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「... 動いてたよな?」


でも 地面にあるのは、白い蝋の作り物みたいなミイラで、どう見ても さっきまで生きていたようには見えない。

膝を折って座ったような形の身体は、骨と皮だ。


天使ゾイが触れたからか?」と

シェムハザが しゃがんでミイラを観察する。


ミイラは髪までが白く、毛量が少ない。

頭と額の境からは、芯が 二本の弓形ゆみなりに伸びる触覚があった。縦半分に切った椰子の葉状だ。

鼻の下は、まっ平ら。口が無い。

背の肩甲骨には 羽の根本の跡が残り

蝶の身体のような尾が、腰に 一体化して 下に伸びている。


「羽を開こうと... 」と、ゾイが

羽に触れた自分の手を見た。


「いや、ゾイ。気にするなよ。

助けようとしたんだしさ」

「そうだよ。ゾイが触れなくても、こうなったかもしれないじゃん」


オレらは ゾイに、気休めしか言えなかったけど

泰河が「オレが右手で触ってても 同じだったかもしれねぇしな」と、白い焔が浮き出した右手を見せて言うと、本当にそうだったかも... と思う。

それに あのままでも、張り付いた羽の中で 身動きできずに窒息していただろうし。


「ハティ」と、シェムハザが喚び

ハティも顕れた。


漆黒の髪が かかる 赤肌の顔を上げ、木上の枝に付いた 穴の空いた巨大な繭に、髪と同じ漆黒の眼をやった ハティは、次に 地面に縮まって横たわる白いミイラに視線を移してる。


「背に 蝶のような羽が付いていて、羽化に失敗していた。

ゾイが羽に触れると 羽は塵になったが、生きている」


「はっ?!」

「マジかよ?!」


嘘だろ?!

骨に張り付いた皮膚も 固いように見える。

蝋で作ったミイラの模型 って感じだ。


「繭の中で、身体の養分を使って

変態を遂げていた ということだろう」


えっ、じゃあ

本人の血肉から 羽とか尾みたいなものが造られた

ってこと... ?


「また、飛翔のために身は軽くなる。

変態し切る前に繭から出たもの と みえる」


本当なら、もっと見た目も変わったってことか...

黒蟲の時の人蟲は、体は昆虫だった。


「ゾイは、もう触れぬ方がいい。

これは、天からは魔として見なされるものなのだろう」


ハティは、ミイラの首の脈に指で触れると

また立ち上がって、繭の観察を始めた。


シェムハザが「降ろすか?」と聞き

指を鳴らして、木上の枝から繭を降ろした。


白い繊維で出来た蛾の繭 みたいだ。

抜け出た時の穴から見える 繭の中の壁は、湿気があるのか 艶が見える。


「でも、生きてる って... どうするんだよ?」

「病院とかに連絡するのか?」


「ルカ、筆は?」


あっ、召喚部屋に置いて来たぜ...

ジーパンに差してると、地味に邪魔なんだよなー。不思議と落としたことはないんだけどさぁ。


オレの表情を見て、ゾイが 一度 消える。

次に顕れた時は、手に筆を持っていた。


シェムハザは、“何が言いたいか わかっているな”

って眼を オレに向けてるし

「助かった。ありがとな、ゾイ」って言って

シェムハザには 手のひら見せて応えとく。


筆を受け取ると、シェムハザの隣にしゃがんで

なぞるような物はないかと、生きたミイラを観察する。


やっぱり 生きてるように見えないけど

あばらの浮いた胸が、ゆっくりと微かに上下しているようには見えた。


「ん? 額に何か、模様は あるぜ」


筆でなぞってみると、数字の3を

横に寝せたような黒文字が出た。ω、ってやつ。


「ギリシア文字のオメガ。小文字だ」


“アルファであり、オメガである” の オメガか...

って考えて、なんかイヤな気分だし。


「クライシ様の印は、終わりの文字ってことか」


同じように考えた泰河も、涼しげな眼をしかめて

白い模様が 手の甲まで浮き出した右手の指で

オメガの模様に触れる。


「あっ!」

「ちょっと... 」


額の文字が消えると、白い蝋ミイラは

痩せ細ったまま、肌や髪の色を取り戻した。

触覚が消え、鼻の下に切れ目が入り、口が出来る。背の羽の根の跡も消えた。


「ジャズバーで見た、スーツの男だ」


シェムハザが骨と皮の顔を見て言う。

それ、勧誘してた方のヤツだよな... ?


