犬神 3


「最初は、“泣かんで良い” と 言うと

俺は 我に返り、すぐに消えた」


翌日、彼女は会社に出ておったが

ぼんやりとしておった と。


それから、飲みにも来ぬようになり

桃太と珈琲を飲みに寄ることもなくなった。

一月ひとつき 程経ち、どうにも気になり

公園に行ってみると、やはり彼女は

ベンチに座っておったようじゃ。


「帰ったのだ。その時は。

己の罪悪感すら見ぬようにして、逃げたのだ」


その冬の始めに

彼女は 突然に、会社を退職した。


「公園には、おらぬであった。

体調を崩し、入院しておったのだ」


雪がちらつく頃、退院をしたようだが

冷たいベンチに座っておったという。


桃太は、ご主人になり

「待たせて すまぬ」と言うた。


「どこにも 行かないでください」という彼女を

腕にいだき、彼女の家に入ったという。


「生前と差異などがあるのは、死したからだ と

苦しい説明をしたが、彼女は 一度も

何も指摘などせぬであった。

共に居りたかったのだ。ご主人と」


桃太は桃太として、会社に通いながら

ご主人となって帰り、彼女と暮らしておった。


「彼女は、ご主人が亡くなってからも

働く必要などはなかったのだ。

だが、子供もおらぬ。飼っておった犬も亡くなってしまい、独りでおれぬであった と」


共に食事をし、テレビなどを見て

二人で話して笑い、隣に眠る。

時々 出掛け、同じものを見る。


「それだけであった。彼女が天寿をまっとうするまで。だが俺は、しあわせであった」


六山を降り 街に入ったが、何も言えぬ。

泣いてはならぬ気がした故。


「うん、彼女も しあわせだよな。

おまえと居てさぁ」


「いや。俺は騙しておったのだ。

それは 彼女のためではない。俺が共に居りたかったのだ」


「それの何がダメなんだよ?

オレは、おまえみたいなヤツがいて嬉しいぜ。

コーヒー買ってくる」


ルカは、眼鏡の向こうの細き眼を潤ませた桃太と

もう前を向けぬであった儂を 道路脇に残し

コンビニに珈琲を買いに入った。


「歩くと暑いよなー。アイスにしたぜー」と

両手に挟むように持った三つのカップの内

二つを儂等に渡す。


「すまん。俺は きっと

誰かに聞いて欲しくあったのだ」


「おう。しあわせだった で、いいじゃん。

今度はさぁ、楽しかったこと話してくれよ... 」


そう笑うたルカの スマホンが鳴った。


「あっ、ボティスだ。めずらしいじゃん

... おう。 あ? いやちょっと、飯 食って

出掛けてさぁ。今? 六山 降りたとこー。

桃太もいるぜ。... おう」


ルカが儂に スマホンを渡してきたので

耳に当てると『何をしている?』と

いきなり言うてきた。


「ぬうう... い 今、も 桃 太の」


『おい 待て。何を泣いている?

ルカか桃太に代われ』


儂がスマホンを出すと、ルカが受け取り

「なんだよ、桃太と墓参りに行ったんだよ」と

面倒臭そうな様子を装うて言うた。


またスマホンを渡され、耳に当てると

『悪かった。相談所で待たせてもらえ。

近くにいるんだろ? 迎えに行く』と言う。

「... ふむ」と 答え、通話を切ると

またすぐにスマホンが鳴り、ルカが出た。


「おう、泰河。お? うん。わかったー」


スマホンをジインズに仕舞うと

「オレ、仕事 入ったし」と、儂と桃太に言う。


「ボティスと浅黄が来るみたいだけどさぁ

桃太、榊まかせていいー?」と言い

桃太が「うむ」と 頷くと

「また夜にでも 飯 食おうぜー。

おまえ、スマホ持ってる?」など言うて

連絡先の交換などをして、またタクシイに乗り

「じゃあなー」と 儂等に手を振った。


「... 良い奴のようだ。いつも騒がしいが」


桃太に頷き、共に相談所に入ると

座敷には ぬらりがおり、茶を飲んでおる。


「おお、榊。久しくある」


ヒョヒョと笑い「ぬん?」と垂れ下がった

好好爺こうこうやの如き眼を ちぃと開いた。


「ぬし、泣いておったのか?

