6 息吹 ゾイ (第八日)
「じゃあ、次!」って、ミカエルが言う。
この “次” というのは、お味噌汁のようで
菱目打ちを叩いて、レザーに糸を通すための穴を開ける朋樹の隣から、蝋で糸を引いていた泰河が
「オレ、やるからさ」って キッチンへ向かう。
「味噌汁だけか... 」
「米 欲しくなるよなー」
お椀が足りなくて、カップに注いだお味噌汁を
私も 一つもらったけど
ほうれん草は溶けかかってて、若芽はぺラリとしてる。全体的に くたくただった。
「作りたてに見えんな」「朝の残りみたいよな」と言う、朋樹とルカに
「味で勝負」って 泰河は答えてて
ジェイドとミカエルは
「野性味があるね」「店のとは違う」って感想だけど、そう不満もないみたいで、こっそりと胸を撫で下ろす。
「おまえ、下書き 進んでんのかよ?」
ミカエルが、ルカの絵を見に行ったから
私は、キッチンに洗い物に立った。
「これ頭だろ? 翼で... まだ よくわからないな」
「うん、今日は ちょっと色 置いて終わるし。
何日か掛かるしさぁ、のんびりやるぜー」
朋樹が、お味噌汁を飲んだカップを持って来て
「おまえ、沙耶ちゃんと何か
セラピーみたいなやつ やるんだって?」と
サイフォンをセットし出した。
「うん。沙耶夏が占いしてる間にね。
退屈だから」
朋樹は、ミカエルやジェイド程ではないけど
色白な肌をしてる。
額や頬にもかかる しっとりとした黒髪や 端整な眉に黒い睫毛、深く黒い眼の色のせいで、余計に白く見えるのかもしれない。
だけど、もの静かそうなのに、大人しいのとは違う。
喋ると、落ち着いた声で ぶっきらぼう。
仕事の時も 派手に攻撃を仕掛けるのが好き... っていう、パッと見のイメージとは少し違うタイプ。
私には 微量ながらに、朋樹の血が混ざってる。
そのせいなのか、こうして傍に朋樹がいると楽になって落ち着く。
外出したり、お店で仕事をしたりした後で、沙耶夏とマンションに帰った時みたいに。
「どんなこと するんだ?」
「夢屋さん」
アルコールランプに可燃用アルコールを足しながら「詳しく」って言うから
サイフォンの濾紙をセットしながら
「テーブルで、催眠で寝てもらって、望む夢を見せるんだよ」って 説明をする。
時間は5分くらい。目覚めにドリンクがついて
初回は 500円。二度目から 800円。
「そんなこと出来んのか?」
「うん。催眠に入る前にイメージしてもらうだけ。数日に及ぶ夢でも5分で大丈夫。
自分でコントロール出来る人もいるみたいだよね? それが出来ない人向け。
催眠で眠ったら、背に触れて癒しも施すよ」
催眠で眠らせることは 元々 出来たけど、見たい夢を見せられると気付いたのは、ごく最近のこと。
沙耶夏が疲れて見える時、お店の休憩中に 催眠で眠らせてた。
“どんな夢が見たい?” って、ふざけて聞きながら。
“うーん... じゃあ、うさぎになる夢”
“わかった。おやすみ”
カウンターで、自分の腕を枕に うつ伏せた沙耶夏に、“望む夢を”... と 催眠をかけて、背に触れる。
触れるのは、疲れが癒えたら と思ってしてることで、相手が起きていても施せる。
幽体の中に強張っているものを探して 解消する。
直接、念などを解消するわけじゃないけど
疲れて固まってしまった部分を
シェムハザは自分の魂を分け与えて癒すけれど
私がしていることは、朋樹の禊祓いに近いのかもしれない。補うのではなくて、
珈琲を淹れてる間に目覚めた沙耶夏は
“なったわ。うさぎに” って言ったから、その時は
二人で笑ってた。
だけど、また別の時に 同じように寝せてみても
沙耶夏は望む夢を見た。
南の島でバカンスする夢、空を飛ぶ夢、という
ベーシックな夢から
“マグロの 一本釣りに挑んでみる夢”
“ロッククライミングもしなくてはならない高難易度の山に登頂する夢”... という、およそ沙耶夏らしくない夢にしてみても、やっぱり その夢を見る。
沙耶夏は、片手で崖に ぶら下がったりもしたらしかった。
そして、催眠で寝せて夢を見せた日は、夜とても良く眠れて、翌朝の寝起きはスッキリとしているみたい。
「へぇ... けど、夢で啓示を与えるんじゃなくて
操作に近いことをするって、魔術的だよな」
水を入れたサイフォンの下ガラスをアルコールランプで熱しながら、上の濾紙に珈琲の粉を入れて、朋樹が言う。
「うん、私も少し思った。
もしかしたら
インクブスというのは夢魔のこと。
女性型はスクブス。
人間の夢に現れるし、性交までする っていう。
以前、
天使や悪魔は、睡眠を必要としないけれど
眠ろうと思えば、眠ることは出来る。
夢魔は、眠ることがない。
相手が下級天使であっても、悪魔が 自分の身に
天使を宿すのは大変なこと。
あれだけ術に
「そうなのかもな。
でも おまえさ、それ、相手が沙耶ちゃんだから出来るのかもしれんぜ。
仲良いし、沙耶ちゃんの方にも霊視力があるからな。
まったくの他人にも見せれるのかは わからねぇだろ?」
「あっ... そうかもしれないね」
それは 考えてなかった。
「ジェイドには話してみたのか?」
「ううん。まだ言ってない」
ジェイドの方を見てみたら、今は露を抱いて
皆でテーブルを挟んでソファーにいた。
ビスコッティの箱が置いてあるから、珈琲を待ってるんだと思う。
「あいつ、おまえのことは何かと気に掛けてるからな。そういうことは話しとけよ。オレにも」
「うん」
こぽこぽとサイフォンが鳴って、カップの濾紙の中で 珈琲が抽出されて、お湯が染まっていくのを見る。
気に掛けてもらえるのって、嬉しい。
天でも 皆 お互いに親切だったけれど、何かが違う。
「結構 長い時間、聖書のことやったのに
まだ全然 進んでないんだろ? 2章までだって?
