16 ルカ


部屋の内側から、シェムハザが鍵を開けた。

榊が、薄く開けた くちびるから狐火を飛ばし

部屋を照らす。


シェムハザが術でテーブルを移動させたようで

前に立ったミカエルが

女の首の額に 手を当てて動きを止め、

ニナとシイナをかばうように、四郎がミカエルの隣に立つ。


「ココじゃないな」


ミカエルが言うけど、狐火に照らされた顔は

ココの顔だ。


『シイナ... 』と、女の首が 言葉を話す。


『一緒に来て...  私と... 』


ココじゃねーなら、誰なんだ?


「ダメよ、ココ」と、震える声で ニナが答える。


「シイナが 一緒に行ったって、きっと満足出来ないわ。シイナは あんたを愛してないから。

次はまた 他の人のことも、そうやって誘うようになる... 」


『じゃあ、あなたも来てよ ニナ... 』


「ううん、行かない」


『ぅう...  うぅうヴうぅぅうう... 』


ニナが答えると、ミカエルの手のひらの下で

女の首は唸り出した。


高天原たかまのはら神留坐かむづまります

すめらむつ 神漏岐かむろぎ神漏美かむろみ命以みこともちて

八百万やほよろづ神等かみたち神集かむつどへにつどたまひ... 」


大祓をしながら、朋樹が呪の赤蔓を伸ばして

女の首に巻き付ける。

首が赤蔓に捕らわれると、女の額から ミカエルが手を離した。


天の筆を取ると、狐火の下の女の額から

なぞるべき文字や模様を探す。


「... あめ磐座放いはくらはなあめ八重雲やへぐもいづ道分ちわきに道分ちわきて 天降あまくださしまつりき... 」


あった。

天の筆で浮き出したのは、“鏡” の文字だ。


「... 斯く出でば 天つ宮事以みやごともちて 天つ金木かなぎもとうち切り すえうちちて 千座ちくらの置きくらに置きらはして 天つ菅麻すがそ本刈もとかり断ち 末刈すえかり切りて 八針やはりに取り裂きて 天つ祝詞のりと太祝詞言ふとのりとごとれ... 」


『... ルカくん』


あ?


唸っていた女の首は、顔をオレに向けた。


『一緒に来て... 』


黒髪のショートボブ、丸い形の黒い眼。

リラだ


「こいつ... 」


「琉加」と、四郎が オレを引く。


『私と 一緒に... 』


分かってる。リラじゃない。

けど、胸がキリキリする。


「ふざけやかって... 」


隣に来て、オレを下げようとしたジェイドに向いた首は、男に変化していた。

まだ子供だ。四郎や リョウジくんくらいに見えるけど、ブラウンの髪に 抜けるような白い肌。

日本人じゃない。


『Geid... 』


「... 斯く聞こし召してば 罪といふ罪はあらじと

の風の あめ八重雲やへぐもを吹きはなつことのごとく

あした御霧みぎり ゆうべの御霧を 朝風あさかぜ 夕風ゆふかぜの吹き払ふことのごとく 大津辺おほつべ大船おほふね舳解へとはな艦解ともきき放ちて... 」


「ふん、成る程」


鼻を鳴らしたボティスが、オレとジェイドを

脇に退かせた。


「俺を読んでみろ」


少年の顔の首は、ボティスに向いても

姿を変えなかった。


「こいつなら どうだ?」と、四郎の肩を抱く。

首の眼は動いても、姿は変わらない。


「人間の記憶によって、姿を変えるのか?」


シェムハザが指を鳴らして、赤蔓ごと 自分の前に首を引いた。


「... そのようだな。以前の妻のかたちを取らない」


首の後頭部を掴んだシェムハザが

榊の前に その顔を向けても、首の顔は変化しなかった。そういえば ミカエルの前でも

首の顔は ココのままだったよな...


