87 泰河
道路際から 河川敷への階段を降り
暗い影たちが割れて出来る道を、河の
まっすぐに歩く。
影たちの中で見るミカエルは、淡い真珠の色に
輝いて見えた。
普段は 見慣れて、もう それほど意識していなかったが、改めて 光の存在だと感じた。
「よう」
ボティスたちがいる 河の畔に着くと
右側のテーブルの向こうにいる
自分の胸の前で 軽く手を横に流す動作をして
結界を解いた。
四方や 天地を囲むような、立方体の光る壁が顕れて、すぐに消失する。
地面には 青白い大きな防護円が敷いてあり、
頭上には、幾つもの狐火が揺れる。
ガーデンテーブルは 三つに増えていて、
中央のテーブルの向こうには、どう見ても河川敷に そぐわない、上等なアイボリーのソファーが置かれ、皇帝が 脚を組んで座っている。
両隣に、師匠とシェムハザ。寛いでるよな...
皇帝の左前には、小振りなサイドテーブルがあるが、テーブルトップは どうやらゴールドだ。
各テーブルの上には、もちろんバルフィもあり
全部が 様々な花の形になっている。
「ルシフェル。お前、“参戦する” って言って
何してるんだよ?」
ブロンドの眉をしかめた ミカエルが聞くと
皇帝は、サイドテーブルを指差した。
細長い形のグラスに、シェイクのようなものが
入っている。ストローは赤だ。
「フローズンシェイク。ヨーグルト味」と
師匠が教えたが、ミカエルは 何も言わず
「バラキエル」と、榊やゾイもいる
右側のテーブルに向かった。
「ジェイド」と、当然 呼ばれたジェイドが
シェムハザと入れ代わりに、ソファーに座る。
左側のテーブルの周囲には、アコやハティが
玄翁や史月たちと 一緒にいるが
オレらは、とりあえず 右側のボティスたちに
寄ってみることにした。
ボティスや
アイスコーヒーと 花バルフィだ。
シェムハザも来て、オレらに コーヒーと
四郎には、フローズンシェイクを取り寄せてくれたが、また周囲に集まって来た 影たちの念が強くて 落ち着かない。
月夜見の背後に、
幽世と
吸い寄せられるように 地面を這い集まってきた闇靄が、矛の下に 沈んでいくように見える。
「これさぁ、どうするんだよ... ?」
アイスコーヒー片手に、ルカが言うと
「こいつ等 自体は、大した能力もない。
今は、紛れている霊獣を 配下が除けているところだ」と ボティスが答え、四郎を近くに呼ぶ。
着物に襞襟という、最初の格好が気に入っているようだ。
「河川敷の闇靄は、月夜見が集め
アヤカシに染みた闇靄は、迦楼羅が解いている。
蝗抜きは、アンバーと琉地が 頑張っている。
靄や蝗が抜けた 害のないアヤカシは
ボティスの軍が、二山の洋館へ送っている」
シェムハザが、右隣にも テーブルとイスを
取り寄せながら言った。
「オレら、蝗抜きとか 対処は?」
アンバーと琉地や、ボティスの配下が働いてるのに、アイスコーヒーでいいのか?
「この数だ。後で まとめて対処する。
人間の お前等が、あの中に入れば
格好の餌食となる。泰河。お前は囮だが」と
シェムハザが椅子を指して、“座れ” と 勧める。
朋樹やルカと 眼を合わせて、一応 座るが
そわそわしちまう。
「ミカエルや皇帝がいるんだぞ?」って
笑われたけどさ。
当のミカエルは、四郎の肩から降りて 走り寄った露を抱き、蝶馬のエステルも喚んで
ゾイと狐榊を連れ、エステルの花探しを始めた。
「
師匠が言うと、階段と桜の木の間の 影穴周辺に
ゴールドの炎が ふわりと揺らめく。
天狗から 瞋恚の闇靄に染められていた状態で
影穴から出て来ていても、これで解ける。
ルカとオレが、筆と模様の指で消しても ラクだと思ってたけど、二人掛かりで 一体ずつだしな...
神は 違うよな。師匠、すげぇ。
「あれ、イゲルじゃね?」
ルカが指す方向には、頭にアンバーを乗せている イゲルが、背中に 皮膜の翼を拡げ
羽ばたいて 宙に浮いたところだった。
イゲルは、ボティスの 八の軍の頭だ。
オレンジブラウンの眼で、ショートヘア。
向こう側が見えるプラグピアスを付けていて
首にトライバルのタトゥ。
見るからにボティスの軍 という、雰囲気のヤツ。
「イゲルと 一緒なら、アンバーも琉地も
大丈夫だろ」
イゲルの頭の上に座ったアンバーが
七色糸を引くのが見えた。
糸は、十本近くを 一気に引くようで
背後の 街の炙りの光を反射して、細くキラキラと光っている。
ん... ? これ、最近 どこかで見た気するよな...
