32


『それっぽく 虹でも架けとくか』って

露ミカエルが、知らない言葉で何か言うと

白尾の背後の空に でかい虹が架かる。


白尾と逆、木の根に囲まれた後ろ側には

パイモンが立ち、人差し指を空に向けた。


姿の見えない何かが、空から来る。

パイモンの軍らしい。


『何のつもりだ?』

「治療薬が出来た。空から棘で撒く」

「棘?!」

「痛そうじゃね?」


「だが、薬は体内に入れなければならん。

棘は ごく細く すぐに溶ける。

体内に入りさえすれば、服用でも構わんが

誰も素直に飲まんだろう。

抗ウイルス薬、核酸系逆転写酵素阻害剤だ。

簡単に言えば、RNAウイルスの酵素による逆転写を阻害する」


「簡単じゃなくね?」

「わかんねぇ」


「DNAに ウイルスの情報を逆転写させん ということだ。体内でのウイルスの増殖を防ぐ。

つまり、感染した RNAウイルスの逆転写により情報が変異した DNAの細胞が コピーされずに死滅すれば、ウイルスも増殖せずに根絶... 」


「おう! わかったわかった!」

「うん、もういーし! 聞いて ごめん!」


『感染したら、抗ウイルス薬投与は なるべく早い方がいい ということになる。

繭になるとこまでいくと、大した効き目はない。

せいぜい、繭の中での変態の速度を遅らせる程度だろうな』


棘治療薬の投与が完了したようで

パイモンの軍が退いて行き、パイモンも姿を消した。


木の根が するすると地面に沈んでいくと同時に

シェムハザが、白尾をまた 空高く浮き上げて行き

キャンプ施設の屋上を越え、森の向こうに消える。白尾の山神結界近くまで送るみたいだ。


集団の人たちは、身体から何かが薄れていくのがわかるのか、座り込んで 放心して

泣いたりしてる。


ジェイドが、繭の枝が乗っていたバンに

魔女だった グレースーツたちを追い立てて乗せ

「あなたたちは、まだ悪魔祓いが必要だ!」って

バンを出させた。運転はアコ。


「なんで?」って聞いたら

「今 泣いてる奴等が、今度は “騙しやがった” と

騒ぐからだ」ってことらしい。

確かに、気分が もっと落ち着いてきたら

“蝶にして悪魔に売るつもりだったのか?” って

騒ぎ出しても おかしくないよな...


「一度 教会へ戻って、魔女の話を聞く」と

ボティスが 広場を横切って行く。

枝からジャンプした 露ミカエルを受け止めて

オレらも駐車場へ向かった。




********




「外で、声を掛けられて

勧誘されたことから始まって... 」


「私は、気付いたら 人に声を掛けていました。

勧誘する側から始まったんです」


教会で魔女にされてた人たちの話を聞いてる。


最初は、勧誘された人

最初から憑依された人 に 分かれるけど

人類が この先 蚕に変異していく ということは

信じて疑わなかったらしい。


クライシだけが、蚕になるはずのものを ウスバアゲハにすることが出来て、その決定能力を授かった、と。


理想の次世界... 自然の中で 争いなく生きていくために、争いの種になるようなものは、蚕のまま排除されなくてはならない。

共に平和な世界を。

毎日 そう聞かされてたみたいだ。


「実際に、目の前で 人が... 」


そうだよな。

オレらが知る前に、何人かが 蚕にされてる。

そうじゃないと、クライシの言葉を信じない。


「人間は、頂点じゃないんです」


グレースーツの男が言う。泣きながら。


「勘違いをして神を気取り、好きなように他の動物や植物を改良していますが、本当は、される側なんです。だから...  だから、だけど... 」


少し、言葉を止めると

「だけど、私は... クライシ様ではなく 人間なのに、人の命の決定をしました。

自分が 蚕になりたくないからと、人に...

呪われろ、って 下して 殺し ました... 」と

顔を覆わずに泣く。


間違うことって、誰にでも あるんだよな。

オレらがしてることだって、いつも傲慢だし。


自分達に都合が悪いからって、例えば虫なんかも

害虫とかって呼び名付けて、平気で殺して。

元々、動物の土地だったところも 侵したり。


クライシ側... 人間に都合が悪いもの、邪神でも

人間じゃない側からしたら

オレらは、抵抗して 刺したり噛んだりする害虫なんだろう って思う。


「だけど、あなたがたは、罪を犯しただけではありません。

救うためにも頑張っていらしたんです」


ジェイドが言うと「違う」と 首を振る。

特別に選ばれた立場の 優越感で浸ってた、って。


「それでも、です。

ヨハネの手紙、1章9節には

“もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で 正しいかたであるから、

その罪をゆるし、すべての不義から

わたしたちをきよめて下さる”... と、あります。

あなたがたは、ご自身が なさったことを 罪と感じ、主に告白されました。

その罪は、同じ兄弟を救いたいとの心が発端となったのです。主が信じ、僕が信じます」


この教会の、前神父... 浅井神父も

母さんに このヨハネの手紙を読んだ。


... “もし、罪はないと言うなら

私たちは自分を欺いており

真理は私たちのうちにありません”


罪はある というのが前提なんだよな。

神はそれを、許してくれるっていう。

心から 告白をすれば。


誰か とか、法が許さなくても

自分で自分が 許せなくても、神は 許してくれる。

見守るって、そういうことなんだろうと思う。


この人たちが、のろわれろって 印を決定したことと、オレが、胡蝶の心臓を ロザリオごと掴んで 殺したことは、どう違うんだろう?


