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「... 死なせて 欲しい」


がんがんする耳鳴りが 頭の中を打つ。


こいつ、今  何て 言った?


洒落っけのない 短い黒髪の頭の

ルカが出した印を見ていると、視界が ぐにゃりと歪んだ気がした。


朋樹が抱き上げている 紺のパーカーの身体


あれが、リョウジ だって 言ったのか?


口で息をする。

視界を戻そうと、一度 強くまばたきをした。


嘘だ。リョウジには、ミカエルの加護がある。

蝗は 憑かない。


「泰河、印を... 」


違う


蝗は、憑かなくても 外側からなら 吸血 出来る

成虫でない 卵なら、まだ “異物” って ことか?

脳に... ?


いや、そんなはず...  頼む、違う 違う ちがう...


急に 背後に気配が増えた。


「ミカエル! 悪魔だ!」と すぐ近くでジェイドが怒鳴る声が、遠くに聞こえる。


「全員 吸血か?」と ミカエルが握った剣の刃が

テーブルの上のライトを反射した。


「秤を降ろせ。下がっとけよ?」と、ミカエルが 隣から動く。


「泰河!」と、ジェイドが オレの右手を取った。

背後から何かが跳ね飛んで落ち、ドサッという 身体が倒れるような音。


「俺は、父親なんだ」と、男が 声を震わせる。


「もう 娘に、顔向けも 出来ない... 」


視界の端で、ルカが 顔を男に向ける。

「泰河、頼む」と言う、ジェイドの声。

足の横を、跳ね飛んだ悪魔の首が 落ちて転がる。


男の向こうで 朋樹が抱き上げている首の無い紺のパーカーの、ジーパンの先、黒いスニーカーには、ターコイズの 靴紐が...


唐突に耳鳴りが止む。視界がクリアになった。


「泰河! 止せ!」


男の黒いジャケットの襟を掴み、朋樹の赤蔓ごと

引き倒すと、男は腰を床に着いた。


「泰河!」


邪魔をするジェイドを 振り払う。

近くにあった椅子を引っ張り、座る部分に男の頭を押し付け 首を仰け反らせると、顎の下を噛り取る。


骨が痛む程 力が籠った顎を開き、血の味と 一緒に 皮膚や軟骨を床に吐きつけた。


なんで 顔が 笑うんだ?