「... 斯くかか呑みてば 息吹いぶに坐す

息吹き処主どぬしといふ神

の国・そこの国に息吹きはなちてむ... 」


大祓が 効いてない気がする。


「どうする?」「燃やすか?」


ジェイドが視線を首に移す。

あの顔は、ジェイドの...


「文字が消えれば... 」


けど、消せるのは 泰河だけだ。


「... 斯く流離ひ失ひてば 罪といふ罪はあらじと

祓へ給ひ清め給ふことを 天つ神・国つ神

八百万やほよろずの神たち ともこしせとまをす」


大祓が終わっても、首の顔は戻らなかった。


「根が 人では御座いませんね。

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみつたじ 照見五蘊皆空しょうけんごおんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく...」


「むっ、心経であるな」


四郎が 般若心経を読み出すと、首が唸り出した。


「... 是故空中ぜこくうちゅう 無色無受想行識むしきみじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんじびぜつしんに 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界乃至無意識界むげんかいないしむいしきかい 無無明亦無無明尽むむみょうやくむむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう... 」


「こいつ、たぶん “鏡影きょうけい” だ。

狙ったヤツの身近な死人に化けて、死に誘う」


朋樹が「陀羅尼なら すぐ消えるんだけどな」と

舌打ちしたけど

「文字が... 」と、シェムハザが 美眉を潜めた。


「... 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみつたこ 心無罜礙しんむけいげ 無罜礙故むけいげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 究竟涅槃くぎょうねはん... 」


首の額から 煙が昇り始めた。

文字が薄れて 消えていく。


髪の色が黒く染まり、ザンバラに伸びた。

青肌に皺顔の男だ。

額にひとつ、閉じた瞼の線が見える。


「... 即説呪曰そくせつじゅわつ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若波羅蜜多心経はんにゃはらみつたしんぎょう


鏡影は、両眼を閉じて

額にある ひとつ眼を開いた。


「消えねぇな」


「私は、僧では御座いませんので... 」と

申し訳なさそうに四郎が言うけど、充分すげーと思う。

「いや、こいつが それだけ強いってことだ」って

朋樹もフォローしてるし。


御言葉みことばも効きそうにないね」と

シェムハザの隣に立ったジェイドが、聖水を振ると、鏡影の口から 何か落ちた。


「おい... 」と、朋樹が うんざりした顔になる。

落ちたやつが跳ねる。 出た...  蝗だぜ。


地の精霊で 蝗を拘束すると

鏡影の後頭部を離した シェムハザが蝗を拾って

ミカエルと二人で「藍色だな」と 観察してる。

新しいやつらしい。


赤蔓に巻かれたままの鏡影が、また唸り出した。

四郎が「オン 阿毘羅吽欠アビラウンケン 娑婆呵ソワカ」と

大日如来に帰依させる真言を唱えると

余計に暴れ出し、朋樹が蔓を締める。

鏡影は 口を開けて、喉から シャーシャーと

蛇のような 威嚇の音を出した。


「お前の主は誰だ?」


シェムハザがパイモンを呼んで、蝗を渡す間に

ボティスが鏡影に聞くけど、普通の会話が出来そうに 見えねーんだよな...

