ひなた 5


ギシリ と、廊下が軋む。


「これより先には... !」


浅黄の声。


震える足に喝を入れ、儂も廊下に出ると同時に

狐火を飛ばす。


「なっ!」


「放せ! 鬼め!」


赤き鬼は、浅黄を肩に担ぎ

儂の狐火を吹き消した。


ギシリ ギシリと、歩を進め

こちらに迫って来る。


ならば と、身の内の宝珠を燃やす。


ワラシは渡さぬ。相討ちになろうと

儂の全精力をもって 冥府へ送ってくれようぞ


宝珠を砕けば、例え鬼なれど

共に身は砕けよう


右手を上げ、界を開こうとした時

「榊、めよ」と、女の声がした。




********




赤き鬼の背後から顔を出されたのは

柘榴ザクロ様であった。


二山、蛇山の長であり

我等の狐山を含む、周辺六つの山の長でもある。


葉桜にワラシを 寝室に連れて行かせ

儂と浅黄、桃太が、柘榴様と赤き鬼を前に

座敷で話しを聞く。


「酒など... 」と 言われ、桃太が席を立った。


「柘榴様、こちらは... ?」


酒が来るまで待てず、儂が口を開く。


酒呑童子しゅてんどうじである」


のっ...


儂は、自らの肩が落ちるのを感じた。


これは駄目じゃ。幾ら空狐になろうと

儂は齢三百ばかりの 二つ尾であり

しがない界の番人じゃ。

儂の宝珠ごときでは、到底 敵わぬ。


浅黄も “ここまでか” と 眼を閉じたが

「しかし、源 頼光公に... 」

覚悟を決めたように口を開く。

ふむ。儂も絵巻で読んだことがある。


酒呑童子といえば、平安の頃の京で

悪事の限りを尽くしたという、恐ろしき鬼であり

若き娘を拐っては、身の回りの世話をさせるばかりか、その生き血を啜り、肉を食したという。


時の陰陽師、安倍晴明殿が占い

源頼光公 率いる 討伐隊が組まれ

頼光公等は、鬼山へ向かう途中で会うた

“山伏に扮し、この毒酒を飲ませよ” と言うた

神の化身の言葉に従い

見事、酒呑童子の首を討ち取った、と...


「無念であった... 」


赤き鬼は、桃太が置いた酒を空け

またグラスを差し出しながら言うた。


神便鬼毒酒しんべんきどくしゅに、身が痺れ

眠る内に討たれたのだ。

首となっても喰らい付いたが、星兜に歯も立たず... 」


「ならば、何故... 」

こうして ここにおるのであろう?


酒呑は 自分の首を指差した。

その首には、儂と同じに 紅き線が ぐるりと巻く。


「そういうことだ」


いや 解らぬ...


酒呑は、桃太が注ぐ酒を また干し

「目覚めたのは、百年程前であったが」と

グラスを差し出す。


「何?」


桃太が酒を注ぎながら、眼を丸くする。


「甦りなど、人神様にしか起こせぬ。

どこぞの人神様の仕業かは解らぬが... 」


柘榴様が ため息混じりに言われた。


儂のように、幽世かくりよなどから

戻ったというのであろうか?

いや、人が邪神と呼ぶものも また神であるので

月詠尊の元からとは限らぬが...


「して、何故 柘榴様と... ?」


「遠縁である」


ほっ!?


「確か、酒呑殿のお父君は

あの ヤマタノオロチだと... 」


浅黄が唾を飲む。


月詠尊の弟神、須佐之男尊スサノオノミコトが退治された

ヤマタノオロチは

落ち延びて、人の妻を取られたという伝承があり

身籠った その子

外道丸が、酒呑童子となったという。


「ヤマタは血縁なのじゃ」と

さらりと柘榴様が答えたが

いやはや、これはなんと...


「初耳にありますが... 」


うとまれる存在故、公にはしておらぬ。

山神達は知っておるがの」


桃太が せっせと 酒呑に酒を注ぐ中

柘榴様は グラスに指を付け

中の酒に、渦を作って見つめる。


「酒呑は、甦りし後

我が 二山の裏に棲んでおるのじゃ」


「おっ... 」


もう 言葉など出ぬ。


「鬼里など造ってのう。間違うても

人など立ち入らぬようにしてあるが... 」


しかし、百年もの間

よう大人しゅうしておったものよ...


浅黄も、儂と同じように考えたと見え

「甦られたなどと、一度も聞いたことはなかったが、もう 人拐いなどは... 」と

酒呑に直接に聞く。


酒呑と柘榴様は、眼を合わせ

「... 世話を焼きたいと、勝手に 付いてくる者は

別であるが」などと言う。


儂等の顔を見た柘榴様は

「この美貌であるからのう...

鬼でも良いとなれば、仕方あるまい」と

ホホ と笑う。


柘榴様も 大変に お美しくあるのだが

確かに、酒呑も大変な美男である。

儂などは 恐ろしさが先に立ち

とても そのように見れなんだが。


酒呑こと外道丸は、母の胎内に 一年半や三年や

とにかく、通常より長く留まり

髪や歯も生え揃って生まれ、すぐに言葉を話したというが、その才覚以上に 特に心配されたのは、手の付けられぬ気性の荒さと、美貌であったという。


そのため、幼き頃に寺に出され

童子... 寺の雑事などに従事し、まだ僧となってはおらぬもの となったが

並ぶ者のおらぬ程の美貌故に、周囲の娘たちには

大変に恋心を抱かれた。


山程の恋文が届いたが、読みもせず。

ある時 すべて捨てようと、文をしまった箱を

開けると、中から 相手にされぬ娘たちの情念が

煙となって溢れ出し、なんと

その煙を浴びて、鬼になってしもうた と...