「だいぶ衰弱している」と、シェムハザが

自分の口に手を当てると

「やめておけ」と、ハティが止めた。

シェムハザは、自分の魂を分けようとしたみたいだ。


「今まで、身を変態させる程の 別の情報が混ざっていた。この上また 他の情報を取り入れさせれば

どのような影響があるか解らん」


「じゃあ、どうするんだよ?」


「人の手にゆだねるしかない。

お前達は部屋に戻れ」


ハティは、繭の 一部を指に取ると

息を吹いて繭を石化させて崩し

ゾイに「姿を消して、病院に連絡を」と言った。




********




「地界に戻る」と、ハティが消えて

ゾイが姿を見えなくし、公園近くの公衆電話から

救急にかけて、沙耶さんの元へ戻った。


召喚部屋へ戻ると、ジェイドが テーブルの猫かまくらの中を見つめ、不安そうな顔をしてた。


「繭は本物だった という訳か」

「中で変態した って... 」


先に戻っていたシェムハザが もう、ボティスや朋樹、ジェイドに、さっきの報告をしていたようで

やっぱり その話をしてるとこ。


「しかし、印がオメガとは」

「ナメてるよな。終わり って意味なんだし」


みんな ワインにしてたし

オレと泰河も、カウンターの棚から 自分の分のグラスを持って テーブルに戻る。


L字の方、ジェイドの隣に座って、自分と泰河のグラスにワインを注いだ。


「けどさ、なんで勧誘してたヤツが

もう繭になってたんだろうな?

おばさんは、“人々を導いてから” って... 」


そう言った泰河が、自分の言葉に黙って

やめろよ って オレも思う。


「いや、まだ何も起こってはいない。

これは起こったことになど入らない、という規模のことだ。

不幸が起こるのは、キュべレが目覚めてからだと考えられるからな」


余計 やめてくれよ...


でも、シェムハザの言葉に ボティスも頷きながら

「目覚めりゃ、ミカエルが ど派手な虹と孔雀の翼で 地上に降りる。

一人二人が蟲になったところでは降りんがな。

あのスーツの男は、何らかの理由で印を付けられたんだろ」と、空のグラスをテーブルに置いて

鼻を鳴らした。


朋樹が、ボティスのグラスにワインを注ぎながら

「何らかの理由 って、何だと思う?

ヘマしたなら 印は付けんよな?」と聞くと

「そうとは限らん」と

ボティスは、ピアスを弾いた。


「印の種類が、終わりのオメガだけとも限らんからな。公園で変態した そいつは

“全身が白く、口が無かった” と言ってたな?」


シェムハザが頷くと

「繭中でサナギとなり、成長するには

幾つか種類がいるが、それはカイコに似てる」と

ゴールドの眼を オレらに向けて言った。


確かに。蚕の成虫は、触覚や眼以外は真っ白だ。

養蚕のために改良されてきたもので、人の飼育下でなければ生きられない。野生には存在 出来ない蛾だ。

養蚕の歴史は 五千年くらいあるみたいだけど、どの蛾から改良されたのかも はっきりしてない って聞く。


成虫の見た目は、すげぇ かわいいんだよな...

でも、シルクのために、野生で生きられないくらい

改良されてきたのか と 考えると

こうやって かわいいと思うのも複雑な気分だ。

なんか、罪悪感も湧くしよ。


幼虫の時から、葉に捕まる程の力もないし

成虫になって繭から出ると、何も食べることが出来ずに、交尾して卵を産んで、一週間程で死ぬ。

しかも生糸を取るためなら、繭の中に蛹がいる状態で煮る。


「けど、蚕って飛べなかったよな?」


「そうだ。体も たっぷりとしてるからな。

公園の そいつの場合は、変態に自分の血肉を使ったようだが、痩せ細り、口が無ければ、もし飛べようが、どちらにしろ長くは生きられん。

よって 飛ぶ意味もないがな」


終わりの印は、罰かもしれない ってことか。


「処分されたってことか?」と、朋樹が聞くと

ボティスは

「その恐れもあるが、騒ぎを起こして 不安を煽り、混乱させるためかもな。

より多くの入信者を増やすために 尊い犠牲となった... とも考えれる」と 軽く答えて、グラスを口に運んだ。


「“信じる神のために” と、爆発物を抱いて 自分ごと吹き飛ばす者もいるだろう?

