19


「狙いは肝臓か。

これが 朋樹の完璧なコピーならば

飲む割りに綺麗だな。若いからか」


隣で シェムハザが言い、ハティと猟犬を呼んだ。


いや、わかってるんだよ。ヒトガタだって。

でも 朋樹だ。

星を見上げている眼から、眼を逸らす。


シェムハザは「シアン、いい子だ」と

口から酸を垂らす 赤い眼をした黒犬の頭を撫で、

一度 隣に立って、蠱物を観察したハティは

姿を目眩めくらましした。


「朋樹、次の人形ひとがたを」


シェムハザが、白い粉を吹いて

何かの魔法円を敷きながら、バスの方を向いて言う。


ジェイドの形の人形が歩いて来ると

蠱物は、ブラウンの海草のような髪を上げて

ジェイドの形に顔を向けた。

朋樹の人形と、蠱物が持っていた肝臓は

消えてなくなっているが、人の形の形代が落ちている。


朋樹の人形、精巧になったよな... と 思いながら

気を取り直して、蠱物の動きを観察する。


「動きはスローだ」


蠱物は、這いながら足までを海から出すと

両手の手のひらを砂に着き

膝も片方ずつ、ずず っと砂の上に跡を付けながら

砂の上に着けた。四つん這いの形だ。


少し先に立ち止まっている ジェイドの形の腹に

中身の無い穴の眼を向けて

蠱物は片手を上げて、前に出す。


上げた片手を、また砂に着けると

一度 肘が ガクンと折れ、身体も片側にかしいだ。


膝は、砂に跡を付けながら 片方ずつ這い進む。


さっきと逆の手を上げ、また砂の上に着くと

肘がガクンと折れ、身体も傾ぐ。


ガクン ガクン と左右に傾ぎながら

砂に、膝を這い摺る跡を付けて

ジェイドの人形へと近づいて行く。


後ろから見ると、濡れたシャツに浮く肩甲骨も

腕をガクンと折る度に、片方ずつが異常に盛り上る。


「新しい生物のような動きだ」と

腕を組んで観察しているシェムハザが

おもしろい、と ちょっと感心しているが

オレには、異様で気持ち悪ぃとしか思えない。


蠱物が、その異様な動きで傾ぎ這いながら

ジェイドの足首を片方掴むと

朋樹は、ルカの人形を歩かせて来た。


ジェイドの形の隣に それを立たせると

蠱物の穴の眼が、ルカの形の腹にも向く。


蠱物は まず、片足を掴んでいるジェイドの形を

強く引いて倒すと

腹を何度か噛り、裂けた腹筋の下に片手を入れ

ルカの形の足を掴む。


ずっと蠱物を見つめていたシェムハザが

蠱物が ルカの形の足を引っ張って倒した時に

背の盛り上がった肩甲骨に触れた。


「肝臓と心臓がないな。

肝臓は この呪箱に使っているが

心臓は、これを造る儀式に用いたようだ」


蠱物の片手の下から、ジェイドの形が消え

ルカの形の腹に蠱物が口を付けた時

「見つけた」というハティの声がして

オレは、蠱物の背から手を離したシェムハザに

いきなり蹴り飛ばされた。


腹を噛られ、手を突っ込まれているルカの形の

隣に転がると、猟犬が何かに飛び付く。


「お前が ゾイか」


シェムハザの目の前、今 オレが立っていた場所に

男が ひとり立っていて

その背後に、姿を消していたハティが顕れた。

男の首を、後ろから掴んでいる。


男とシェムハザの間には猟犬がいて

男の片腕を、酸で溶かしながら噛んでいた。


「シアン、お前は いい子だ。

だが溶け切ってしまったら、食べる部分が減るじゃないか。もう少し待て」


猟犬は、グルグルと唸りながら

薄い煙が上がる男の腕を 牙から離し

酸をたらしながら、シェムハザと男の間を

彷徨うろついている。


「後少しだった。惜しかったな、ゾイ」


シェムハザが男に言う。

