52


天女は、赤く襟ぐりの大きく空いた着物の下から

薄桃と白の幅の広い袖を ひらひらとさせ、帯のような白い幅広のものを前に結び、下にも 赤く長いスカートのようなものの裾から 袖と同じに薄桃と白の布をひらひらさせている。

白い羽衣が、両肩を緩く巻くように浮いていた。

中国の唐服や、七夕の乙姫みたいな感じだ。


結い上げた髪には 櫛を飾り、赤いラインの瞼には、両眼の下瞼の端に 少しだけ金箔を載せている。


すっとした顔の割に 大きな黒い眼で

われを喚んだのは お前か?」と 榊を見た。

周りに他国神がいることや、慌ただしい状況などは、一切 気にしていないように見える。


「はい、荼枳尼天ダキニてん様。私めに御座います」


「やっぱりダキニ天か... 」と、モレクに巻いた赤蔓に 棘を生やしながら、朋樹が見ている。


「玄の里の者であるな」

「榊と申します。国神様の神使にあります」


玄翁のことを知っているようだ。

多少 安心して モレクに向き直ると、額の下の眼は白眼を剥いていた。



空中では、虹の翼を輝かせるミカエルと

サリエル配下の天使たちが 見合っている。


「何故、罪人から 鎖を解かれたのですか?」


天使の問いに、ミカエルは

「滅するためだ」と 簡潔に答え

「俺に質問出来る立場だと思っているのか?」と

問い返す。問われた天使は またひるんだ。


「異教徒であれ、“極秘に” 人間の魂を運ぶだと?

何故 天に極秘にする必要がある?

その使命は、罪だからだ。

現に サリエルは、ここにいる」


ミカエルがべリアルを指して言うと、天使たちは

黒いローブのフードを被ったべリアルに眼をやり

お互いを見回し合い、他の天使が ミカエルに

「何故...  地皇帝や ベルゼブブが... 」と

怖々と聞く。


べリアルが黒いフードを脱いだ。


「あれは... 」と、天使たちが動揺し始める。



祭壇を降りた天女は、何の抵抗にも合わず

眠っている小さな男の子を抱き上げた。


「何故 取れる?」「そうだ、なんで?!」と

シェムハザとアコが 驚いて聞くと

「この場で吾の儀式も行われておる」と

ダキニ天は答え

「土の髑髏されこうべになど降りぬが」と 可笑しそうに笑った。“狐女様” の儀式のことだろう。


「ボティス!」と、防護円からハティが呼ぶ。

白眼を剥いていたモレクは、ボティスに眼を向けていた。


「贄を」と 暴れ出し、棘の赤蔓を切りながら

グッ と曲げた両ひざで、自分の上にいるボティスを 前に倒した。

額を掴んでいたオレに ボティスがぶつかり、巻き添えになったルカと 地面に転がる。


片腕を押さえていた朋樹も転がされたが、空中から ミカエルが、鎖を伸ばしてモレクに巻いた。

そのまま鎖を引いて モレクを引き摺り、祭壇に激突させた。


オレらは、すぐに起き上がって祭壇に走ったが

「質問などせずに、すぐ天に戻るべきだった」と

ミカエルが、天使に言うのが聞こえる。


モレクは鎖ごと、祭壇の下に座り込んでいた。

草の模様が彫られ、血の筋が付いた祭壇の壁に背をつけて。

モレク自身の傷には、一切 血は流れていない。

その向こうにあるモレク像の火は 勢いも衰え、だいぶ小さくなっている。


「異国神の心臓を取り出すが良い」


生贄の小さな男の子を抱いた ダキニ天の隣で

榊が言う。

心臓それと、贄子を交換していただける」


『... 贄は、私に捧げられた。私のものだ』


祭壇の前に モレクが立ち上がった。

突かれた喉から 声の音が洩れている。


『私にそむいたことをあがなえ。

血を捧げよ、火に通れ!』


近くに座り込んでいた赤い百合のローブの男たちや、消滅していない裸の人たちが立ち上がる。


ローブの男は、モレク像に向かおうとした。

止めようとボティスが蹴り飛ばす。


「なんで?」

「蝗は出したのに!」


「甘美の記憶だ」と、皇帝が笑う。


「欲は花にして摘んだが、儀式の記憶は 情報として細胞に組み込まれた。

崇拝要素の ひとつとなり、堕落に向かう。

人心は単純ではない」


行為と血の儀式が、甘美な記憶だってことか...

それは 生きている間中、消えないんじゃないのか?


「耳を貸すな!」


ジェイドが向かってくる人たちに訴える。


「これは、神じゃない! “あがない” でもない!

