38 泰河


「“捕らえた”... って?」


鎖を軽く引いて、頷いたミカエルは

「“この洋館には何かある” って 言っただろ?

蝗は、入って来た そいつに憑けようとしたんだ」

と、視線で オレの背後を示した。


背後の主寝室には、黒髪が 幾筋か頬に貼り付いた

水浸しの女が立っている。


さっきまで この女の霊は、ここに居なかった。

洋館周辺の森を囲んでいる、シェムハザの天空霊の 囲いの内側に居たんだろうと思う。

今、何かに引かれて 入って来たようだ。


「何故 ここに来た?」


ミカエルが聞いてみても、女の霊は無言だ。

ミカエルやオレらに、気付いていないように見える。


子供部屋の方から、骨に皮が張り付いたような

真っ白いヤツが這い出て来た。

髪もなく、性別も分からない。

階段の下に置いたままだった 古びたボールが

トン トン と、音を立てて登って来て

コロコロと 廊下を転がった。


「急に増えてきたな」「まとめて送るか... 」


「“高天原たかまのはら神留坐かむづまります

すめらむつ 神漏岐かむろぎ神漏美かむろみ命以みこともちて 八百万やほよろづ神等かみたち神集かむつどへにつどたま神議かむはかりにはかり給ひて”... 」


朋樹が 大祓詞を始めると、

水浸しの女が 朋樹に眼を向けた。

階段からは、小学生くらいの男の子の霊が

眉間にシワを寄せ、怒った顔で歩み寄って来る。

真っ白い骨皮のヤツは、蜥蜴とかげのように壁に張り付いて 這い出した。


「... “皇御孫すめみまみこと豊葦原とよあしはら瑞穂みづほくに安国やすくにたひらけく ろしせと 言依ことよさしまつりき”... 」


オレのシャツの胸にいた シルバー蜘蛛が跳び

ジェイドのジャーダと同じように、床で藍色蝗を捕獲した。糸で巻き、中身を吸い喰っているが

蝗は どこから出て来るんだ?


「この壁から出てる。

その分のスキマがあるから、鎖が通ったんだ」


大いなる鎖が通過している 壁を見ながら

ミカエルが言う。


「けど、壁だろ?」と、壁をノックしてみたけど

中に空間がある気はしない。

いや でも、それなら

ベビーベッドの木の柵がある部屋から 階段までの間に、ただ 壁だけがあるのは不自然な気がする。


「結界じゃないのか? 神隠しのような。

ここに もう一部屋あって、隠されている とか」


「多分 そうなんだろ。

鎖は、別界に伸びてるんじゃない。

同じ洋館の中だ。

そいつまで、2メートルくらいの距離」


それなら 結界割りすれば、そいつを引き出せる。


「“結界がある” と、推測は出来ても

どう解けばいいんだろう?」

「“カミカクシ” は、独特の術だからな... 」


ルカが居て、壁に印があるなら

オレが印に触るだけだけど、居ねぇし

大祓詞が済んだら、朋樹に頼むことになる。


「... “あめ磐座放いはくらはなあめ八重雲やへぐもいづ道分ちわきに道分ちわきて 天降あまくださしまつりき”... 」


水浸しの女は、身体が薄れ出して

上の方を見上げた。

行くべき幽世への道筋が見えてきたようだ。


怒り 唸りながら、朋樹に近付く男の子の霊の頭に

ミカエルが 右手を置くと

ジェイドが 男の子の前に しゃがんで

視線の高さを合わせた。


「... “光が 暗きにまさるように、

知恵が 愚痴にまさるのを、わたしは見た。

知者の目は、その頭にある。

しかし愚者は暗やみを歩む。

けれどもわたしは なお同一の運命が

彼らのすべてに のぞむことを知っている”... 」


ジェイドが 伝道の書を読むと

男の子の眉間のシワと、顔の怒りの緊張が解けていく。ジェイドの眼を見つめている。


「... “わたしは心に言った、

『愚者に臨む事は わたしにも臨むのだ。

それでどうして わたしは賢いことがあろう』

わたしは また心に言った、

『これもまた空である』と”... 」


ジェイドが 続きを読むと

男の子にも、幽世への道が見えたようだ。


古びたボールを 拾って渡すと

オレに向いて、“ありがとう” と 口を動かした。

男の子の頭から ミカエルが手を離すと

ミカエルを見上げて微笑み、薄れて消えた。


「... “斯く出でば 天つ宮事以みやごともちて 天つ金木かなぎもとうち切り すえうちちて 千座ちくらの置きくらに置きらはして 天つ菅麻すがそ本刈もとかり断ち 末刈すえかり切りて 八針やはりに取り裂きて 天つ祝詞のりと太祝詞言ふとのりとごとれ”... 」