... そうか。オレもオトリだったんだ。

蠱物じゃなく、このゾイって悪魔の方の。


男は、鎖骨につく長さの黒髪で 細身。

真夏だというのに、黒いトレンチコートに

黒のタイトなカラージーンズ姿だ。


「シェムハザ、ハーゲンティだな。堕天使め」


ゾイは低く、大人しそうな声をしている。


蠱物の下から、ルカの形が消えると

バスの方からボティスの人形が歩いて来た。

立ち上がったオレの隣にいる、蠱物の冥い穴の眼が、ボティスの形に向く。


「さあ、ゾイ。君のために場所を用意した。

すぐそこだ。是非 来てくれ」


シェムハザが言うと

ハティが、上にした手のひらを軽く上げ

黒く細い鎖が 地から伸び上がり

ゾイの身に巻き付いていく。


ゾイが 二人に連れて行かれた場所は

さっきシェムハザが敷いた白い魔法円の上だ。

ゾイは「待ってくれ」と、急に怯え出した。


「何をだ? ゾイ。聞いてやろう」と

鎖を握ったままハティが スーツの腕を組んだ。

これからゾイに、下級天使のことを吐かせるつもりだ。


オレの隣では、蠱物が

すぐ前にいるボティスの形に向かい

四つん這いで、左右に身体をかしがせている。


もう、ボティスの形の足を掴むか という時に

ボティスの形は「触るな」と話して

蠱物の頭を蹴った。


「えっ? おまえ、ボティスか?!」


「お前には、俺がシェムハザに見えるのか?」


いや それはねぇよ。

ボティス本人だ。朋樹の人形ひとがたじゃない。


「なかなか美人だ」


転がった蠱物の冥い二つの穴を見て

ボティスが言う。

「扉に入った実物より魅力的だ」


蠱物が 機械的な動きで、四つん這いの体勢に戻ると「祓え、泰河」と、蠱物を見下みおろす。


「もうゾイは釣れた。こいつに用はない」


こいつに触るのか...

まあ、仕方ないよな...


白い模様が浮き出していく右手で

蠱物の額に触れると、それは停止し

ガクンと両肘を折って、崩れるように倒れた。


驚いたのは、異常な冷たさだ。

目の前に転がるのは、眼と舌のない

矢上 多江子の遺体。

腹からは腸が溢れているのが見える。


なんだろう...


オレは、榊の首や、魔人の矢上の首が

斬られて落ちるのを見たし

藤という、人化けした狐を殺しかけたことがある。

ダンタリオンが猟犬に喰われる時も

富士夫という魔人が召される時も、その場にいた。


けど こういう遺体って、何か違う。空っぽだ。

こいつは さっきまで動いていても、実際は

もう死んでたけど

その瞬間を知ってるヤツと、知らないヤツの遺体じゃ、何か違う。



「シェムハザ、代わるぜ」と、ボティスが

ハティ達の方へ歩いていく。

尋問や拷問は、ボティスの領分だ。


そして、ゾイは悪魔。

「ジェイド」と呼ばれ、ジェイドもバスから

ハティ達の方へ向かう。


オレはルカに、バスの方から

「泰河」と 呼ばれるが

まだ、濡れたブラウンの髪が顔に貼り付いた

矢上 多江子の遺体を見ていた。


「よう、ゾイ。会いたかったぜ。

お前は 俺をよく知ってるな?

何しろ長い間、俺を見つめていたくらいだ。

なかなかの女を贈って来たじゃないか。

お前の愛を受け止めてやろう。

見ろよ、勃ってきやがった。

知っての通り、人間になった俺は

最近よく おっ勃ちやがるんだ... 」


ボティスの尋問が始まっている。

遺体から眼を上げると、ルカが近づいて来ていて

ジェイドがゾイに、聖水を振るのが見えた。


「バスに戻ろうぜ。

オレらの役は、今んとこないし」


「おう、けどさ... 」


このまま遺体を、ここに こうしておいて

いいんだろうか?


