39


扉を出ると、一の山の奈落のヒビの上だ。


「戻ったな」


ホッとした顔で ボティスが言う。


「そうだ。揃って」


皇帝が、ボティスの頬に触れてから

ジェイドを腕に抱く。

ジェイドに “俺を抱け” って言ってたと思うけど

こういうの 何て言ったっけ?

あ、そうだ。些末サマツなことだ。サマツ。


ベルゼは月夜見キミサマ

「まだ掛けていていい。似合う」と

眼鏡を指差して言っている。

何か友情が芽生えてそうだが、よくわからん。


ミカエルが、焚き火の火の傍でシェムハザから

コーヒーを受け取り「鎖は?」と聞いた。


「月夜見が、ほこで鎖を繋いでいる」


モレクの身体は、牛の頭蓋の樹から離れた場所で

棒立ちになっており、ハティが観察していた。

艶のないゴールドの鎖の先は、三ツ又の矛で固定されている。


「あんなこと出来るのか... 」


ミカエルが月夜見を振り向くが、眼鏡の月夜見は、頭蓋の樹の近くで ベルゼと何か話し込んでいた。


ハティと 一緒にいたルカが

「おかーり」と、オレらの方に向かって来る。


シェムハザから コーヒーを受け取りながら

ミカエルと 奈落での話をすると

「今、このまま ここに居て大丈夫なのか?」と

シェムハザが眉をひそめた。


「アバドンは、俺とルシフェルが

今は “敵対はしちゃいない” と見たからな。

地母神アレが目覚めるまでは、下手に手は出して来ないだろ。どっちも相手にすることになるし、地母神アレを隠すことに必死になる」


それにしても、奈落のヒビの真隣だけどな...


「なんだよ 不安気な顔して。大丈夫だぜ?

その証拠に、そろそろ牢獄を調べて

モレクの身体がないこともわかってるだろうけど

追って来ないだろ?

それより、地母神アレの事がバレないか

天が調査に来ないか、ビクビクしてやがるんだ」


そうか。アバドンとサンダルフォンが繋がってる訳じゃないもんな。

ミカエルや皇帝に狙われる方がマズいか。


「もし上がって来たら、迎え討ってやるけど

まずないな」


シェムハザが、皇帝の方に眼をやると

皇帝はジェイドを片腕に、上機嫌で

ボティスとジェイドに、さっきの話をしているようだ。たまにボティスが笑っている。


「ワインを渡して来よう。ディル」と

シェムハザが取り寄せ、皇帝とベルゼに渡しに行った。


「アバドンって、どんなヤツだった?」


ルカが オレらに聞くので、朋樹が

「ボンデージの姉ちゃんだった」と 答えると

めずらしく ルカは真顔で朋樹を見返した。


「... え? マジで?」


頷くオレを見て、ミカエルに視線を移す。


「ああ、格好か?