そのようなことを望む神などいない。

狂信とは恐ろしいものだ」


シェムハザが ため息をつく。地上棲みだもんな。

テロとかのニュース見ると辛いよな。

“神様の元に行ける” とか言って、小さい子にまでやらせた... とか 知ると、どうしようもない気分になる。


「でも、羽化に失敗した って... 」


隣で ジェイドが呟いた。

あっ て 思う。眼はアンバーの繭だ。

不安だよな...


「いや、大丈夫だって ジェイド!」

「そ! ちゃんと出てくるって!」

「繭 出す仕度に、野菜 食ってたしな」


オレらも言うけど、シェムハザやボティスまで

「だが アンバーは、クライシに印を付けられた者とは違う。変異する種だったんだ」

「そうだ。普通 人間は、羽化などしないからな。

失敗したのは人間だからだ」って 無茶まで言って

何とか安心させようとする。

いや、蝶や蛾も 上手くいかない時あるけど

もちろん、誰も それは言わないんだぜ。


「何なら、メフィストを喚ぶか?」


「いや メフィストは、何でも “ルキフェル様に御許しを得てから” だ。皇帝ルシファーに話すことになる。

“俺も見てみよう” とか言い出すだろう。

アンバーのことで、皇帝は 地上に出せん」


でもさぁ、オレらも ちょっと心配なんだよな...

アンバーの場合は、もう翼はあるし

羽化ではないんだろうけど、何か変異するんだろうし、繭の中で身を護る必要はあるってことだもんな。


「冬眠とかじゃねぇよな?」


泰河の意見には、オレすら無視なんだぜ。

時々 大幅にズレたこと言うんだよなー。


「インプは、寒さや暑さに そう左右されん」

って、一応 ボティスが答えてやってたら

ジェイドが息を飲んだ。


「今、繭が揺れた気がする... 」


「えっ?!」

「いやルカ、触るな!」

「オレ見えねぇよ!!」


「代われ、ルカ」って、ボティスが ソファーの向かいから言う。横暴じゃね?!


「イヤだし!」


そしたら、ソファーの背凭れ側に回って 跨いで入って来やがって、オレ結局、ソファーの肘置きだしさぁ!


シェムハザもジェイドの向こう側から離れねーし

泰河と朋樹は、ソファーの背凭れ越しに覗く。

かまくらベッドだから、見るとこ狭いし。


「暑苦しいだろ。離れろ」

「じゃあ、おまえが向こうに戻ればいいじゃん」

「うるせぇ」


「静かにしろ。また動いたぞ」


シェムハザが グラス指差しながら言うけど、届かねーし 知らねーよ! 繭 揺れてるじゃん!

仕方なく朋樹が動いて、ワイン注ぐ。


「あっ」「穴が... 」


どうやら、繭の向こう側に小さい穴が開いたらしい...  嘘だろ、オレの方から見えないんだけど!

隣にいるボティスもムッとしてやがる。


「中から出ようとしてるよな... ?」

「繭を食べて、穴を拡げているのか?」

「違う。出てくる時は、繭の糸同士を付けている

糊のような成分が、一部 緩むんだ」


くそー、何も見えねーし! むずむずするぜ...

ボティスが かまくらの入口を、ちょっとこっちに向けると、シェムハザか「その辺にしとけよ」って グリーンの眼を険しくした。


「見ろ!」「顔が!」


「何ぃ?!」顔 出たのかよ?!

泰河も朋樹も、背凭れから身を乗り出す。

アンバーは、どうやら顔から出てきてるらしいが

オレも ボティスも 何も見えねーの!


「おい、ちょっと どうなんだよ?!」って聞いたら、泰河が「... 白い」って言った。




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