あとは、壁を這い登って 天井から逆さになった形で 朋樹を見下ろしている、真っ白い骨皮だけだ。


骨皮は、棒のようなすね... 膝から 足の甲までを

天井に着けて、逆さにぶら下がった。

皮の下のあばらの形。削げた頬と 眼窩の奥のくらい眼。

両腕は 自分の身体に ピッタリと添わせ

“気を付け” の形で、無表情に 目の前の朋樹を見つめる。


「... “斯くらば 天つ神は あめ磐門いはとを押しひらきて

あめ八重雲やへぐもいづ道分ちわきに道分ちわきて こしさむ”... 」


『 に く い 』


抑揚のない高い声で それが言った。

口の形を、やたら はっきり

“に、く、い” と 動かして見せていた気がして

うなじに 冷風を当てられたように

背中の毛が そば立った。


「... “国つ神は 高山たかやますえ低山ひきやまの末にのぼして 高山の伊褒理いぼり・低山の伊褒理をき分けて こしさむ”... 」


『 に く い 』


何か 精神にくる。生理的にイヤな感じだ。

次第に 苛立ちが積もってきた。

次に言われたら、耐えられそうにない。

ジェイドが 聖油の瓶を手に取った。


「... “斯く聞こし召してば 罪といふ罪はあらじと の風の あめ八重雲やへぐもを吹きはなつことのごとく あした御霧みぎりゆふべの御霧を 朝風あさかぜ夕風ゆふかぜの吹き払ふことのごとく”... 」


『 に く い 』


こいつ...  腹ん中に増悪が沸いてくる。


「お前、もう 蝗を呑んだな?」


ミカエルが、白い骨皮のヤツに聞く。

骨皮は、相変わらず朋樹を見つめているが

ミカエルの声で、すうっと 怒りが治まってきた。


「呑んだって、いつ?」


聖油の瓶を持ったままのジェイドが

骨皮から ミカエルに視線を移す。


「壁に登り出した時。朋樹の蜘蛛が 一度

そいつの近くの 何もない壁に移ったからな」


「... “大海原おほうなばらに 押し放つことのごとく 彼方をちかた繁木しげきもと焼鎌やきがま利鎌以とがまもちて 打ちはらふことのごとく のこる罪はあらじと 祓へ給ひ清め給ふことを”... 」


「蝗を... 」と、アンバーと琉地を喚ぼうとした

ジェイドを、ミカエルが止め

「お前、人間の嫌悪感を刺激する奴だな?

邪魔するから 朋樹こいつが “にくい” のか?」と

骨皮に聞く。


「それとも、朋樹こいつの上にいる 神々が憎いのか?」


月夜見キミサマ... ? いや

人に 邪神厄神と呼ばれず、崇められる神... って

ことか?

藍色蝗を呑まされてるヤツは

怨恨や我執で 迷っている霊、罪や穢れが凝ったもの、魔縁と呼ばれるものや神だ。


ミカエルは、右手に顕現させたつるぎの刃を

骨皮に ゴツゴツと骨の形が浮き出ている首の横に着け「お前のあるじを喚べよ」と 命じた。


刃を少し 白い皮に押し付けただけで

皮の間から、黒い靄のような煙が薄く上がった。

モレクのように、触れない訳じゃないようだ。


「俺は、このまま お前が斬れるんだぜ?

お前を斬れば、蝗は 出るからな」


けど、秤は 出していない。ハッタリだ。


あるじに助けを乞えよ。

この鎖の先にいるんだろ?」


「... “斯くかか呑みてば 息吹いぶに坐す 息吹き処主どぬしといふ神 の国・そこの国に息吹きはなちてむ”... 」


大祓は、もう終わる。

白い骨皮は、落ち窪んだ眼窩のくらい眼の 片方だけを ミカエルに向けた。


「喚んで 来なけりゃ、お前は使われてるだけだ。

今、お前に蝗を与えた あるじ

お前の “仲間” じゃない。

お前たちを祓える 善神と呼ばれる神より

警戒すべき相手だってことだ」


「... 斯く息吹き放ちてば 根の国・底の国に坐す 速流離姫はやさすらひめといふ神 持ち流離さすらうしなひてむ”... 」


「呑んだ蝗に “蜂起せよ” と

反逆を 命じられたのか?」


反逆? 善神と呼ばれる神々に... ?

蜂起を促してるのか?


『 う う う ... 』


白い骨皮は、枯れ木のような身体を くうう... っと

天井まで持ち上げ、身体に添わせていた両腕の肘を 天井に着けた。

肘から手のひらまでと 膝から下で、擦るように這って、壁の鎖の近くまで這って行く。


「... “斯く流離ひ失ひてば 罪といふ罪はあらじと

祓へ給ひ清め給ふことを”... 」


あま さ ま 』


ごつこつとした 関節の浮き出る白い指で、壁を掻き出した。何か いちいち苛つかせられる。


「... “天つ神・国つ神 八百万やほよろずの神たち

ともこしせとまをす”」


大祓が終わった時、壁を掻く 白い指先が

崩れたのかと思った  いや 指が 壁に... ?