地上の最近のやつになってたな。黒いレザー。

あいつ自身は地上に出ないけど、配下をよく地上視察へ行かせてるからな」


ミカエル、普通だ。

まぁ、ミカエルは 暫く地上に出てなかったみたいだし、何系の衣装かは知らんだろうしな。


「あいつは、サディストだからな。

趣味に合わせた格好なんだろ」


知ってやがった...  胸が痛いぜ。


「アバドンって、女なんだ」


ルカは 性別の方が意外だったようだ。

確かに。オレも、勝手に男だと思ってたぜ。


天使の恩寵の話をしてる時に、皇帝をシェムハザに任せた ボティスが来た。


「恩寵を取り出したのか?」


つり上がったゴールドの眼を オレに向けて聞く。

ここに戻って、ルカやジェイド見ても落ち着いたが、ボティスが近くに来ると、ようやく しっかり

奈落から帰って来た... と 安心 出来た。


「そうなんだ。

皇帝が呪文 唱えてたけど、堕ちかけた下級天使なら、ルカが筆で恩寵に印を付けれるらしいぜ」


朋樹もホッとした顔で、ボティスに説明している。


自分より先に ボティスが皇帝と話していたことが

気に入らない様子のミカエルが、拗ねた顔でコーヒーを飲んでいるので

「戻ったな」と アコを喚んで、エッグタルトを買いに行かせた。


「ミカエル。トーガ付きだ」


戻ったアコが眉を しかめる。膝当ても付いてるし

軽い戦闘スタイルのままだもんな。

アコもスーツは やめたらしく、レザージャケットにタイトな膝下丈のジーパンだ。似合うな。

編み上げブーツ履いてやがるしさ。


「そうだ。着替えて来るから、タルト持って待ってろよ」


ミカエルは エデンに戻り、朝 選んだ格好に着替えてきた。


「いいじゃないか!」


アコが本気で褒めたので、エッグタルト食いながら「うん、まあまあだろ?」と 機嫌 良くなった。


「バラキエル、モレクの身体は どうするんだ?」


もう ボティスにも普通だ。


「鎖を解く前に触ってみるか... 」


アコは オレらにもタルトを配ると、皇帝たちにも配りに行った。

皇帝、タルトなんか食うのか... 普通、オレらより先に配る気がするが、アコだしな。


モレクの身体がある場所... 三ツ又の矛とハティの近くに行ってみると、ハティは まだ身体を観察していた。


「幽体や魂と同じだ。触れられん」


ハティが スーツの腕を組む。


「他神は、父が存在を許した結果だからな。

天使にも、元々は 父の近くにいた堕天使にも作用することは出来ないんだよな。

父に近すぎるから」


他神話の神々も、もとは 聖父が創造していたり

その基から分岐したり変容しているようだ。


「“創世記” にあるだろ?」と、ミカエルが

主にオレに向けて 簡単に解説する。


創世記によると、1日目に光と闇の区別。

2日目に天。水が空の上と下に分かれた。

3日目に陸と海が区別され、陸には植物。

4日目は、太陽と月。昼と夜の区別。

5日目に水中生物と鳥。

6日目に動物と人。すべて言葉によって造り

7日目は休息 ... という 経緯のようだが


人だけは、土の塵から神に似せて かたちを造り

鼻に息を吹き込んで命を与える、という

他のものとは違う造り方をしている。


「父は、すべてを愛しているけど

人のことは、愛したくて 造ったからな」


この創世記でいうと、3日目に植物を造った辺りから、言葉により創造する際の聖父の気息... 人の鼻に命を吹き込んだ息 により、他神のもとも 発生し始める。


大地の神や木々の神、天体の神、海神や鳥獣神。

人のかたちの神々に、能力が固定されていく。

聖父が手ずから直接に造った人々の崇拝によって

力をつけ、偶像により身体が出来た。


聖父は、言葉による創造物の破壊を良しとしない。

他神は、人が 正しい道を自ら選ぶ際の “迷い” として 必要なものでもある。

“誘惑や堕落等” の堕天使と、同じ役割として。

だから どれも “悪魔” ということらしい。


「父は お前達に、自分から正しい道を選んで欲しいんだよ。魂を磨き、他のすべてを愛し愛されるように。父のようにな」


あれ? どこかで聞いた概念だよな...

朋樹が口を開きかけるが、口をつぐむ。

ルカは、何か引っ掛かるというような顔をした。


「だが、あの獣だけは違う。

恐らくだが、父の時間上に存在しない。

父の被造物である俺等には、視認が可能だが

父は、獣を視認出来ん恐れがある」


「えっ、聖父に見えないかも ってこと?!」


ルカが眼を丸くして ボティスに聞くが

ハティが「推測でしかないが」と答えた。


「今のところ、人間の前のみにしか 触れられる実体としての姿を顕していない。

ボティスが獣を見たのも、人間と見なされてからだ。

神降ろしなる間にて 榊も獣を見たようだが、触れられるものではなかった という。

また 榊と我等には、地上に創造したか 天に創造したかという違いもある。

我等や天使にも、視認 出来るとは限らん」


オレさ、ハティの話って、いつも半分くらいしか 解らねぇんだよな。

朋樹は なるほど って顔してるけど、ルカもオレっぽく「ふーん」つってるしさ。


「父が与えた恩寵を、与えられた権限もなく

剥奪 出来るんだもんな」と、ミカエルも言うが

獣からは、聖父の披造物に干渉 出来るのに、聖父が視認 出来ないのは 何でなんだろう?


それを聞いてみると、ミカエルに

「だから、父が造ったんじゃないからだろ?