アンバーが出した蝗は、イゲルが虫かごに採集して、他の悪魔が ハティの元へ運ぶ。
蝗が抜けたアヤカシを、ボティスの配下が
有無を言わさず担いで、二の山へ連れて行く。
狐や狸が 玄翁や真白爺のところに連れて来られるのを見て 落ち着かねぇオレも、今度は玄翁たちのテーブルへ行ってみることにした。
「玄翁... 」
二つ尾の狐と、まだ尾が割れていない狐が
玄翁の前に座って、自分の腹が見えるくらい
俯いていた。
「よう戻った」
墨色狐の小さい玄翁が頷くと、二人は泣き出してしまった。
天狗のことがあって、里から出ることは禁じられていたのに、退屈で 三の山と二の山の境まで出てしまい、蝗を呑んじまったようだ。
真白爺の前にも、三匹の狸がいるが
似たような理由で やっぱり蝗を呑んだ。
「ふむ。里に送るかのう」
人化けした榊が来て、狐たちや狸たちの前足に
糸の端を結び付けた。
これで 幽世に入って、狐や狸の里に送ることが出来る。
「うむ」
「榊、すまんのう」
「何を。すぐに戻る故」と、榊は
まだ しょんぼりしている狐や狸を連れて
三ツ又の矛を避け、幽世の扉に入って行った。
「行方不明の狐や狸は、まだいるのか?」
玄翁や真白爺に聞くと
「いや」
「里に棲む者等は戻ったがのう... 」ってことだ。
「まだ匂うけどな」と、史月が言う。
里に入っていない狐や狸はいるようだ。
朱緒と白尾は、柘榴が スサさんの妾になったことを、二人で眼を輝かせて話している。
女子だよな。
「史月、直接 探してくれないか?
一緒に行くから。
もうすぐ、対処し始めるみたいだし」
アコに誘われて「おう、その方が
史月が 人化けを解いた。
久々に見たけど、でかい。虎より でかいかもしれん。軽自動車並みの白銀の狼だ。
カッコいいぜ。
アコは、テーブルの上に寝そべったフランキーに
「行く?」と 聞いてみたが
「いや。俺ァ 寝ながら、レディたちの話しを聞くからヨゥ」と、しっぽの先を振って あくびした。
眠たいようだ。猫だもんな。
史月が歩いても、妖したちは身を引く。
まだ蝗 入ってるヤツもいるのにさ。
本能的な 危険を感じるんだろう。
ハティは、地界に 集めた蝗を送っている。
「藍色蝗って、要らねぇんじゃねぇの?
洋館でいっぱい採れただろ?」
「だが、シルバー蜘蛛が繁殖した。
蝗を好んで食する」
蜘蛛の飯か...
河川敷には、影穴から続々と 暗い影が這い出して来る。何百はいるだろう。こんな数 初めて見た。
フランキーが寝そべるテーブルの隣に
またテーブルと椅子が顕れた。ハティ用だ。
ハティが 椅子に座ると、シェムハザが取り寄せた
ワインとグラスも、テーブルに届く。
ボトルから ハティのグラスに注ぎながら
「これさ... 」と 言ってみると
「ここまでのところ、すべて上手くいっている」と、赤い指でグラスを持って 口に運ぶ。
「報を聞いたところ、人間に被害は出ておらず
柘榴が戻り、ゾイも戻った。
魔像が片付き、影穴は ここにある。
山や街にも守護が敷かれ、天狗を待つのみだ。
ミカエルの采配だな?」
「おう... 」
ハティに、視線でテーブルを示された。
オレの前にもグラスがある。
ボトルから注いでいると「不安か?」と 聞かれた。
... ミカエルは、すげぇと思う。
守護を最優先しながら、六山内に 天狗を包囲した。地中の霊道の地図出しとか 大変だったけど
人間だけでなく、霊獣や 害のない妖しにも
被害は出ていない。
結果的に 今、全部が 河川敷だけに集中している。
ただ... ハティたちからすれば
ここにいる 何百の妖したちも、招集を掛けられた 下級悪魔たち程度... って 感じだろう。
軍のように 統率が取れた働きもしないだろうし
攻撃を仕掛けて来ても、闇雲に向かって来るだけだ。何の驚異でもねぇんだろうと思う。
けど、妖したちの眼が
オレに向いているのが分かる。
狐や狸などの霊獣や、単に蝗や闇靄を憑けられただけのヤツは、各里や 二山の洋館に送られている。
残っているヤツらは、蝗や闇靄が抜けても
他に目的があるヤツらだ。
闇靄は、外から染み入るばかりじゃない。
そもそもは、内側に生まれるものだ。
それが 外に漏れ出したり、死んでも残っちまったりする。
元々 人間や動物、または神だったヤツが
その念によって 妖しになることも多い。
天狗僧や野槌、呪骨。
道成寺の鐘に巻き付いた 清姫、怨霊と化した崇徳上皇、土蜘蛛、産女、犬神...
