13


「天使に祈ってた って... リラを騙したのは

天の者の恐れもある ってことか?」


ミカエルが、ブロンドの睫毛に縁取られた碧眼を

翳らせ、ギッと奥歯を軋らせた。

オレを見て言ってる訳じゃないのに、空気に殺気が混じり、ゾクっとする。


「リラは信徒だった。

その時に天使に祈るのは、不自然なことじゃないだろう」


シェムハザが答えて、ボティスも

「天使は 人間に加護は与えても、契約は結べん」と、付け加えてる。


でも、ザドキエルは

『私は、天の者が騙した という可能性も捨てない。

現に 私もサンダルフォンも、人間の魂に使命を与え、使ったのだから』と

自分を戒めているように 厳しい眼になった。


『リラのことで、一つ 聞きたいんだが』


ザドキエルは、ふと オレに視線を向けると

厳しくしていた眼を緩める。


『彼女は、この国で育ったフランス人なのだろうか?』


「え?」


オレの手を握っているままの榊の指が

ピクっと 小さく反応した。


『私が海中で見つけた時は、ブロンドの髪色に

グリーンの眼をしていた』


「エデンのゲートで見た時も... 」と ジェイドが言うと、泰河も

「エデンでもだった。精霊のルカが抱き締めるまでは」と 頷きながら言ってる。


「おまえが精霊で抱き締めた時に、リラちゃんの髪は黒く染まっていった。

“ルカくん” って、おまえの名前 呼んでさ」


「魂の情報から造られた、今の天使の身体の

髪や眼の色は、この国のものだ」


ミカエルの言葉に、ザドキエルは頷き

『預言者として降ろす際に、埋葬された遺骨を取り、地上の身体を作ったが 

その時は 今のような、黒い髪や眼の色になった』と、説明した。


『死後 稀に、遺伝子情報に組まれている先祖の血の情報が、姿に影響することはある。

肉体とのくさびを失ったからだ。

だから、地上の身体を造った時は

死後の幽体の姿は、遺伝子情報の影響によって

頭髪や眼の色が違ったのだろうと考えた。

だが、今 考えると、海中にいた リラは言語もフランス語だった。

Je vous salue, Marie, ... と、アヴェ マリアを読んでいた』


ジュ ヴ サリュー マリ。初めて聞いた。

フランス語って 静かで綺麗だよな。


「クォーターらしいけど...

ばあちゃんがフランスだって聞いたぜ。

名字も “真島” だった」


リラは オレの前で、一度もフランス語を使ったことはなかった。

いつも 多少 辿々しく、ゆっくりと話す。


... 自死の時の記憶では、どうなんだろう?