脳が 甘い酒に浸ったように 愉悦し、身体中に広がっていく。ひどい高揚感だ。


血にまみれた穴に人差し指と中指を こじ入れて顎を上に引くと、ジェイドに蹴り飛ばされた。


なに すんだよ


ジェイドは 口を動かしているが、何を言っているのか わからなかった。

自分の息の音しか 聞こえない。


すぐ近くに 跳ね飛んだ首が落ちる。

ミカエルが 剣を水平に振り、二人の悪魔の首を 一振りで落とした。


剣に吹き飛ばされる血飛沫が 液体の炎に見える。幾ら斬首しても、剣は血に汚れず 澄んでいる。


そうだ まだ

転がった首の間に 手を着き、床を立ち上がる。


あいつに、違う と言わせる。

あれは リョウジじゃない、と。


きっと、頭と身体が違うから 混乱してるんだ。

別々にしてやれば、真実が わかる。


男の首の下から 椅子を外し

男を横にした ジェイドのジャケットを掴んで剥がすと、後ろから 首に腕が巻いてきた。


「... めろ、泰河」


腕は オレの首を圧迫する。


右手が 背後に動く。


ジェイドの隣に シェムハザが立ち、顎の下に穴が空いた男に視線を向け、男を支え起こしている。


血流が止まり、興奮と意識が遠退く中、右腕が 持ち上げられていくのを感じる。

質量を持った闇が 白い焔の模様が浮いた腕を巻く。手のひらと指先に 黒く硬い感触。


男と 眼が合った。


声は無く “まいか” と、口を動かした。


車の助手席でパンを食べる女の子が 過った時に

『 ... “獲ったのは 俺だ”...  』と、死神が囁き

指が 引き金を引く。

一瞬の後、弾が 男の額を貫いた。


『 ... “血の畑を”...  』と いう声を聞きながら

落ちた腕からの指から ピストルが離れ、意識は途切れ落ちた。




********




眼が覚めると、召喚部屋のベッドだった。


眼だけを 動かすと、カーテンの すき間から 明るい日差しが 入り込んでいるのが見えた。

昼下がりの色だ。


部屋には誰の気配もないが、微かなシャワーの音と、半分開いたドアの向こうから話し声がする。


「... 首無しの身体 五体は、どこに?」


ベルゼの声だ。


「トランクルームだ。クラブの右向かいにある。

身体付きの吸血首の 一人が トランクルームを開けた時に、榊が 首や身体の断面の匂いを嗅ぎ取った。

五体の身体を見付けるまでは、それが断面の匂いとは 気付かなかったようだが」


ボティスの声が答えると、ハティの声が

「最低でも地上では 五人。海の町でも 二体 見つかり、六山の向こうでは 三体。

首が すげ替わった者であろうと、尾長であろうと

体内に蝗を持つ者等は、吸血鬼本体の命を受け取るだけでなく、互いの意思を仲間に伝えることが出来るようだ。

吸血された悪魔等を含め、組織立って動ける」と話した。


「カフェに現れた悪魔たちは?」


シェムハザの声がすると、またハティが

「泰河を狙ったものと考えられる。

落ちた首の中には、脳に卵を持つ吸血のものだけでなく、奈落の悪魔のものもあった」と答え

「十二体で全部だったのか?」と 誰かに聞くと

「全部に決まってるだろ? 逃がすかよ」と、少し離れた場所から ミカエルの声が答えた。


昨日... というか、深夜


首が すげ替わった男を追って、クラブから

もう営業が終わったカフェへ侵入した。


突然 現れた悪魔たちを、ミカエルが斬首しまくった。

すぐ近くに首が飛んできて、血で床を汚した。

それは 覚えてる。


オレ、何してたんだっけ?


「地界からは、今の時点で 吸血する者が 二人 見つかっている。

拡大を防ぐよう それぞれ始末したが、パイモンの研究室で首をすげ替えた者と ソカリは まだ見つかっていない。

吸血悪魔にされた者は、地上でミカエルが斬首した者を含め、いずれも下級悪魔だ。

ジェイドやゾイという下級天使でも始末 出来る。

しかし、問題は ソカリだ。

ソカリは、自分と同等の中級程度の悪魔に接触することが可能だ」


「そうなると、上級の者にも累が及ぶ可能性が出てくる」


「ボティス、もし ソカリが見つかったら... 」


「勿論だ」と ボティスが 言葉を遮るように答え

「なるべくなら あいつのために、俺が 直接 手を下したいが、悠長なことは言ってられん。

見つけ次第 頼む」と 続けている。

自分の配下だ。本当は つらいだろうな。


「体内の蝗や卵のみを駆除 出来れば... 」と シェムハザが言うと

「卵と尾長であれば、泰河が可能だ。ルカが印を出せる。

しかし、成虫に関しては まだ... 」と、ハティが 言葉を切った。


「それについてだが」と、ベルゼが

「私の虫を 体内に侵入させ、成虫を食べさせてみたいと思っている」と言っている。


「しかし、これは特殊な虫となる。

人間なら、侵入されただけで 内から組織が溶け液状化する。悪魔でも耐えられるかは まだ不明だ。

ボティス。ソカリを始末するつもりでいるなら、私に回してくれないか?

パイモンが、成虫に含まれる 吸血鬼本体の遺伝子に、マークを付けることに成功した。

これは、体内で情報として溶け込んでいる場合であっても可能だ。

まず、私の虫の方に 印を付ける薬剤を散布し、成虫がいる悪魔の身体に侵入させる。

虫と共に 薬剤が体内に回り、成虫に印が付く。

虫に それを食わせ、私が虫を回収する」


ベルゼは そう説明をして

「つまり私が虫を回収するまで、身体が持つかどうかは その悪魔次第となる。

侵入させた虫が 蝗の成虫を食べる間、虫は 成虫が溶けた体内の組織にも影響を及ぼし、“殺してくれ” と懇願する程度の拷問となるが」と 付け加えた。


「わかった。頼む」と ボティスが了承している。


ぼんやりと、壁際のベッドで

カーテンの すき間から入る日差しとか、それで出来る 床の光の影だとか見ながら、このベッドで寝たんだったか?... と、ふと思った。


召喚部屋で寝る時は、いつもなら だいたい部屋の奥側か窓際側だ。

今は、壁際の入口側。


カフェから、どう帰ったんだっけ?


腕の袖は、部屋着のスウェットのものだ。

召喚部屋に戻って、着替えてすぐに寝たんだったか?


そんな気もするが、よく思い出そうとしたら

それが すげぇ面倒なことに思えてきた。


いいか、別に...


壁の向こうで脱衣室のドアが開く音がして

「ジェイド、シャワー空いたぜ」と、朋樹の声がする。


朋樹の声を聞いた時に 何故か、心臓が小さく跳ねた。

悪いことをして 見つかった時のような気分だ。

なんでなんだ?


「これを飲んだら 浴びてくる」と、ジェイドが答えている。


オレも そろそろ... と、ベッドから 身体を起こそうとしたが、身体 というか、気分が重い。億劫おっくうだ。

疲れてんのかな?


そういや、海から戻って すぐ動いたもんな。

一日くらい このまま だらけていたい気がする。

そんな場合じゃねぇことは、分かってるけどさ。


ジェイドが、シャワー浴び終わるくらいまでは

まだ 転がっててもいいか...


横向きだった身体を少し動かして、仰向けになった時に、下顎に違和感を感じた。

外側から触ってみても、特に何も変わりはないが

やたら疲れている感じだ。

寝てる間に、歯軋りでもしたのか?