想うだけでなく、想われることであっても

鬼になろうとは...

情念とは、げに 恐ろしきものであるが

本来は そういったものなのであろう。ふむ。


「喰うたり などと いうことは... ?」


酒を注ぎながら桃太が聞く。


「派手に事など起こさん。

また討伐隊など組まれると 面倒だからな。

朋樹とやらのことや、伴天連などという者のことなども 話は聞いておる」


地味になら 起こしておるのだろうか?

いや もう、わざわざ聞くまい...


「わかっておろうが」と、柘榴様が 儂等を見回し

「酒呑のことは、内密にの... 」と

眼の瞳孔を キュ と 絞られた。


「しかし、此度は何故

人里に降りられたので... ?」


ゴクリと唾を飲み、儂が聞くと

「祓い屋や伴天連などが出払っておろう?」と

柘榴様が申される。


「稚児がおるな。渡すが良い」


儂と浅黄が立ち上がる。

おのれ しゃあしゃあと、そのような...


「やはりのう... 落ち着け」


柘榴様は 儂と浅黄に、軽い落雷を見舞われた。

腰が砕け、ぺしゃっと座る。

まさか 室内に於いても

そのようなことが出来ようとは...


「む... 」


「お前たちで このようであれば

この場に祓い屋などおったら、どうなることか」


柘榴様はグラスに口をつけ

ふう と 小さき息を吐かれた。

むう... 艶のあることよ。

浅黄と桃太が ハッとして、視線を泳がせる。


「む... ワラシを喰う気か?」


キッと顔を上げて浅黄が言う。

おお、惑わぬとは。精神鍛練がなっておる。


桃太もなかなかであり、顔を上げる。ほう...


「そのようなことであれば、我等狸の種も黙っては おらぬ。例え この場で俺は死しても... 」


柘榴様は落雷を見舞われた。


「喰うものか。稚児は人ではないではないか」


はっ...


「見よ」


酒呑は、腰に携えた 白い陶器の瓢箪を

飯台に ドン!と置いた。


「酒が入っておる」


ふむ。


「これは五十年程前に、染二郎に貰うたものだ」


む! ふむ...


「割れぬのだ」


............ 。


柘榴様の説明に依ると、酒呑は五十年程前

フラフラと人里に降り、酒を呑んでおった。

むう...


すると、祓い屋に追われ

相手を倒した が、酒呑も瀕死であったと。


最期に酒が呑みたい。しかし酒はない。


逃げ込んだ工場の様な場所で倒れ、気を失うと

次に目覚めた時は、介抱された後があり

小さな男がおった と。


それが、染二郎であり

酒呑が倒れた場所は、宮田の陶器工房であった。


染二郎は ひとり、昔の窯を使い

趣味のものを焼いておったらしい。


『人ではないな?』


染二郎は、笑うて酒呑に言うた。


『うちにもワラシがいる。長い友だ』


酒呑と染二郎は、共に酒を呑む仲となったが

周囲で “鬼が出る” との噂になった。

まあ、それは そうであろうのう...


また酒呑が追われることや、人に被害が出ることを心配した染二郎は、酒呑に

『もう山を降りるな』と言うた。


しかし 酒呑は、別れを惜しみ

『せめて何か礼をさせてくれ』と、染二郎に言うたそうじゃ。


染二郎は、家人には誰も見えぬワラシの事を

大変に心配しており

『自分が死んだら、ワラシを頼む』と 酒呑に言い

いよいよ帰らねばならぬとなった酒呑は

『わかった。だが やはり、お前と別れとうない』

嫌じゃ嫌じゃ と駄々をこね

『俺と思え。絶対に割れん』と、瓢箪に酒を入れてもらい、泣きながら山へ帰った と。


「鬼の恩返しだのう」と 桃太が言うが

ふむ、昔話のようではある。

ただ酒呑が なついただけとも言えるが。


「染二郎との約束だ。あいつは俺の友だ」


もう自分で酒を注いでおる。


「約束ではあろうが

ワラシの気持ち次第でもあるのでは?」


儂が言うと、酒呑はムッとした顔になった。


「俺では不服と言うか?」


恐いからのう...


「俺は ワラシの良い友になる。

まだ幼かった茨木を育てたのも俺だ」


茨木童子... 酒呑と同じ鬼であり

酒呑の配下の鬼等を束ねる副官でもある。


茨木も幼き頃より 才覚のある美男であり

血でしたためられた恋文の血を舐めたことから

鬼になってしまったと聞く。


似た境遇であった茨木を

酒呑が拾い、育てた... と。


「茨木は立派な鬼になった!」


「... ワラシは鬼ではないからのう」


「くっ!」


どうも、口は立たぬようであるのう。


「ならば、立派な鬼にする!」


どうだ と 言わんばかりであるが

柘榴様までが無言であるので

酒呑は またムッとした。


「帰る!」と 立ち上がり

「だが、明日からも通う!」などと言う。


「いや、通うなどの問題では... 」


話など聞かず、七尺の赤き鬼は

まだ封を切らぬ酒を持って

ドスドスと廊下を鳴らして帰って行った。






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