オレには、思っている心や感情が移るけど

それは 言葉で届くのとは違う。


例えば、誰かを “好きだ” って思った場合

イタリア人のジェイドなら、心で言葉にすると

“Mi piaci... ミ・ピアーチ” となる。

だけど、オレが その思念を読み取ると

“ああ、好きなんだな” って、思いや感情になる。


だから、どんな言語で それを思ったのかまでは

分からない。


榊が、隣からまた オレを見上げた。


そういえば榊は、前に不思議なことを言ってた。

“リラは 人魚なんじゃないか?” って。


「榊。“Renarde” に、反応していたな」


シェムハザが 榊に言うと、榊はシェムハザに顔を向け、迷ったように開きかけた口をつぐんだ。


「前にさぁ、オレに話したことを

みんなにも 話してみたら?」


「む... 」と、まだ迷ってたけど

「何か関係するかもしれねーじゃん」と

榊と繋いでいる手に少し力を込めると

「... 夏、皆とまだ 海におった際のことじゃ」って

話し始めた。


ここで、ボティスが天に取られてから

オレらは 知らなかったけど

榊は夜中、ひとりで砂浜を歩いていた。


その時、海から女が上がって来て

その女の姿が、ブロンドでグリーンの眼をした

天使姿のリラに似ていた っていう。

“人魚” と呼んでいるけど、裸の女だったようだ。


女は榊を、“ルナルド” と呼んだ。

フランス語で “雌の狐” という意味らしい。


満月の夜までは毎夜

海から上がってくる女と砂浜を歩き、話をした。


話している間に、榊は 少し鼻をすすり出した。


「別れは、満月の 晩であった」


人魚は、寄せて返る うたかたの波に

泡になって融けいった。


「溶けた... ?」


泰河が聞き直すけど、榊は頷いて瞼を擦る。

シェムハザと朋樹が 眼を合わせた。


「榊、ごめん。話させたりして」


赤いフードを被ったままの榊に言うと

「構わぬ」と、赤い眼で笑ったけど

榊は たぶん、話したくなかったんだろうと思う。


人魚が、リラだったのかどうかは分からないけど

榊には 大切な存在で

大切な時間だったことはわかる。


「そのさ、溶けたってさ」


泰河が榊に眼をやって、気ぃ使いながら

「教会での、アリエルに似てないか?」と

続けた。ジェイドが頷く。


天使から “翼を取らないまま” 中途半端に堕天させられた アリエルは、天使の姿なら プラチナブロンドの髪にラピスラズリのような 深い藍の眼をしているのに、黒い髪と眼の この国の人に近い姿になっていた。