父は、自分の創造物のみに干渉する。

父と獣は、干渉の枠から違うんだろ」と

簡単に答えられたが、何か しっくりきた。


「とりあえず、今はモレクだ」


モレクは瞼を開いているが、黒い眼には 何も映していない。空っぽだ。

青黒い肌の色。

くっきりとした、中東... エジプト系っぽい顔付きをしている。


ミカエルが モレクの額や肩に触れようと指を伸ばしたが、見えない何かに阻まれて、指先が皮膚まで届かない。


隣から ボティスも手を伸ばしてみているが

「鎖にも阻まれる」と言う。

大いなる鎖は、人を捉えるためのものじゃない。

人間だと、預言者や 天が認めた聖職者のみにしか

触れられないようだ。


「ボティスがダメなのに、ジェイドは 天に認められてる ってことか」


朋樹が言うと、ミカエルが

「俺が認めたからな。バラキエルは堕天した記録が残ってるからだろ」と、また簡単に答えた。

ミカエル、“神の如き者” だもんな...


ルカと朋樹、オレも試してみたが

オレもムリだった。まず、鎖にはじかれる。

ルカが筆で なぞるようなものも見当たらない。


「獣の血が混ざってても、獣じゃないもんな」

「一応、人間に分類されるだろうからな」


ミカエルとボティスが、使えねぇ って眼で見てやがる。おうおう、なんか 腹立つぜ。


「鎖がなければ、触れられる可能性はある ということか?」


ハティが確認する。


「分からんが、鎖が阻むことは確かだ」と

ボティスが答えると、ハティは

「鎖を、月夜見や朋樹の術の蔓に変更 出来れば

触れられるかどうか試せるのでは?」と 提案した。

空っぽでも、拘束 解いちまうのは不安だしな。


朋樹が呪で赤蔓を伸ばして試してみたが

赤蔓も鎖に阻まれた。


「案は出たのか?」


ジェイドを連れた皇帝が、シェムハザと 一緒に

近くに来た。ベルゼと月夜見キミサマ、アコも来る。


「何もだ。鎖に弾かれる」


ボティスが両腕を開いて見せると

「ふん... 」と、皇帝は つまらなそうだ。


「だが、こうしていてもな... 」と 月夜見がため息をつく。ようやく眼鏡は外していた。


「モレクを蔓で巻くことは出来るか?」


月夜見は、矛で鎖に触れる。

ハティが聞くと、月夜見は短い呪を唱え

モレクの身体の足下あしもとから白い蔓を伸ばし

モレクに巻き付け出した。


「おっ、すげー! 月夜見キミサマは出来るんだ!」


ルカが言うと、朋樹がムスっとしたが

そりゃ、人と神じゃ違うよな。


白蔓は 鎖の下を、脚を巻きながら這い登り

腕も身体ごと巻き付け、首に巻いて止まった。


「じゃあ、鎖を外すか」


ミカエルが モレクと矛の間を繋ぐ部分の鎖を持つと、月夜見が右手を真横に伸ばし、矛を自分の手に戻した。


鎖を持ったまま、ミカエルが天の言葉で何かを言うと、モレクに巻かれた鎖は解かれていき

ミカエルの右腕に、何重かの円になって纏まった。


「良し」と、ボティスが手を伸ばし

モレクの額に手を置く。


「触れたな」


皇帝は満足気だ。


けど、「滅するって、どうする?」

「ハティの練金は無理だからな」と

最初の問題に戻る。


「式鬼で切り刻んでみるか?」


朋樹が式鬼札を出して飛ばすと

白い鳥と蝶が、モレクの肌に傷を付けたが

切断までには至らなかった。


「なら燃やす」と 炎の式鬼鳥を追突させ

ルカが風で巻くと、ルカが吹き飛ばされ

咄嗟にハティが腕を伸ばして支える。


「なんで... ?」「風の精を退け!」

「いや、ミカエルが幽体に斬りつけた時も跳ね返されていた」

「でも身体はからだろう?」


モレクの青黒い身体は、炎に巻かれている。


バキッ と、木が割れるような音がして

月夜見が埋め込んだ 二本角の牛の頭蓋が落ちた。


「えっ?」


地面に落ちた頭蓋は、月明かりと焚き火の炎に

ぽっかりと浮くように 白く...


ミカエルが 右手の鎖をモレクに向けて 捉えようと伸ばした時に、頭蓋が飛び モレクの顔を隠した。

そのまま、モレクが消えた。






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