ミカエルが鎖を引くと

扉が外れた 部屋の入口が顕現した。

『 天 さ ま... 』と、骨皮が

入口から 向こう側の壁に 這いずり入る。


「動くなよ?」


もう 室内に居て、誰かに剣を差し向ける

ミカエルの背中が見える。


薄い緑に 金色の蔦模様の壁紙の部屋の中

ミカエル越しに、ぞろりとした印象の

紅い着物の 袖や裾が見えた。


「おい、ちょっ... 」


朋樹が オレの腕を後ろに引いた。

視線の方向... 古い板張りの床と 擦れた丸い絨毯の上には、大量の蝗が 蠢き跳ねている。


結界が解かれたせいで、蝗たちは ざわざわと

ガラスのない窓や ドアの無い部屋の入口からも

跳び出して行く。


「どうする?!」


朋樹が 炎の尾長鳥や蝶の式鬼で、窓から出た蝗を追って焼き、ジェイドが 入口の前に

聖油を垂らして 線を引いた。


「ミカエル、聖火を」と、ジェイドが言うと

「とっくに試した」と

部屋いっぱいに 床から炎を立ち上げて見せた。


「奈落の蝗は 一応、天属性だからな」

蝗たちが ミカエルの聖火に焼かれたのは

はねだけのようで、脚で跳ねて 部屋から出て行く。


人間に害がある訳じゃなさそうだ。

踏み潰せば消えるし、朋樹の式鬼火なら効く。

けど、全部は とてもムリだ。


「クソっ。ルカが いりゃあ、風で巻けるのに」


炎の尾長鳥や蝶から逃れる蝗を見て

朋樹が 舌打ちをする。

ルカが居れば、地の精で 蝗の拘束も出来た。

ひとりいないだけで こうなるのか...

出来るだけ蝗を踏み潰しながら、逃げて 不在にしたことを反省する。


壁に張り付いていた白い骨皮のヤツが 床を這い

ミカエルの前にいるヤツの 紅い着物の裾をいじり

額を床に着けた。


あま さ ま 天 さ ま 』と 額を床に着けたまま

左右にゴロゴロと頭を振る様子に、また苛つきが沸く。卑屈なんだよ、何か。


「そいつ、甘く見ねぇ方がいいぜ」


炎の蝶の式鬼札に、息を吹きつける合間に

オレとジェイドに 朋樹が言う。


「大祓でも祓えなかったからな」


そうだよな... 蝗も出ていない。


「いや。朋樹の大祓が終わった時

あれの指は、壁に ほころんで見えた」


ジェイドに振り向き、オレも「そう!」と 頷く。

位置的に 朋樹からは

壁にあった 骨皮の指は見えなかっただろうけど

やっぱり 崩れそうになってたんだ。


「それなら、向こう側の 神域に入ったから... って

ことか?

それでも、大祓が終わるまでは 部屋の外にいた。

“祓い切れなかった” ってことだからな。

念や穢れが凝ったもんじゃねぇぜ。神の類だ」


朋樹が言う、“向こう側の神域” っていうのは

紅い着物のヤツの結界の内 のことだ。


月夜見キミサマは、天逆毎あまのざこのことを

“俺が闇に染めても ケロリとしておるのだ” と

言っていた。

オレらから見ると、天逆毎や骨皮は 邪神だ。


大祓は、罪や穢れを祓う。

人から見ると、神の “善の力” を 降ろして借りる。

例えれば、ジェイドの悪魔祓いに近いだろう。


骨皮は 存在が滅びる前に、向こう側の結界

... これも 例えれば、シェムハザやハティが敷く 防護円に入った ってことになる。


ただ、日本神の困ったところは

天と地界 のように、“善” と “悪”、“光” と “闇”... と

いう風には、ハッキリしないところだ。


邪神といっても、念や穢れじゃなく

アバドンみたいな位置のヤツ... と 考えると

祓えず、“荒ぶらないでくれ” と 崇め祈るか

人から遠ざけることしか出来ない。

神は 神を裁かない。


「でも、俺になら 斬首出来る ってことだぜ?」


ミカエルが、鎖を巻いている左手に 秤を出した。

天から見れば、異教神は全部 悪魔だ。


けど、あの紅い着物のヤツが 天逆毎なら

滅したら また、スサさんに 猛気が溜まる恐れがある。

朋樹やジェイドは黙って、様子を見ている。


「こいつを斬首して、またスサが邪神を吐き出しても、そいつは 蝗憑きじゃない。

その分 マシになるだろ?」


ミカエルの前で、紅い着物の女が唸る。

どこかで 聞いたことがある声だ。


「悪魔と見做すなら、それは 僕が祓える」と

部屋に足を踏み入れた ジェイドが

白い骨皮に近付く。

ミカエルの前に立つ女を見て、動きを止めた。


なんだ?


オレと朋樹も まだ大量の蝗が蠢く部屋に入り

鎖に巻かれた女を見ると

髪を結い上げた そいつは、朱里シュリの顔をしていた。

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