もう誰も、命を何かに捧げる必要などない。

罪の贖いは成されたからだ!」


子を抱いたダキニ天が 静かに見守っている。



皇帝が背後から、オレの右肩に手を乗せると

鎖を握るミカエルが オレの隣に降り、左肩に手を乗せた。


「カルネシエル、カスピエル、アメナディエル、デモリエル」と、ミカエルが精霊の名を呼ぶと

ジェイドが敷いた召喚円、森の四方に 天空の精霊が降りる。


「地皇帝ルシファー、偉大なる天使ミカエル、

新たなる神の元に、御使いの殲滅を命じる」


皇帝が言うと、光が鳴り、空中にいた天使たちが消えた。

消滅の光を眼に映した人たちが、足を止める。


皇帝がオレの肩を離し、同じ天使を... と ミカエルを振り返ると

「誰も生贄にはしない」と 肩の手を離した。


消滅した天使たちが、ここにいる人たちの魂を月に運んでいたら、キュべレの目覚めに使われることになったんだろう。



「同じ道を歩むな」と、ミカエルが人々に言うと

『... 惑うな。私を信じたはずだ。

ここに まぐわい、ひとつとなったのは

私と ひとつとなるためだ。世界を手にする。

火を通れば それは成る。私となれ』と

モレクが再度 そそのかす。


「快楽など、目交まぐわいではない」


ダキニ天が笑う。


「目交いの先に 信仰などあるものか。

あるのは 互いと真理。ただ それだけのものよ。

真理は、崇拝とは無縁にある」


『真理など、生きるために何の必要もない!

目に見える確かなものを与えてやる と言っている!

ひとりでいい! 誰か ひとりが尊い犠牲となり、私と 一体となることで、それは与えられる!

私は神だ! 私に背くな!

... いいや、一度 知った快楽に背けるものか!』


「私が... 」と、裸の男が モレクの前に進み出た。


「どうか、他の方々は あなたから解放を... 」


『解放だと?』


「間違っていた。血を見て、生命いのちを笑った。

解放されたとしても、儀式の記憶は消えない」


「いいや、駄目だ!」


ジェイドが モレクの首を掴み、祭壇に押し倒した。


「何度 間違ってもいい。

何度でも やり直しは利く。もう誰も死ぬな!」


べリアルが、犠牲に進み出た男に

「逃げるのか?」と 問う。

「一人死に、自分だけ記憶から逃れようと」


俯いた男に、祭壇に向いたままのジェイドが

「生きてくれ。頼む」と 祈るように言う。


祭壇の下から、月夜見の白蔓が伸び

モレクに巻いていく。


「ナイフを」


ジェイドが ボティスに言うが

「お前が使うのは言葉だ」と、ジェイドを 祭壇から退かせた。


ミカエルが鎖を引き解き、自分の腕に巻いた。


「もう どの書にも

お前の名が 記されることはない」


祭壇の前に立つ ボティスが言うと

『消えるものか』と、モレクが頭を起こす。


『私は誰の血の中にも生きている。

今 この身が滅びようと、魂を失おうと

他の犠牲を厭わぬ 利己的な者が、消えることはない。人間は 気高いものではないからだ。

浅ましさの上に、私は いつか、再び立ち上がる』


ボティスが、モレクの青黒い胸を突いた。


「そうだ。人間は 浅ましく愚かだ。

だが愚かに、他をいつくしみもする。そろそろ黙れ」


モレクが咆哮し、身をよじる。

腕の白蔓を千切り、胸にナイフを突き立てたまま

祭壇に起き上がった。


『私は、バアルだ!』


血走った眼を剥き、ボティスの肩を掴む。


『忘れるな! 大いに望め! 子を火に通せ!』


ルカが風の精霊で、モレクの肩を捩り

朋樹の赤蔓がモレクの首に巻き、後ろに引く。


モレクを見つめていたボティスは、肩を掴んでいた腕が落ちると、モレクの胸から 黒柄のナイフを引き、何もせずに 退いた。


『... 私を、憐れむのか?』


右の腕から手に、白い焔が浮き出すのを感じる。

祭壇の 両腕を失ったモレクの前に立ち、右手で

モレクの胸の突き傷に触れた。


青黒い胸の皮膚が縦に裂け、べきべきと音を立てながら 肋骨が左右に開く。


炎のように赤い 拍動する濡れた心臓を掴むと

『私を 火に通せ』と、モレクが囁く。


『お前の血の内に 私を生かせ』


いやに 胸の中が静かだ。

憎しみも 憐れみも、何もない。


「何も望まない」


ただ、為すべきことを為す。

掴んだ炎色のそれを 引き抜いた。


血管が溶け切れる。

オレの手の中に心臓を残して、モレクは 祭壇に倒れた。


青黒い肌の身体は 塵となり、風に解け、夜気に溶け入り消える。


心臓から立ち上った 赤い煙のような魂の欠片を

ベルゼの黒蝿が包み、地面に落とした。



榊に子を抱かせた天女が ふわりと祭壇に座り

オレに両手を差し伸べている。


拍動が緩んだ 炎色の心臓を、その手に載せると

それは 天女の両手に包まれて消えた。


ざっ と、祭壇に花が崩れ

ダキニ天が降りた頭蓋が その花に落ちる。


モレク像の腹の火が、突然 勢いを増し

小さな人や 動物のかたちをした炎たちが

無数に 空へ舞い上がって行った。

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