シェムハザの奥さんの、人間のアリエルは

そのまま 黒髪に黒い眼だ。


“自分の足で教会に入れれば 天に戻す” と

サリエルに 試練を与えられたけど

教会に着くまでに、いつも身体は溶けてしまう。


「それなら、これもサリエルなのか?」


朋樹が聞くと、ボティスが

「いや。天使は人間を “繋ぐ” ことは出来ない」と答え、ミカエルやザドキエルも

「リラは天使ではなく、人間だった」と 答えた。


「サリエルの仕業じゃないし、リラちゃんは 天使だった訳でもない ってことだよな... 」


それでも、泰河は 何か引っ掛かるみたいだ。

けど オレも、アリエルの時と 人魚の状況が似てる気がした。


人魚と何者かの契約内容に、何か試練のようなものがあったと仮定してみる。

それに、結果が出せなかったから 泡になっちまった... とか。


「とにかく、契約主を探す」


ミカエルが右手を開くと、つるぎが顕現し

その柄を握る。


「シェムハザ、天の眼をくらませ」と言いながら

背の白い翼を広げると

海上に浮かぶ狐火の位置へ、瞬時に移動した。


シェムハザが 青白い天空の霊を降ろし

「天から隠せ」と 命じると、霊たちは空に向かい

ミカエルを中心に 上空に広がり覆う。


ミカエルは、両手で逆手に持った剣で

海面を突いた。


眩しさに眼がくらむ。


「えっ?」「何... ?」


突いた海面に 十字に光が走り、海が割れた。


「モーセの... 」


ジェイドが 信じられないって顔で呟く。

流動する海の壁の間には

幅5メートルくらいの 砂地の道が出来て

ミカエルは 道の十字が交差する真ん中にいる。


「そう。“奇跡” ってやつだ。

モーセの時は 父の力で為したが」


ボティスが 榊の前まで来て、空いた手を取る。

けど榊は、オレの手 離さねーし

三人で 海の壁の道に足を踏み入れる。


ジェイドや、泰河と朋樹も 後に続いて

「ザドキエルは?」と 振り向いて聞くと

『召喚円を出ると、光の形になる』と 両手を軽く拡げる。シェムハザと 一緒に待つことになった。


歩き進むにつれ、壁の位置が高くなっていく。

壁の向こうには 時々、小魚や海月くらげが見えた。


「ごめん。不謹慎だけど、すげぇな... 」


つい そう言った朋樹に振り向いて

「おう、すげーよな!」と 答える。

いや、マジで すげーってのもあるけど、なんか 気ぃ使い過ぎて欲しくねーんだよな。

腫れ物に触る とか みてぇにさぁ。


オレを見た泰河が、おもむろに 海の壁に寄って

腕を差し入れた。


「おっ」「どーなんだよ?」


泰河は、2秒くらい経ってから

「アガぁッ!! 冷てぇ!!」って、すげーイキオイで 腕を抜きやがった。

右の肘から先が 海水で濡れてるし、もし突っ込んだら 寒中水泳になるっぽい。


榊が 薄く口を開けて、狐火を出すと

泰河の方に ゆるゆると飛ばした。


泰河が、濡れた袖の腕を前に出すと、狐火が円を描くように 腕の周囲を回って、しゅうしゅうと音を立てて 蒸気が上がり、みるみると袖が乾いていく。


「おまえ、やっぱり いきなり試すよな」


分かってたけど ってツラの朋樹に、泰河が

「おまえだって気になっただろ?」と 返すと

「おう。やるとは思ったけどな」って 笑った。


さっきの、“不謹慎だけど” って 一言は、オレに気ぃ使ったのもあるし、泰河の こういう動きを誘ったものでもあるっぽい。


「どうやって こうしてるんだろう... 」


まだ ちょっと、ほけーっとしたまま

ジェイドが 左右の海の壁を見つめる。


壁の高さはもう、オレらより ずっと高い。

夜の海は、陸とは違う 深く冷たい闇があった。

歩く砂地には、岩や 横たわる海草

空っぽの貝が落ちてる。


「天の術だ。上級天使の内、幾人かは出来る。

言葉通り、割っている からな。

壁面に膜などがある訳じゃあない」


ボティスが言うには、これが出来るのは 聖父やミカエルに限らねーらしいけど、こんなの聖書の世界だしさぁ。すげーよなぁ。


十字の中心に着くと「遅い! 走れよな!」って

文句 言いながら、ミカエルが降りて来た。


くらい海の壁に囲まれていると

月明かりを受ける白い翼が 余計にまばゆく見える。

ミカエルが居てくれると、こういう現実離れした所にいても、ホッとするんだよなー。


いや、割ったのもミカエルなんだけど

何かあった時とか、あった後も

ミカエルがいるだけで、胸ん中が落ち着いてくる。


「リラは ここに繋がれていた ということか」


何もない砂地に視線を落としたボティスが

今度は、真上に浮く狐火を見つめてる。


「微かに 何かの跡はあるな」と

砂地にミカエルが、手のひらを着けて言った。


「夏に呪箱を見つけたのは、あの辺りだ」


ボティスが、海の壁の向こうに見える大きな岩を指差した。

「あの岩の向こうだった」


「やっぱり、掃除に来たところだね」と

ジェイドが言う。

「あの呪箱は、シェムハザが海から上げた。

僕らは、その日の昼間も ボートで来てる」


そうだ。最初は ジェイドとボティスが同じボートに乗ってて、オレは泰河と乗ってた。

他のボートは、女の子と乗ってるヤツらばっかりで、オレもビキニと乗りてー って思ったりした。


「このような場所に... 」


榊が、周囲の冥い海の壁に 眼を向けて言った。

冷たい闇の中に。


あの時も、すぐ下に リラが繋がれてたんだ...

何も気付かなかった。キシ と、また胸が軋む。


「おい、ミカエル... 」


泰河の声で、ミカエルの方を向くと

ミカエルは 海の壁の中へ歩いて行ったところだった。

呪箱があったって場所を見に行ったみたいだけど

海ん中も、浮遊感 出さずに 普通に歩いてやがる。


オレは その場にしゃがんで、榊と繋いでない方の手のひらを 砂地に着けてみた。

何か残ってるかも、とか思って。


「あ... 」


思わず 声になる。胸の中で、心臓の上にある骨に

小さく 熱を帯びた気がした。


何かが、胸の中に広がっていく。

よろこびのような、それを見つけた時のような...


「ミカエル、大丈夫なのか?」

「冷たくねーの?」


海の壁から出て来たミカエルは「全然」と 一度 両翼で自分を包むと、もう髪も服も乾いてた。

便利だよなぁ。


「もう何もなかった」って言いながら、ミカエルが オレの背後に視線を向ける。


オレも振り向いてみると、後ろには朋樹がいて

朋樹は オレを見てた。


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