「泰河」


シェムハザの声だ。いつもの甘く爽やかな匂い。

「まだ寝ているのか?」と 部屋に入って来て、オレのベッドの脇に しゃがみ、肘をついた。


「いや」と 顔だけシェムハザに向けると、すぐ近くにある 明るいグリーンの眼と 視線が合う。

なんだよ この距離感は... と 思いはするが、なんか見ていてしまう。美しいって すげぇよな。


「今、ジェイドがシャワーを浴びているが、ルカや朋樹は もう済ませた。

お前が浴びたら 食事を取り、パイモンが 新たに判ったということの 説明を聞きに行く」


「おう...  あのさ、昨日ってさ」


「深夜、カフェでは大変だったな。

悪魔は すべてミカエルが斬首したが、店内は 俺とハティで完璧に掃除をした。

首が すげ替わっていた者も、ミカエルが首を落としただろう? 舌を伸ばし始めたようだな」


あ そうだったっけ?

グリーンの眼を見ながら 話を聞いていると、何となく思い出したような気になってくる。

が浮かんで。

明るいハスキーな声は、聴き心地もいい。


「頭部には 吸血や産卵の器官や赤色髄の膜があったため、悪魔と見なされ、ミカエルの手に焼かれて灰となった。

身体の方は、洞窟教会に運んで パイモンが調べている。

首を すげ替えた男が クラブに顔を出して、カフェに移動したのは、お前をおびき寄せるためだったようだな」


そうか、オレは オトリだ。


「残念ながら、吸血鬼本体は現れなかったが...

悪魔の 一人が お前達の方に向かった時に、お前に死神が降り、その悪魔を撃った。

その時、死神は何か言ったのか ?」


確か、何か必死だった時だ。

死神は オレの右腕を上げると...


今、なにか よぎった。海... ?


「泰河」と 呼ばれて、グリーンの眼を見る。


「ああ、そうだ。“獲ったのは俺だ”、だった」


引き金を引いて、弾が悪魔の額を貫いたのを思い出した。悪魔の顔は、よく思い出せない。


「それだけだったか?

相手は 奈落の緑肌の悪魔だったが、ミカエルがいる場に、悪魔 一人のために 何故 死神が、わざわざ降りたのかが疑問なんだ」


他に、何か言ったか?

... いや、そうだ。


「“血の畑を” って 言ってたぜ。

何かは 分からねぇけど」


「そうか... わかった。では、お前も もう起きろ」と、シェムハザが指を鳴らすと

今 また目覚めたような感覚になって、ベッドから 身を起こした。


リビングに出ると ベルゼとハティはおらず、バーカウンターの方から ミカエルや朋樹、ルカが、ソファーに移動してくるところだった。


ボティスが オレを見て、自分の隣を指し示すので

そこに座り、シェムハザからコーヒーを受け取る。


「相変わらず派手な寝癖だ」と、ボティスが オレの後頭部に触れた。


「しょうがねぇだろ。勝手につくんだしさ」


「おまえ、よく寝てたよなー」

「バスの中で、もう寝かけてたもんな」


向かいに座った朋樹を見ると、胸が痛んだ。

何なんだ? 寝起きから ずっと...


「こっち向いてみろ」と ボティスに言われて

顔を向けると、額を指ではじかれた。


「痛てっ! 何だよ?!」


朱里アカリは、お前等がカフェにいる間に

沙耶夏達と共に アコが送った。

自分から気にして聞け。連絡しとけよ」


やべ...  オレ、朱里のこと 気にしてなかったぜ。


「うわっ、こいつ最低じゃね?!」

「俺、さっきファシエルのとこ行ったぜ?

ハティが馬 連れて来たから、また預けに。

サヤカが疲れてるし、今日は昼から営業だったけど、二人共 癒して来た」

「先が思いやられるよな。最初から 朱里アカリちゃんに甘え過ぎだろ」


うるせぇよな。寝起きから すぐ。


けど、放ったらかしで帰したのは良くねぇよな...

なんか今日 ぼんやりしてたし、余計なんだよな。


「泰河、起きたのか?」と、首にタオル掛けたジェイドが ルカの隣に座り

「シャワーの時、ついでに洗濯 回しておいてくれ」と、シェムハザから青い瓶の水を受け取っている。


「おう」と 残りのコーヒーを口に運び、昨日 ジェイドの怒った顔を見た気がして、また少し考える。


つい、見ていると

「何だ? 泰河。 そうだ、落ち着いたら

朱里あかりちゃんに聞いて、キヨの美容室に行ってみようと思うんだ。

お前が 気持ちを打ち明けた時の様子を聞きに」とか 言い出して

「いいな!」「オレも行く」と盛り上がり出したので、さっさとシャワーに向かった。

朱里に “美容室は教えるな” って、口止めしねぇとな...











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