伸べられた手を掴む。


神父パードレ等は、身を持って それを示されました。

病や怪我を 無償で治療し、御自身達の食料も分け与えられます。

しかし何より、教えを与えられました。

皆、天主でうす様に愛されております。

そうであるので、生きて良いのです。

助け合って良いのです。赦して良いのです。


この様に、思い合う世になり

愛が溢れたとしたら、どれ程 良いでしょう?

草や根を食うて生きる中、搾取され、責苦に合い

生命を落とすことは御座いません。

幼い生命を摘まずとも良いのです。

そのような事に理解が得られてしまう、麻痺した世では無くなります。


『時貞』


神父パードレに教えを受けた長崎より、宇土に戻りました折、父上は、私の名を呼ばれました。


『昨夜も、人死が出た。蓑踊りよ。

火を点けた役人たちは、笑うておったようだ』


私は、父上の眼を見ておりました。

父上は、父でも 百姓でもない

私の知らぬ眼をしておりました。

男 というよりは、人間として、私に語っておるのです。覚悟の眼でありました。


『ろくに葬式も出せぬばかりか

もう誰も、泣く事も出来ぬのだ。

皆、疲弊し切っておる。息をする 死人である』


... いいえ。


私共は、生きておるのです。

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