どれ、爺に話してみよ」


「む... もう泣いておらぬ。

儂のことでない故... 」


「俺の墓参りに付き合うたのだ」と

桃太が言う。


「うん、詳しくは分からぬが

もう大丈夫ならば良い」


ぬらりは、うんうんと頷いて

台所から茶菓子を持って現れた葉桜に

「茶を もう少し」と、空の急須を渡した。


「良いですが、不穏な噂を聞き付けたのでは

ありませんでしたか?」


葉桜が ぬらりに羊羮の皿を出しながら聞くと

「ほっ、そうじゃ!」と また眼を開いたが

「もうすぐ、浅黄とボティスが来る」と桃太が言うと「ならば、それからが良かろう」と

羊羮を竹串で切った。


いつの間にやら、ボティスも所員のようになっておるが、別段 誰も疑問などはないようじゃ。


「でも榊さん、良かったですね。

ボティスさんが帰っていらして」


葉桜は、丸い眼を細うして笑い

自分が嬉しそうにする。


「ふむ... 」と、ちぃと照れると

「葉桜は、ボティスが天に取られた折り

毎日、六山の山頂で祈っておったのだ。

お前にボティスを返して欲しい と」と

桃太が言う。


そのようなことを... と、儂が葉桜を見ると

「まあ、桃太さん!

仰らなくて良いことですよ!」と、葉桜は慌て

「お茶と珈琲を淹れて参りますね」と

儂に眼も向けぬまま、また台所へ引っ込んだ。


「悪いことでもあるまいにのう」

女子おなごとは、いささか難解であるものよ」


玄関から音がしたと思うと、浅黄とボティスであり「よう」と、ボティスが儂の隣に座る。


「大丈夫か?」と聞くのに頷くと

「お前も」と、桃太を見る。


「俺は何も... 」と答えたが

桃太は眼鏡を上げながら、眼を逸らした。


「珈琲で良いですか?」と、葉桜が ちら と

桃太を見、“余計な事は言わぬよう” といったように 牽制をする。


「ああ、悪いな」「うむ、すまぬ」と

ボティスと浅黄が答えると

葉桜は もう一度 桃太に牽制する眼を向け

台所へ戻った。


「それで、不穏な噂というのは?」


桃太が ぬらりに聞くが、ボティスは

「おっ?」と、今 気付いたといったように

ぬらりを見直した。


「何だ、これは?」


「ぬらりひょん という爺よ。

知らぬ間に家に上がり込み、茶などを勝手に飲む」


「気配が薄い。こないだまで居たか?」と聞くが

ぬらりは、酒呑などに慣れておらぬので

居らぬであった。


「まあ良い。それで、何だ?」と

葉桜から 珈琲を受け取っておる。

ふむ。本人も所員となったことに

別段 疑問はないようじゃ。


「余所の宅で、“憑き物が出た” という

話を聞いてのう」


「憑き物?」


「うむ。しかも、幾つかの宅で聞いたのう」


憑く など、儂等 狐や狸の種であろうか?


だが、話を聞いておると

大食になるなどの似通った部分はあるものの

どうにも何か違うようであり

憑かれた者に、死人なども出たようじゃ。


ぬう... 統制が取れておらぬであったであろうか?

