うたかた

泰河


沙耶ちゃんの店のドアベルが鳴り

三の狐山、玄翁の修行から戻って来た朋樹が

苛立たし気に

「ボティス、天に潜ったヤツは

まだ戻って来ないのか?」と 聞きながら

カウンターの椅子に座った。

これはまだ、影 動かせてないな...


「まだだ。戻ればアコから、俺に報告が入る」


カウンター席の背後のテーブルで

ボティスは 頬杖をつき、雑誌を見ながら

「焦るなって言ってるだろ。

まあ、見つかってられた恐れもあるが」と

言い足し

「泰河」と、オレに空のカップを向ける。

また おかわりか。


キッチンにいる沙耶ちゃんの手を煩わせないよう

ボティスからカップを受け取って、カウンターの中に入ると

「泰河、オレ アイスで」と、朋樹が言った。

まあ、いいけどよ。


四の山、キャンプ場の広場に

月詠命つくよみのみことが落ちてきてから 一ヵ月。


光となって消えたサリエルを探している。


地上や地界には いるはずもなく

恐らく、天だろうってことで

ボティスとマルコシアスが、自分の部下を何人か

天に潜入させた。


サリエルは元々、天にいるウリエルと

一人の天使だったらしい。


月詠の幽世かくりよがある月に

サリエルが支配する界もあるようだが

そっちの捜索は、オレらには どうしようもないので、月詠と、その弟神の須佐之男命すさのおのみことに任せて

オレらは 落ち着かない気分のまま

とりあえず普段通りに、仕事をしている。



亥神の山、一の山での

魔人まびと... 黒蟲使いの件が解決した後

須佐之男は、姉神の天照大神に剣を返すために

半ば嫌がらせのように 高天原へ昇ったらしく

月詠は、ひとり幽世へ戻った。


すると、サリエルを捕らえていた大樹は破壊され

周囲を取り巻いていた牢珠... 黒い数珠も

草原に落ちていた。


幽世には、オレと朋樹、榊が知り合った

柚葉ちゃんという 亡くなった女の子がいる。


大樹を抜けたサリエルは、柚葉ちゃんの首を

後ろから掴んで盾にし

“界を開け” と、月詠に迫った。

自分で忍び込んだのではなく、囚われの身だったサリエルは、月詠が正式に扉から解放しないと

幽世から出られないそうだ。


月詠は、界の扉を出し

サリエルから 柚葉ちゃんを解放させ

結界で柚葉ちゃんを護ると

扉に手を掛けたサリエルを、再び捕らえようとし

抵抗したサリエルの雷と邪視に晒され

榊が開いた扉から、オレらの前に落ちて来た。


何故 サリエルが、大樹を破壊し 抜け出せたか。


月詠と須佐之男が、オレらに協力し

現世うつしよの死や血、穢れのそばにあったことで

一時的に、神力が落ちてしまったことによるという。


更に、月詠が幽世を空け、隙が出来たのを見て

サリエルは、自分の配下の下級天使を幽世に潜入させ、天使から受け取った 何かを飲んだのを

柚葉ちゃんが見ている。


白い炎のような何か

... 恐らく、サリエルが管理する 人間の魂。

死の天使と呼ばれるサリエルは、人の魂を管理し

他の天使を堕天させる権限を持っている。


柚葉ちゃんが サリエルに飲まれなかったことは

柚葉ちゃんにかかっている、月詠たちの父神

伊弉諾尊いざなぎのみことの加護による。

長い間、幽世で柚葉ちゃんが過ごせるのも

その加護によるものだ。

それについては、本当に良かったが...


『人の魂を飲んだとあれば、サリエルの能力は

格段に高まったとみていい。

天の禁を犯したこととなるが、サリエルには

天の追放を逃れる手がある。

再び、ウリエルと同体となるか

他の天使を堕天させ、成り代わることだ』と

ハティが言っていた。


これ以前にも、サリエルには

堕天しているのでは... という疑惑があった。

天使は、普通ならオレらの眼には 光として映る。

だが サリエルは、人の形として現れた。


長い黒髪。ごく薄い水色の眼をした

人形のような顔をした男だ。


もし仮に、サリエルが堕天していても

他の天使を堕天させる権限は、失っていない。

現に、オレらが出会った天使のアリエルは

サリエルに堕天させられていた。


天使は、預言者の元に現れるなど

使命や役割を持って地上に降りる時には

人の姿で降りる。

また上級天使は、召喚円内であれば人の姿を取れる。... これは上級天使の特権らしいが

サリエルも上級天使だ。

地上の人の魂管理という使命のために

人の形を取る特権が与えられているのかもしれない とのことだ。


つまり、堕天しているかどうかは

やっぱり はっきりせず

人の魂を飲む、という禁は犯したが

それは日本の神 月詠の幽世、別界でのこと。

天は、サリエルが禁を犯したことに

気づいてないと考えられる。


わかったことは、サリエルが脱走し

能力が上がっただろう ってことだけだ。



ハティから、この話を聞いたシェムハザは

もう大変に責任を感じていた。


月詠が、のんびり幽世にいるのが気に入らず

“お前も地に降りて働け” と言ったのは

シェムハザだったからだ。


ただ それは、シェムハザだけが思ったことじゃなくて、正直オレも “もっと言ってやれ” くらいに

思ってたんだよな...