「その人、ちゃんと 月詠が

幽世に昇らせたじゃん。今まで使われて疲れてんだろ。もう放っといてやれよ」


ルカは そう言いながらも

しゃがんで、遺体に手を合わせた。


そうか...  たぶん、こういうことか。

呪詛は腹立ったけど、オレは この人に

それほど 何も感情がなかった。

ただの遺体に見える。

これは、死んだ人を見たショックなんだ。


「... おまえん家、カトリックじゃねぇのかよ?」


オレも しゃがんで合掌する。


「ん、そう。母さんがな。

けど、じいちゃんと ばあちゃんは仏教だし

普通に墓参りも行くし。

ホトケさん目の前にしたら、ついさぁ。

けど、なんでもいいんだよ。心のことなんだし」


ルカは、風の精霊を呼ぶと

「たぶん、シアンかハティたちが

遺骨にするだろうけど」と言って

風に砂を乗せて、遺体にかけていく。

「まぁ この人も、見られたくはないよな」


オレらが動かないので、朋樹も来て

みそいでおくから、もう戻っておけよ」と

大祓を始める。


月詠が禊いで、幽世に昇らせたことは

オレも ちゃんと知ってる。

本人は、もう祓いの必要はないってことも。

たぶん朋樹は、オレのためにやってるんだ。


「呪殺されかけたけど、もう忘れてやるし。

ゆっくりな」


行こうぜ、と 言う ルカの顔を見ると

なんかわからんが、鼻の奥が痛くなって

目頭が熱くなった。


ルカはいつも、簡単に許す


いや たぶん

簡単じゃないんだよな


「しんどいよな、泰河」


動けねぇままのオレに、ルカが言う。


「もう 誰も降りらんねぇ。おまえも。

けど、覚悟 出来ねぇ時は、それでいいんだよ。

オレらは、望んで おまえといるんだぜ」


ボティスが言った、駄目でいいと思え って言葉も思い出す。


オレさ、カッとしちまうと

止まらねぇくせに

朋樹や、おまえが死にかけた時は

動けなくてさ。 怖くて


どうしても、思っちまうんだ。

オレが巻き込んだ って。

ひとが死んだりするような、こんなことに。


「どこにも行くなよ」


くそ。そんなこと 今言うな。


「ま、おまえが どっか行ったらさぁ

ハティたちに捜されて、ボティスの尋問だ。

キツいぜ、あいつ」


まったくよ って顔で、ルカはハティたちの方に

眼をやる。


ジェイドが ゾイの額に手を乗せていて

「まだだ。まだくなよ。いい顔だ、ゾイ。

俺を長く楽しませてくれ... 」と

ボティスが喋り続け

合間に、ハティとシェムハザが

「地上で命じられたんだな?」

「天使の名を言え」と、質問を重ねている。


ジェイドも キツいよな...

相手は悪魔とはいえ、祓いじゃなく

拷問に加わるのは。



ハティが「朋樹、呪で拘束を」と 呼ぶ。


大祓を終えた朋樹が

砂に手を付け呪を唱えると、赤い蔓が

朋樹の手の下から伸びて行き

ゾイの足元から巻き出した。


ハティとシェムハザは、青い防護円に入る。


ボティスは「残念だぜ ゾイ」と

鎖と蔓に巻かれたゾイの肩を叩き

「お前の上に、御使みつかいが降りられる。

印章の名前は読めるな? かの サンダルフォンだ。

お前は下だ。派手にイッてくれ」と笑うと

「ジェイド、召喚しろ。こいつには飽きた。

見ろよ、しぼんじまった」と

自分も白い魔法円の外に出た。

あれは、サンダルフォンの召喚円だったらしい。


「やめてくれ!」と、ゾイは悲痛な叫び声を上げるが、ジェイドは召喚の詠唱を始める。


「Domine, obsero, ne nos

Praeditus sapientia et prudentia: ... 」


「わかった! 話す! 頼む... 」


ゾイが 口を割ろうとした時だった。


... 来た


右手が 自然と、ジーパンのケツポケットに伸びる。


背後に立った そいつは

ピストルを持ったオレの右手を

まっすぐ前に出させた。


死神だ。


左手で 左眼を覆う。

右手には肘まで、白い焔が浮き出していく。



 『 ふたりだ。ひとり獲る 』



背から腕に巻き付く、質量を持った闇が

耳元で囁き、オレの指は 引き金を引いた。

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