5 猫


「蜜柑、まだ食う?」「食い過ぎじゃね?」


里での くりすますの催しなども無事に成功を収めると、その夜は屋敷で眠り、翌日は皆で くだんの大通りへ出た。


だが、幾度あの辻に入ってみようと

人等は 猫頭にはならなんだ。


儂とヒスイは、真実まことである と またも訴えたが、大通りは 普段の様相である。


その翌日は、ヒスイと朋樹がテェマパァクへと旅立ち、泰河等は そこそこに仕事をこなし

今日は皆、朋樹の実家に お邪魔しておる次第よ。


『おう、帰ったぜ』と、朋樹が ぞろぞろと儂等を引き連れて参っても、朋樹の母君は

『あら、朋。おかえり。

皆さんも いらっしゃい。荷物は客間にね』と

まるで動じずであったが

後ろからボティスが顔などを覗かせると、流石に

『あらっ、ヒスイちゃんやジェイドくんの ご友人かしら?! 日本語は?!』と、些か焦っておられた。


『ボティス・ルチーニ。榊が付き合ってる』


朋樹の紹介に、儂は顔を熱くしたものであるが

朋樹の御家族は、儂が空狐であり、月夜見尊に仕えておる と知っておるのじゃ。


『まあ!... と いうことは、この方は?』


『地上にいる元天使。歳は何千歳』


母君は、再び『まあ!』と口元などを両手で覆い

こう! お父さん呼んで来て!

さぁさ、どうぞ お上がりになって下さい』と

ボティスを 地に降りた神の如くに扱うた。


そのようであるので、ボティスが、父君や母君、並びに 朋樹の兄弟に『お前』と 言うたりしても

誰ひとりとして、疑問に思わなんだ。

儂は密かに 胸を撫で下ろしておった。


今は皆、居間で寛がせてもろうておるところよ。


「お前は 明日、琴を弾くのか?」


庭の鹿威ししおどしなどに眼を向けたまま

三つ目の蜜柑を剥く儂に、ボティスが聞く。


「どうやら、そのようであるのう... 」


先頃、楽隊との音の合わせには、朋樹や泰河と共に、何故やら儂も参加した。


「琴の奏者が、一人 遠くに越したらしいからな」

「けど おばさんは、奏者 探してなかったらしいよな」


ふむ。当てにされておったようじゃのう。


「だけど 明日はまた、あなたが琴を弾く姿が見れるのね」

「僕も楽しみだ。背筋や指先が美しかった」


ふふ。悪うない気分で『ふむ』と 頷く。


「あっ、晄くん」


ルカが眼をやる襖の先には、朋樹の弟の晄樹がおり、儂等に なかなか声を掛けられぬであったようで、ルカに気付かれ、ホッとした顔になった。


「父さんが、“泰ちゃんの祈願” するって」


これは年に 一度、朋樹の父君が神主を務める神社の、神降ろしの間で行うのであるが

何処どことも分からぬ言葉で祝詞を唱え

泰河の背の影に、白き焔の獣を降ろす というものじゃ。


父君は、何故なにゆえにこれをするのかの説明などもされず、降りた獣は、泰河の背から 空へ駆け上がる。


皆で神社へ移動し、灯火以外に明かりもない 狭き 神隠しの間にて、降ろしの儀式を見守る。


「... ドケツハケッツ フヨ アタ ドッド スサノハァ

バケー ヴァ ハケツ イエツェール イトゥ ウガ... 」


心許なき灯火の火に、泰河の影が ちらりと揺れる。


「... エーイエ アーシェル エーイエ...

エーイエ アーシェル エーイエ...