シェムハザは キャンプ場に現れると

無言で、青い炎... 自分の魂の 一部を

月詠の口に潜り込ませて、傷を治療した。


『何故、穢れで神力が落ちることを

説明しなかった?』と

逆ギレ気味だったシェムハザに


『異国の神である お前になど、言って理解出来たとは思えん。これは俺の失態だ。

現世に降りることを選んだのも俺であり

スサを呼んだのも俺だ。自身の魂を削ったな?

余計なことなどするな』と、怒り気味で返した。


『悪かった』と、シェムハザが素直に謝ると

月詠は『お前のせいではないと言っておろう!』とキレた。

どうやら、失態を犯した自分が腹立たしいらしい。


『月詠命、須佐之男命 御両名の御手を煩わす事となり、誠に申し訳ありません。

二度と このような事が無きよう精進いたしますので、どうか御気を沈められて... 』と

朋樹が頭を下げ、隣で オレらも下げ


山神たちも『我等 畜生共の事に関わられ

大変な 御迷惑を御掛けするなど、我等の不徳の致すところ。どのような罰も喜んで受けさせて頂きたく... 』と、次々に土下座し始めると


『もう良い! 止めよ!』となり


『サリエルの事、並びに、今回の魔人のように

何らかの動きなどがあれば、即座に俺に伝えよ!

異国の御使いなどに関しても同様だ!

シェムハザ、二度と謝るな! 榊、界を開け!』と

逆に、今までより ずっと参加態勢で

幽世へ戻って行った。


シェムハザもシェムハザで

ハティやマルコシアス、ボティスが


『全体の責任だ。月詠や須佐之男の力無くては

結界も開けず、アバドンの奈落も閉じなかった』


『お前が月詠を参戦させなければ

アバドンにより、地上は終末を迎えていた』


『どうせサリエルは、幽世やらでだんまりだったんだ。未来永劫囚われたまま、俺等に引き渡されることもなかっただろう。奴は必ず復讐に来る。

その時に捕まえて、拷問すりゃいい』


... と、散々言っても

『いや、俺の責任だ』と 聞かない。


一度、葵や菜々、葉月... 魔人の子達を連れて

フランスへ帰国したが

毎日 必ず、オレら 一人一人の様子を見に来る。

月詠だけでなく、シェムハザも

何かあれば 即参加する態勢だ。


心強いけどさ、山神たちも山神たちで

オレらが『もう巻き込まないようにするから』と 言っても

『大母神などが目を覚ますとなれば、人だけの問題でもない。我等野山の者等にも関わること』 『人神様や、異国の神等ばかりに

仕事をさせるなど... 』と、退く気がない。


亥神の葬儀は終えたが

まだ、一の山の山神が決まらず

しょっちゅう話し合いしながら

榊がオレらのことを、逐一報告しているようだ。



「まだか?」


ボティスに言われて、出来上がったコーヒーを

サイフォンからカップに注ぐ。

朋樹のアイスコーヒー用のグラスに氷を入れてる時に、店のドアベルが鳴って

三日ぶりに、ルカとジェイドが入って来た。


「よう! 車、出来たぜー!

もうあっついよなぁ。泰河、オレもアイスでー」


ルカは入って来るなり、いつも通りに騒がしく

「何 読んでんだよ、ボティス」と

テーブルのボティスの向かいに座り

ルカが言うように、もうすっかり暑いが

長袖を着たジェイドは「泰河、僕もアイスで」と

カウンターの席に座った。


ジェイドは最近『国際免許は面倒だから』と

こっちで免許を取り直し、車を買った。


『どうせなら』と、六人乗りだが

選んだのは、1960年代に出たワーゲンバス。

絶対に見た目の好みで選んだだろうと思う。

まあ、かわいいけどさ。


納車前から、ルカが内装を考え

散々 業者の元に通い

納車されると、すぐにエアコン取り付けと

後部座席の改装に出し

細かいところは ジェイドと二人でこだわり

今日やっと完成して、店に戻って来た。


「ちょっともう、すげーかわいいんだけど!