さっき、ミカエルもビビってたじゃねぇか」
「うん。ジェイドと 二人だと、ついのんびりしてしまうから。
カフェで お昼を食べたり、他の話もしてたしね」
スプーンで濾紙の中を軽く かき混ぜると
アルコールランプを引いて 火を消す。
火を見ると、まだ ふと シェハキムの炎の川が
頭を
ミカエルのことを、今みたいに素敵だ と思うまで
本当に こんな風に思い出すことはなかった。
忘れたことにして、しまっておくことが出来てた。滅したこと 以外は。
そうして、天にいた頃の方が
ミカエルから ずっと遠かったのに
今の方が もっと遠い気がしてしまう。
ジェイドと話した時までと 今とは、確かに違うし
リグエルを理解しようとは努めるけれど
まだ時間は 掛かるかもしれないし
復讐に 滅したことは、拭えることは ないのかもしれない。
沙耶夏には、話したことがない。
沙耶夏は女性だから、聞かせると傷付けてしまう気がして。
けれど、こうしたことは 秘めている方が 胸に
サイフォンの下のガラスに、すっかり珈琲が溜まって、濾紙まで染めて沈んだ珈琲の粉を見ながら
上のカップごと濾紙を外して
「もう出来たから、また珈琲のカップを... 」と
隣に向くと、朋樹は 愕然とした固い
「まただ。流れ込んできた」
霊視... ?
気を抜きすぎた。
朋樹の霊視方は追体験だ って聞いたことが...
「その 死体は?」
「なんでもない」
「赤毛の男は?」
リグエルだ...
朋樹は、強張らせていた表情を カッと怒らせた。
「... 一度じゃ足りんぜ。
試してやるよ。オレを眠らせろ。今すぐ」
「朋樹?」
その場の床に胡座をかくと
「5分も要らんぜ」と、苦々しい顔で 吐き捨てるように言う。
「珈琲 まだかよ?」っていう、ミカエルの声。
朋樹は「早くしろ」と、私の手を引く。
どういうつもりなのか わからなかったし、朋樹が少し怖かった。
動揺して迷いながら、結局 手を取ったまま、朋樹を眠らせた。
ジェイドが傍に来て、眠っている朋樹を見ると
私と視線を合わせる。
「... ああ、珈琲は出来てるね」
「すぐ持って行くよ」と
テーブルに向いて言いながら、朋樹の前に立って
カップに珈琲を注ぎ分けてる。
手を取ったままでいるせいか、朋樹の夢が見える。朋樹は、炎の川の ほとりにいた。
シェハキム北、五層。あの日に。
赤毛の髪に 天衣のリグエルが立つと
黒い式鬼鳥で炎に巻いた。
リグエルの 背に開いた翼が燃え上がる。
『二度 死ね』
また黒い式鬼鳥を追突させ
翼を尽きたリグエルは、棘ごと炎の川に落ちた。
「珈琲、置いておくよ」と、ジェイドが サイフォンの隣を視線で差して、片手に 二つずつのカップを持って、テーブルに戻っていく。
朋樹が、黒い睫毛の瞼を上げた。
「何まだ、手ぇ握ってんだ?」
あくびをしながら、普段の顔で言う。
黒い眼を見るけど 何も答えられなかった。
「コーヒー取ってくれ」っていうから
手を離したけれど、なんだか泣きそうだった。
「見たい夢は見れた。スッキリしたぜ」
ざまぁみろ だとか 言いそうな表情で、受け取った珈琲を飲んで、私が何か言う前に
「あいつを殺ったのはオレだからな。
おまえじゃない」なんて言った。
「黒い式鬼鳥が出た。現実にも出せりゃ
オレぁ、おまえに並ぶ。天使 殺れるしな。
もうヒスイの前で “朋樹より私の方が強い” なんか言わせんぜ」
「... 夢なのに」って言ったら
「言ってろよ。黒式鬼 出すのなんか すぐだ。
オレは おまえの
得意気な顔をする。
「ありがとう」って言うと
それには答えずに、またコーヒーを飲んだ。
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