エーイエ アーシェル エーイエ...  ヤイェー... 」


... 獣は、降りなんだ。


神降ろしの間を出ると「どういうことだ?」と

皆で話し合う。


「オレは、いつもの感覚はあったぜ」と

泰河が申す。

これは、外界に自分が融け出し、一体となる感覚がある と言うのじゃ。


「一体? 何と?」


ボティスが聞くと、泰河は眼を ちぃと上へ向け

結局のところ「解んねぇ。全部?」と 答えた。


「一度、春頃に降ろしたことが関係しているのかもしれんが、まぁ、気にせんでいいだろう」


父君は 何やら、獣が降りずであったことに

ちぃと 安堵しておるようにも見えた。

獣に対し、得体の知れぬもの という感触を持っておられ、一度は泰河の眼や腕の模様を隠しもした故、このようであるのは 分からぬでもない。


「一度 会っているからな」


またボティスが申すと、ルカも泰河も

“あっ!” といった表情となり

「そうじゃん、駐車場で!」

「人型になったしな!」と、騒ぎ出した。


父君は、ピクリと反応しておったものだが

朋樹の兄上の 透樹が参り

「父さん、厄払いを... 」と、父君を呼んだ。

忙しくあるからのう。


「あの時は、泰河の影に消えてなかった?」

「なら、既に居るってことか?!」


だが泰河は、何も感じずであるようじゃ。


話しておっても答えは出ぬ。


儂等は、振る舞い酒の準備や、その他諸々の雑用を手伝い、神社から また朋樹の実家へ戻った。


年越し蕎麦などをいただき、朋樹の ご家族は既に入浴などは済ませておったため

「順にお風呂に お上がりなさい」と、母君に勧められたものであるが、人数が人数である故、湯屋などに参ることにした。


神社や実家の山を下り、街へ出たものだが

大晦日の夜とだけあって、閉まっておる店も多く

車の通りも少なく、閑散としておった。


しかし、大きな複合施設型ビルなる最上階にある

“南国リゾート風” である湯屋には、そこそこに人が居り 『里帰り組もいるし』

『このビル以外は休みのとこばっかだからな』との

ことのようじゃ。人が集中しておるようじゃの。


受付などを済ませた朋樹が

「じゃ、後でな。ゆっくりいいぜ。

上がったら、あっちにいるよ」と

バーカウンターなどのある、休憩場を指差す。

“タイ式マッサージ” などの札も出ておった。


ボティスも軽く片手を上げ、皆と共に男湯へ消える。

儂とヒスイは 女湯の脱衣所にて、脱いだ服や手荷物を ロッカァに入れ、ヒスイが鍵を掛け、湯煙りの見える洗い場と湯船に向かう。


ヒスイは、手足や腰は細くあるのであるが

見事な美しき胸と、キュと上がった尻をしておった。暫し 凝視するかの如きに見てしまい

「なぁに? 恥ずかしいわ」と 笑われる。


「むう...  見事であるのう... 」


大変に大きくあるのではないのじゃ。

朱緒様... 衣服の上のみからしか知らぬであるが

そう、大層に御立派な朱緒様程に 大きいのではないが、大変に美しき形にある。


その胸の下の腹に於いても、すう と引き締まり

腰の線の なんと好ましきことか。


そのように見るのは、無論 儂だけではなく

周囲の女子おなごも、“わぁ... ” といったように

口を開け、羨望の眼差しを送っておった。


ふむ。

朱緒様を羨んだ時は、衣類などがあってこその

ところがあったようじゃ。

このように、すべてが見えてしまうと

ただ見惚れるのみであり、羨ましさなど超える。


「もういいから。早く洗って、いろんな お湯に浸かりましょう。

私は、日本でしか 浴湯に浸からないしね」


ヒスイは、儂の手を取り

かぷせるを縦半分に切ったような洗い場へ連れて行く。

シャワーの湯を出し、ヒスイが髪を洗い出したのを、隣で見惚れる。

二の腕や 伸びた背筋の美しきことよ...

そうして シャンプウの白き泡などが、背の片翼や

その身を包み流れてゆくのじゃ。清くある。


「洗わないの?」


「ふむ。儂はシャワーが苦手である故。

海などの旅先でも、ジェイドに洗うて貰うておったのじゃ」


「なんですって?!」


「... むっ?! おお、違うのじゃ!

儂が、狐身になってのことよ!」


ほやりとして答えてしもうたため、誤解など招きかけたものであるが、弁解すると

ヒスイは ふう と安堵のような息を洩らし

半かぷせる内に 儂を立たせ、髪や背などを洗うてくれた。


「あなたは、とても綺麗よ。

しっとりとしていて」


纏め上げた髪の 儂の背に、ヒスイが言う。

「うなじから背中にかけてなんて、同じ女でも ハッとするわ」


「むう... 世辞など良いのじゃ。

儂は今、お前が見たくある故」


つい、ホロリと本音などを溢して振り向くと

ヒスイは ちぃと、顔を赤らめた。


「あの、そういう風に振り返るのは

ボティスだけにしておくことね」


「む? 何故?

見たいなどと溢したからであろうか?」


物欲しげであったやもしれぬ。

ちぃと恥ずかしく思うた。


「色気よ。私に薄いもの。あなたは濃密だわ」


このような薄き胸の儂に、そのようなことを言われてものう...