二山に送られず、ここにいるヤツらは
人間や現世を 怨んでいるヤツらだろう。
そして、頭... 天狗の命によって
オレを狙っている。
背に 皮膜の翼がある悪魔たちが
両脇に狐や狸、
連れて行く。
運ばれた霊獣たちは「一時的に避難するよう」に 言われ、幽世の扉から 顔を覗かせた榊に
また糸を付けられ、各里に送られる。
「今んところ、こんなもんか?」
史月とアコが戻って来た。
アコは、片手に 青毛猿を掴み持っていて
「ボティス」と 呼ぶ。
アコが 防護円に入る前に、掴んでいた青毛猿を放すと、ボティスが「助力、ウリエル」と言い
青毛猿の下で 白い助力円が光る。
ゴッ と 火柱が立ち、青毛猿が燃やされると
河川敷のあちこちからも 聖火の火柱が上がった。
「大まかな準備は 済んでいる」
ハティが、テーブルのグラスを “飲め” と 指す。
グラスを手に取った時、ハティが横を向き
防護円の近くに浮いていた 縊鬼や鏡影に
ふう っと 錬金の息を吹いた。
石になった縊鬼や鏡影が 地面に落ちる前に
シェムハザが指を鳴らして砕き
その破片が、周辺にいた 妖したちに降り注ぐ。
棒切れのような 細い腕や脚に、張り出た腹をした鬼、赤襦袢を着た 額に眼がある牛頭の眼が オレに向く。
『... “ああ、わざわいだ、わざわいだ、
地に住む人々は、わざわいだ”... 』
牛頭が 抑揚のない声で、黙示録の8章を読んだ。
こいつ、
だったら、予言ってことか?
『おうおう 我等の影世より 飢えており、
人が人を ののしり
腹の出た餓鬼のような鬼が、嗄れた声で言うと
『
我等は、汚れに 引かれて参ったのだ。
人より 生まれ
確かに そうだろう。
カフェで窓際に座った 小さな女の子の横顔が
「... “口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。
というのは、悪い思い、
すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、
これらのものが 人を汚すのである”... 」
肩に 手を載せられた。四郎だ。
マタイ 15章18節から 20節。
「原罪は 贖われました。
もう 人は、“人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである”... と いった
元より悪なる存在では 御座いません。
清らかな種を持ち、生まれ
グラスを持ったまま
隣に立っている 四郎を見上げる。
「ですが、清らかなる種を 眠らせたまま
地を呪うておるのは、他ならぬ 人でありましょう。このように、影世に 闇を落とし
他の者まで染めようと 湧き出させ、魔手を伸ばす程に。
ならば 世の闇を晴らす者も、また 人であるべきに御座いましょう」
老婆が、
その背後から、中型犬くらいはある大蜘蛛や
腹の張り出た餓鬼たちが、オレらに向かって 這い走って来た。
大蜘蛛の背には、それぞれ 人の顔がある。
怒った顔、嘲りの顔、怨みの顔、高慢な顔...
『汚れ者等め』と、老婆が 鉈で四郎を指す。
『清らかでなど あるものか。
我等を見よ。これが 人等の性根である』
「それでも 道を示し、共に歩むことは出来ましょう。
いずれ 種は芽を出し、茎は 天に向かって伸び、
花は、その顔を 天に向けて咲くのです。
闇が 光に打ち勝つものか」
ボティスが敷いていた助力円を踏んだ 蜘蛛たちが 聖火に焼かれ、餓鬼たちは 光に斬首され、
灰になり 解け消える。
四郎は、オレの肩から 手を離すと
「... “地上に 平和をもたらすために、
わたしが きたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むために
きたのである”... 」と
マタイ 10章34節を読み、前へ 足を踏み出した。
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