あれで、みんなで仕事行こうぜ!」

「シートはL字だけど、倒せばベッドになる」


満足気な二人に

「店の占いの時間に、車見るぜ」と答え

また二人分のアイスコーヒーをセットする。


「沙耶さんは?」と聞くルカに

「キッチンで仕込み」と、ボティスが答えると

「マジで? オレ、顔見に行こかな」と

ルカがテーブルを立つ。


話が聞こえていた沙耶ちゃんが

「いらっしゃい」と、キッチンから顔を出した。


「何か食べる?」と聞く沙耶ちゃんに

ジェイドが気を使い

「いや、コーヒーだけで大丈夫だよ」と答えるが

沙耶ちゃんは、今日もデザートを出してくれる。


オレらは ここ 一ヵ月程、仕事以外は

朝から晩まで、沙耶ちゃんの店にいる。


沙耶ちゃんは、黒蟲に蟲を寄生させられ

一時、霊視力も奪われた。

心配でならなくなったので、極力 店にいることにした。


朝は 朋樹が沙耶ちゃんを自宅マンションまで迎えに行き、帰りは オレか朋樹が送る。

ルカはバイクだからダメだ。危ないからな。


店が混む時間は、テーブルを空けるために

店の手伝いに回り、極力 オレらが接客する。

沙耶ちゃんに 人を近寄らせないためだ。


店が暇な時間は、こうしてカウンターと

テーブルひとつを占拠。

オレらは無駄に図体でかいから

外からは、沙耶ちゃんが見えづらくなる。


けど占いの時間は、あんまり人数いると

客がギョッとするから

カウンターに二人まで。あとは車待機。


今日も もうすぐ、仕込みと占いの時間だ。

買い物があれば 誰か付いて行くし

占い客も怪しいヤツじゃないかと

チェックは怠らない。


「沙耶夏さん、買い物があるなら

僕が付いていくよ。

これから帰りは、僕も送れるし」


「うん、ありがとう。でも大丈夫よ」


「沙耶ちゃん、今日の占い客は男?女?」


「女の人よ。前にも いらしたことがあるわ」


「いうか、沙耶さんさぁ

家では何も、変なことない? 大丈夫?」

「そうだ、インターフォン鳴っても

すぐ開けちゃダメだぜ。ちゃんと霊視で確認して... 」


沙耶ちゃんは、なぜか小さく ため息をついた。


「ねぇ、心配してくれるのは嬉しいけど

みんなちょっと神経質じゃない? 私、少し疲... 」


「いや、サリエルにも注意が必要だからな」


ボティスが言うと、沙耶ちゃんは

また ふうと息をついて

ドアに “準備中” の札を掛けに行こうとするので

「札だろ?」と、朋樹が掛ける。


「そうだ」と ボティスが雑誌を閉じ

「昨夜 家に、悪戯電話があった と言っていたな?」と 沙耶ちゃんに確認する。

えっ、オレ聞いてねぇな、それは。


「悪戯電話じゃなくて、間違い電話よ。

あんまり “変わりはないか?” って聞くから

“どんなに思い出しても 間違い電話くらいで

何もないわ” って、答えたじゃない。

あなた、人間になってから

ちょっと心配症になったんじゃない?」


「いや。間違い電話なんか、今時 少ないはずだぜ。登録番号でかけるだろ」


「初めてかける番号なら有り得るわ」


「間違いを装って、在宅かどうかを確かめたんじゃないか?」


「なんならさぁ、オレもう

沙耶さん家に泊まろうか?」


沙耶ちゃんが “えっ?” という顔でルカを見ると

「あっ、違う違う。そういうんじゃなくてさぁ

やっぱ心配じゃん。

たまに男が出入りした方が 防犯には良くない?

オレのことなら、安心していいよ。

例え隣で寝たって、沙耶さんには何もしないよ」と 慌てて返しているが、これに沙耶ちゃんは

「失礼ね!」と、少しムッとした。

確かに、まだ女盛りの沙耶ちゃんに

これはこれで失礼だよな。


「沙耶ちゃん、ルカは

沙耶ちゃんが色気ない って言ってる訳じゃなくて

ただ心配なんだ」


フォローしたつもりのオレにも

沙耶ちゃんは、失礼ね って顔を向ける。


「いや、沙耶ちゃんは かわいいぜ、マジで」と

言った朋樹にも

「そう。僕が神父でなければ

とっくにデートに誘っているよ」と言う

ジェイドにも答えず


「小動物系という奴か。

確かに歳の割りに色気は薄いが、なかなか... 」


沙耶ちゃんは「もう! 」と、でかめの声で

ボティスを黙らせ


「私の色気のなさは放っといてちょうだい!

みんな お店から出て! 今すぐよ!!」と

初めて オレらにキレた。


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