腰なども なだらか過ぎにあろう。

儂は また知らずして、己の胸に手を当て

拗ねたような顔になっておったようじゃ。


ヒスイは、今度は ちぃと笑い

「どのお湯にする? ピンクもあるわよ」と

儂の手を引いて行く。


「ふむ! 良いのう!」


薄桃の湯は ほのかに桜に香り、大変に心地よくあった。

暫し儂等は 湯に浸かり、互いのことを 打ち明け合う。


どのような色を好ましく思うか

好んで食すものなど、子等のような話であるが

儂は 大変に楽しくあった。


「見て、露天もあるわ。

ビルだから、情緒というものは薄いかもしれないけど」


しかし、儂等は行ってみることにした。


湯気に曇っておったガラス戸を開けると、そこはスマホンで見たような 南国の森をイメェジしたものであり、木々にだけでなく地面に 緑が生い茂り

木の枝から枝へと 蔦なども絡まっておる。

森の中の泉が湯船になっておる という感じじゃ。


鳥などの囀りは CDなどであろうが、なかなかに良く出来ており、この国の野生にはおらぬ 派手な羽根を持つ鳥や 大きな蜥蜴とかげの類などが 出て来そうにある雰囲気であった。


「貸し切りね」


今夜は、そう寒くないものであるが

他の者等は、外の湯に出ておらぬ。


儂等は 泉の青き湯に浸かり、ソーダのような 甘き清涼感のある香りを楽しんだ。


そろそろ喉も渇いてきたこともあり、ボティス等も待たせておるのではあるまいか と、上がることとする。


青きソーダの湯を後にし、内から曇ったガラス戸を開けると、そこは猫頭等で溢れておった。


「どういうことなの?!」


「むう... 場所は、あの大通りに 限らぬであったようじゃのう」


猫頭達は、無論 女子おなごであり

また 皆 裸である。風呂である故。


それらが、頭や身体を流し、薄桃や 黄や白の風呂、またジャグジィなどを楽しんでおるのじゃ。

面妖なことよ...


儂とヒスイは、視線を合わせ

「... 誰かに、何か話しかけてみる?」

「ふむ... しかし、何を?」と 相談する。


話は纏まらぬであったが

「あの スコティッシュにするわ」と

果敢にも近付いて行く。

「おお、待つが良い!」と、儂も追う。


スコティッシュなる猫は、耳が寝ており、顔が大変に丸くあった。狸時の桃太の比ではない。

ふむ。話し掛けやすくはあろう。


「あの、突然 ごめんなさい。

あなた、その... スマホ 置いてらっしゃるわよね?

今 何時なのか、教えていただきたいのだけど... 」


むう。湯などに濡れれば、故障するのではあるまいか?

しかし、スマホンには防水のものもあり、スコティッシュが持っておるものは 密封がされるビニイル袋に入っておった。


「時間ですか?」


むっ! 人語である!

スコティッシュは 露さんの如き緑の眼を、ビニイルのスマホンに移した。


横から見る眼の角膜の 迫力のあることよ...

透明なレンズが ドームのようにある。

猫等は 人等に比べると、明るさなどは七分の一程でも見えるようであるが、視力は十分の一程であるという。

そのようであるので、動くものは逃すまいと

余計に身体が反応するようじゃ。


「22時越えたところですね。4分です。にゃ」


む! ヒスイも ハ と、口許を片手で覆う。

今、“にゃ” と、言うたか... ?


「... ありがとう、助かったわ」


ヒスイは、なんとか冷静さを保って答えると

儂の手を取り、あまり人気のない普通の風呂に

共に浸かり「男湯は どうなのかしら?」と 疑問を口にした。


「はて、聞いてみらねば 分からぬであるが

皆もう 浴場からは、出ておるかもしれんのう」


「でも 浴場だけじゃなくって、このビル全体か 街全体が範囲だったら、見ている可能性も、猫になっている可能性もあるわ」


ふむ... 有り得ぬことではないが

そう大規模でもないのでは? といった気もする。

大通りから教会の朋樹に連絡した時などは、朋樹は朋樹であった故。


しかし、同施設内であれば 有り得るかもしれぬ。

そう広き範囲でもない故。


「だが大通りの時は、駐車場に辿り着けなんだ。

このまま施設から出られるのであろうか?」


大通りの猫頭を見た際、儂等は駐車場に向こうておったにも関わらず、また大通りに出たのじゃ。

儂等は その後、再び駐車場へ向こうた。

すると辿り着けなんだ駐車場があり、車に乗って出ると、人等の頭は 人に戻っておった。


そのように考えると、まず先程の露天に行き

元の状態に戻った後でなければ、浴場を出ることは 叶わぬのではなかろうか?


「うん、そうね...

でも脱衣室は そこに見えるし、今 黒猫が入って来たわ。まず脱衣室に行ってみない?

脱衣室の先に出れなかったら、露天に戻りましょうよ」


ふむ...


「だって、どこまでが猫の範囲なのか気になるし

さっきの人、にゃ って 口走ったわ。

かわいくなかった?」


儂等は湯を上がり、脱衣室に向かった。




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