許されたくない と、願うときは...


「“目を覚ませ”」


教会内が、空気ごと止まった気がした。

クライシが、人を変異させるための暗号だ。

泰河や朋樹も、顔を上げる。


「“死にかけている残り者たちを強めよ。

わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に

完全な者とは認めない”」


ステンドグラスの奥に 夕日が差す。

使途たちに教えを説くイエスが、両手を広げる

長椅子まで届く色影。言葉の本来の意味だ。


「悔い改め、顔を上げ、眼を開いて 祈るのです。

そうして、兄弟や姉妹に 手を差しのべるのです」


朗読台の前に立って、長椅子の人たちと向き合う

ジェイドの 静かな眼を見ると

足の裏が 地に着いた気がした。




********




「半式鬼を追う」


教会で話した人たちに、クライシのことで 知っていることはないかを聞くと

“生け贄が どうだとか話していた” のを、何人かが聞いたことがあるようだ。


「生け贄? 何に対してだ?」と

ボティスが聞くと

「わからないんです」っていう 謎の答えだ。


よく聞いてみると、憑依されて

半分 眠っているような状態の時に

憑依したクライシが、誰かと話していたらしい。


「話した相手の 一人は、すでに蚕にされました。

同じように、人を勧誘していた者です。

生け贄が何のことかは わかりませんが、反対していたようなので... 」


この人は、ジャズバーで見た人だった。

オレと泰河が、公園で 最初に見つけた蚕の人。

なんか 話を聞いてると、この人たちって

お互いのことを よく知らないみたいなんだよな。


蚕になった人は 生きているけど、入院中だ ということを伝えると、“良かった”... と 泣く人もいて

自然に “かみさま” と、呟く人もいた。


アコの報告では、入院している人たちは

少しずつ回復している ってことだ。

回復は、アルファ... ウスバアゲハの人たちより

オメガの蚕の人たちの方が早いっていう。


教会で話した人たちの それぞれが、ジャズバーで見た人だけでなく、他の人も入院してる病院に毎日通って、まず謝罪して、許されるなら 支えになりたい... と 言ってる。


四の山を降りたパイモンが、軍を使って

街中に棘治療薬を撒かせているらしいんだけど

「入信された方たちのリストがあります」と

渡されて、ボティスが

リストの 一人一人の所在を当たるよう

アコと軍に命を出した。


屋内などにいて、パイモンが撒いてる棘治療薬が届かない人には、直接薬を刺さなければならない。榊たちは、引き続き繭を探してる。


「あの、セミナーにいた 赤ちゃんと女性がいて、

この女性は 赤ちゃんのお母様のようなんですけど、その方とは別に、私たちと同じように

人を勧誘していた中年の女性もいたんですが... 」


さっき、キャンプ場にいなかった 闇おばさんや 赤ちゃんのことだ。

朝から、連絡が取れない って言う。


「“生け贄” って、キュべレ?」

「いや、キュべレなら “魂” だ。

わざわざ “生け贄” という言葉は使わん」


じゃあ、何なんだよ?


でもそれを 口に出して 聞くことが出来ない。


朋樹がセミナーの時に、赤ちゃんを抱いてた人

... 母親に付けた 半式鬼を追ってる。

片羽の蝶の行く先を、先にシェムハザが追って

オレらはバスで。


「おばさんにも付けたよな?

けどもう、使ったんだっけ?」


「使ったけど、一度 付けたヤツなら、また半式鬼で追える。

でもまず、赤ちゃんの感染の有無だ。

もし感染してたら、おまえと泰河で印を消して

ミカエルに加護を与えてもらう」


「クライシが憑依するってことはないのか?」と

ジェイドが運転しながら聞くと

朋樹が「たぶん ない」って答える。


「どういうことだ? “たぶん”?」


泰河が 眉間にシワを寄せた。


朋樹は 助手席から振り向いて

「実験的なものではあるんだ。試したことはないからな」って、バスのL字シートの角に座ってる

露ミカエルに眼をやった。


『ヒトガタってやつに、俺が術を掛けた』


「えっ? ミカエル、術 ニガテなんだろ?」

「そうだ。読む程度のことも アレだからな」


うん、前にジェイドから読んで、ジェイドは倒れたんだよな...


『なんだよ、うるさいなぁ。

術って言っても、俺の署名をしただけだぜ?

ヒトガタってやつは、琉地が クライシの魂を含む 幽体の背に貼ってきてる。

好き勝手に人間に憑依するのを、俺の名前が邪魔する。人間は守護対象だから』


「もっと早くやりゃ良かったじゃねぇか」って

泰河が言うけど


「まだパイモンの治療薬も完成してなかっただろ? もし赤子が感染しているなら、刺激する訳にもいかんかったからだ」とか

『ヒトガタなんか、説明 聞くまで知らなかったぜ? 中国とか この国の術だろ?』とか

「呪詛以外で、人形ひとがたに名前 書くってことは

したことねぇぜ。

上手くいくかは まだわからねぇんだよ」って

言われて黙った。術は わかんねーし。


半式鬼の片羽蝶を追いながら、シェムハザが立つ方へと バスを走らせる。

バスが向かうのは、案の定 一の山だ。


山の中腹の、自動販売機が並んだ駐車場にバスを入れて降りる。

道を挟んだガードレールを越えると、森の斜面を登った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る