「そいつ、人真似と “一緒に来て” とかの誘い言葉しか 言えねぇと思うぜ」と、朋樹も言う。

突然顕れたパイモンに シイナが眼を向けた。


「“死に誘う作用” に 名前付いたようなもんだし。

祟り神みたいなヤツだな。

方法が 人の影から死人を読むから、鏡影。

首だけじゃないヤツもいる」


身近な死人に化けて、死に誘うヤツらの総称らしい。いろんな形態のヤツがいるっぽい。


鏡影は、シャーシャー言うだけで 答えず

真言を唱えた四郎を睨み付ける。


「なら焼くか」


ボティスが言うと

朋樹が、炎の尾長鳥の式鬼を 鏡影に飛ばし

オレが風の精霊で 式鬼鳥の炎を巻く。


おん 阿謨伽あぼきゃ 尾盧左曩べいろしゃのう 摩訶母捺囉まかぼだら 麽抳まに 鉢納麽はんどま

入嚩攞じんばら 鉢囉韈哆野はらばりたや うん」と、四郎が 何か言うと

竜巻になった炎が 光になって、鏡影ごと消えた。


唐突に部屋の灯りが点いたので、榊が息を吹いて

狐火を消す。


「蝗は、これだけなのか?」

「そうだ。人に憑いていた訳じゃない」


指に摘んだ蝗を見て聞く パイモンに

シェムハザが答える。


「ミカエルの加護がある者も多く、

バラ撒いた銀蜘蛛が 蝗を食うからな」

「やり方を変えて来たということか...

人間にじゃなく、使う側に憑けるようだな」


まあ、なんにしろ 奈落なんだぜ。


「研究室で調べる」と、パイモンが消えて

榊を連れたボティスとシェムハザ、

四郎を連れたミカエルも、早々に部屋を出る。

今から話し合いだな...


まだソファーで震えている ニナとシイナに

「とりあえず祓いは終わったから」って 言って

「藍色蝗使いか... 」「日本の術者かな?」と

オレらも出ようとすると

「ねぇ、ちょっと待って」と ニナが止めた。


「今の、何だったの?」


見てたじゃん って 言われても

なんか納得いかねーか...


「いろいろなヤツに変わっただろ?

ココじゃないぜ。青い顔の ひとつ眼が正体」

「悪い神様みたいなやつだよ。妖怪みたいの」

「あれは もう出ない。燃やしたからね。

安心していい」


「じゃあ、急に人が入って来たのは?」って

シイナも聞く。


「ゲイの子とか、あの天人サマの子供とか

キレイな外人とか...  鍵掛けてたのに。

さっき、低い声の外人の女も来たよね?

また 消えて見えたし」


「ちょーのーりょく に決まってんだろ」

「赤い蔓とか、火鳥も風もな」


「とにかく、仕事は終わったし... 」と

また出ようとすると

「ココに、会える?」と、シイナが聞く。


「私、思い出して... 」


えっ? 地下倉庫のことか?


「“思い出して” って?」


「ココの、前で 溶けた身体を

“綺麗じゃない” って 言ったり、頭を... 」


「“溶けた”?」と、ニナの眼が シイナに動く。


どうする? と オレらは 眼を合わせて

「降霊は やってねぇから」と、朋樹が断った。

ココの魂は 奈落だ。喚びようもない。

たぶん、キュベレに飲まれちまってるし。


「何のために、ココを喚ぼうと思った?」


ジェイドが聞くと

「謝りたくて」と、小声で言った。


「なんで謝りたいんだ?

お前が ココを殺ったんじゃねぇだろ?

今度は ココが出て来たら、怖いからか?」


朋樹は、わざと 冷たい言い方してる気ぃする。


「首が外れるところが、見たいと思ったから。

ココの首に、自分の身体が触られるとこを

見せてやろう って」


朋樹の鼻やくちびるの辺りを見上げて

シイナが言う。


「今考えたら、おかしいのは 分かるけど

本当に死んじゃうと 思ってなかった。

身体が溶け出した後でだって、誰かが身体の中で

“大丈夫” って 言って... 」


「でも、それより」と シイナは 一度言葉を切って

「溶けたのを見て、冷めたこと」と 言った。

「私を、独りにした」


呆気に取られる。サイコちゃんだろ?

全然 意味、解んねーんだけどー。


まず、理解出来る位置まで 話を持っていこうと

「溶けたから冷めた?」って 聞く。

「元々 遊んでただけだったんだろ?」


「私に許可なく、溶けたから」


ああ、そっち...