浅黄が眉をしかめ、儂も桃太と眼を合わすが

「死した者は、噛まれた跡が浮いたそうじゃ」と

ぬらりが言うた。 むっ... 儂は喉を鳴らした。


「つまり、何だ?」と ボティスが聞くと

「特徴は “犬神” のようである」と

桃太が答えた。


説明、と言ったように桃太を見返すと

「呪術にるものと、家系に代々憑いておるものがあるようなのだ」と、説明を始めた。


呪術に因るものであれば

犬神を造ることとなる。


犬の頭だけを出して、身体を土中に埋め

飢えさせた後、食物を目の前に置き、首を跳ね

その首を祀るか

更に首を、人の往来のある辻に埋め

人に踏ませて、恨みを増幅させるものや

多くの獰猛な犬同士を闘わせ、勝ち残ったものに

魚を与え、その犬の頭を切り落とし

残った魚を食べる、などをする。


これは、中国より渡ってきた

壷に 蛇や蜘蛛、蛙や蟲などを入れて造る

巫蠱ふこ蠱道こどう蠱毒こどくと呼ばれる呪術の手法と酷似したものであり

切り落とした犬の首に沸いた蛆などを乾燥させ

呪物として売っておった者や、また買った者もおるという。


蠱物まじものというやつか?」

「使役 出来るのであれば、式鬼などにも

近いかもしれぬが、制御は難しくあろうのう」


ふむ。詳しゅうなってきておるのう。


この犬神を、代々 受け継いでおる家系が

犬神憑きや犬神筋と呼ばれるようじゃ。


犬神は、ねずみのような小動物

白黒のぶちのあるいたちのようなもの

または、赤と黒の斑のある 手のひらに乗る程の

大きさの犬のような見た目であるらしいが

これは、我等 狐の種の亜種である

オサキ狐と似た感触がある。


オサキ狐も憑き物であるが、正体は

鼬と鼠、ふくろうと鼠の混血

二十日鼠より やや大きい小動物

または、オコジョである と、言われており

色はまだらだいだい、茶と灰と さまざまで

頭から尾まで 一直線に黒い線がある

尾が裂けている、耳が人間に似ておる

鼻の先だけが白い、四角い口をしておる

普段は目に見えぬ... など

凡そ狐とは思えぬ特徴を呈しており

人に憑けて、異常な行動を起こさせるなどをし

家系に憑いておる場合は

オサキ屋、オサキ持ち、オサキ使いなどと呼ばれる故。


犬神であってもオサキであっても

憑いておる家の者が嫁ぐと、その嫁ぎ先まで

ついていき、たちまち婚家までが憑き家となる。


犬神、オサキ、どちらの場合であっても

憑き家の者が、他家の物を欲しい などと思うただけで、思われた家の者は病気になったり

犬神やオサキが、欲しい物を奪って来たりするという。


また、蛇にも同じようなものがあるが

同じようなものである故、説明は割愛する。

もう充分に長い故。ふむ。


「家系か 呪術を行ったかは分からぬが、死人に歯形が付いたのであれば、犬神であろうのう。

犬神は、人の耳より入ると聞くが

身に入られた者は、恍惚感に満たされ中毒となり

大食や吠えるなどの異常行動を起こし

犬神が抜けた後は、その恍惚感に飢えながら

病気となり死に至るという」


耳から、犬が入るなど...

蟲には入られたものであるが、恐ろしくある。


「憑かれた場合、対処方はあるのか?」


「祓いをしておる神社はある と聞く。

須佐之男尊と、八幡様... 応神天皇を祭られておる社であると。どちらにせよ、武神様であるが」


「祓える、ということだな? スサノオか...

月夜見キミサマの弟だろ?」


むう... 隣で、ケッ という顔をしておるのう。

この顔を見るのは、今日で 二度目じゃ。


「朋樹で何とかなるだろ」と

スマホンで浅黄に連絡してもろうておる。

ボティスは、ジインズなどに物が入っておることを好まぬので、いつもクリップなどに挟んだ

さつしか持っておらぬようじゃ。


浅黄がスピイカーにすると、朋樹は

『ボティス、お前 遊んでやがるな!』と

開口 一番に言うた。


「なんだ?厄介な仕事か?」


『いや、仕事自体は そう厄介じゃないが

二、三日掛かるぜ。四山の裏側にいる。

解くのに時間が掛かる面倒な呪詛だってだけだ。

榊といるのか?』


「そうだ」


『ならいい。じゃあな。帰ったら飯奢れよ』と

通話は 一方的に切れた。

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