女王サマの許可なく ってことか。


「不可抗力じゃん。

ココに、溶ける気は なかったんだぜ」


ココに悪いけど、オレ やっぱりシイナと

マトモに喋る気に なんねーし。


「解ってる。でも、その時は 私

許可なく “勝手に死んだ” って思って、

何も気付けなかった」


「それで、“私を独りにした” から “謝りたい”?」


朋樹も疑問顔で聞く。


「そう。だって、ココが彼氏と別れなかったのは

私との関係に 満足してなかったから」


そりゃそーだろ。

大学生の彼女がいる って聞いてるし

他にも ザクザク遊んでりゃさぁ。


けど、女王サマとパートナーの関係は

そういうことじゃない らしかった。


パートナーは “所有物” なので

身も心も 女王サマの物であるはず。

女王サマと恋人に妬いて、身悶えするのが良し

... ってことらしい。 オレが甘かったぜー。


「私、いつも どこか、ココには 甘くて... 」


真剣に打ち明けてるけど、サッパリなんだぜ。

一応 聞く。


「落ち切らせて あげられなかった」


心酔させられなかった ってこととか

ちゃんと主従関係を築けなかった ってこと?

女王サマのパートナーに対する愛情は

一般とは なんか違うのは 分かったけどー。


「安心して従えなかったから、彼氏と別れなかった。時々 私が、ココに恋人みたいに接したから」


んん? 恋人なのか パートナーなのか

どっち着かずだった... って ことなのか?


「ココは、彼氏を愛してなくて

私と同じように 独りだった。

でも、私はどこかで 彼氏に妬いていて

落ち切らせなかったから... 」


「“私を 独りにした”?」


ジェイドが聞くと、シイナは頷いた。

謝りたいのは、地下倉庫の あの態度じゃない ってことか...


で、しっかり主従を築かなかったこと か

恋人にもならなかったこと について

謝り たい... ? うん... ?


「ココを “愛してしまった” こと?」


ニナが聞く。


「そう。なのに、ココは私を

独りにしなくちゃならなくなった。

私が、お姉さまを見ていたから」


「前提として、“ココはシイナを愛してた” っていうのが あるんだな?」って、朋樹が確認すると

シイナは、“今さら何言ってるの?” って顔した。


「んん? ココを愛したことに 気付かなくて

エマに ウツツを抜かしてたから ってことー?」


シイナが エマを見てなきゃ

ココが死ななかったかも ってこと... ?


けど あれは、尾長蝗の影響もあって

吸血悪魔から生まれた蝗が したことだし

防ぎようは...


「私に “愛されてない” って 思ったまま

溶けていってしまった」


「あ? 生死の問題じゃない ってことか?」


朋樹がまた確認すると、シイナは頷いて

「精神のこと。ココが死んだって愛してるし

ココだって、私を愛してる。

でも、私は独りだ って思ってて、

心を無視してたから、ココも独りだった。

だから問題は、そのまま溶けてしまったこと」と

言った。


「お互いに愛してる って分かってる上で

ココが溶けたなら、良かった... ってことか?」


「そう」


「ココが 愛するシイナを、“独りにした” って

思ったまま溶けたから、謝りたい?

そう誤解させたままだから?」


「そう。私もココを愛してるって 分かってて

ココが溶けてたら、ココは私を独りにしてない。

どっちかが死んだって、

生きてる方が、いつか別の誰かを愛したって

その愛は 真実で永遠 でしょ?」


オレらが黙ると、シイナは

「さっきの... 何だっけ、あの青い顔... 」と

朋樹に聞く。


鏡影きょうけい」と 答えると

「ああ、キョウケイね。その時のココは

話しが通じなくて、怖かった。

“一緒に来て” としか 言わなかったし。

ココじゃ なかったんだけど」と 一人で頷いて


「“私も愛したから、独りにしてない” って

伝えて、気付けなかったことを 謝りたいの」と

オレやジェイドにも 眼を向けた。











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