33


「もう? さっき卵を移したばっかりなのに... 」


どくどくと鼓動が強くなる。

一月ひとつきで宿主を喰い破って出てくる って聞いたけど

孵って すぐから、こんなに苦しいのかよ?

中で孵って蟲になっても、いざ出てくるまでは

じわじわ養分を吸われる とか、勝手に思ってた。


「蟲は、血に触発されたようだ。

小腸の 一部が破損された」


喰われ初めている、って ことか?


「なんとか蟲だけ出せねぇのかよ?」


泰河が模様の手で 男の腹部に触れるけど

沙耶さんの時のように、蟲は出なかった。


「今、あらゆる手を試しているが

宿主と一体となったように結び付いている」


シェムハザが呪文を繰り返し

ハティが赤い粉の小瓶を取り出して

男に中身を飲ませようとすると

「... ありがとう、もういい」と、男が言った。


イヤだ。もういい って、オレは思えない。

「切開して取り出せば... 」と言ってみたけど

「それが出来るのなら、沙耶夏の時にやっている」と、ハティが答える。


「結び付いていると言っただろう?

ただの虫ではない。身体にだけでなく

霊体にも結び付いているということだ。

例え、憑いた臓器ごと取り出したとしても

取り出す時に、他の臓器に移る」


「でも何か、手が... 」


泰河も言うと

「孵ってしまえば もう、どうすることも出来ない」と 男が答え、痛みに身をひきつらせた。


「それに、二度は移せないんだ」


じゃあ、黒蟲に移すって 言ったのは... ?


「何 笑ってんだよ?」


声が震えるのに、止められない。


「騙しやがったな... くそ 何のつもりだ?」


男は、横になったままで

オレを見上げた。


「胡蝶が、すまなかった。

仲間を助けただけなんだろう?」


何言ってるんだ? こいつ...

胸に 何かが詰まっていく。


「胡蝶を 恨まないで やってくれ」


くそ...  なんだよ


だめだ 頷くことすら出来ない


「望みは?」と、ハティが聞くと

男は「胡蝶と同じ場所へ送ってくれ」と言う。


ぐう と 低く呻いて 身を起こすと

十字架の下の胡蝶の瓶のところまで這って行く。

壁に背をつけて、あぐらをかいて座り

瓶を膝に抱いた。


「世話をかけるが、生きている内に頼むよ」と

ジェイドを見る。


ジェイドは、一度胡蝶の血にまみれた

前神父のロザリオを、胸の前で握りしめた。


「叶えろ」と言って、ハティとシェムハザが

地下教会の階段を昇って行く。


「名前は?」と、ジェイドが男に聞くと

富士夫ふじお」と、男が答え

ジェイドは何か聞き間違えたのか

「何?」と、驚いたように 聞き直した。


「富士夫だ。名字はない。

遠い昔にはあったと思うが、忘れてしまった」


名字は、矢上 だったみたいだ。

捨てたんだろう。


聖油の小瓶を開ける ジェイドの指が震えている。


「なあ... 」って、泰河が 男に言う。

それ以上の言葉は、次げなかったけど。


「意味もなく、永く生きた」


男は、泰河の言葉にならない問いに答えた。


「いつ、こうなっても もう良かった。

胡蝶がいたから、生きていただけだ。

やっと楽になれる」と、咳込んで 喀血する。


「苦しませるな」と ボティスが言うと

ジェイドは、男の前に座って向き合い

聖油で 男の額に十字を描いた。


「聖父と聖子と、聖霊の 名のもと

汝、フジオに 命ずる。

共にあるべき者の元へ立ち去るよう

言葉の光を受け入れること」


聖水を振り、詩編の朗読を始める。


「“キリストは、私たちのために

ご自分の いのちを お捨てになりました。

それによって私たちに愛が わかったのです”... 」


ヨハネの手紙だ。

どうして、悪魔祓いの儀式で これを?


「... “ですから私たちは、兄弟のために

いのちを捨てるべきです。

世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に

どうして神の愛が とどまっているでしょう”... 」


やめてくれ


もう何かで いっぱいの胸に

違う何かが 流れ込んでくる。


教会と、遠慮がちなバイオリンの音色を

必死に胸から追い出す。


「... “子どもたちよ。

私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず

行いと真実をもって愛そうではありませんか”」


詩編の朗読が終わると

「ありがとう」と、男は眼を閉じて笑い

「森が見えたよ。たぶん黒蟲使いは そこにいる」と、また咳き込んで、さっきよりも血を吐いた。


「わかった。絶対に見つけ出す。約束する。

おまえさ、もう 喋るなよ。な?

なぁ ジェイド、頼む」


真っ赤な眼をした泰河が懇願する。


「“天におられる わたしたちの父よ

名が聖とされますように

御国が来ますように”... 」


ジェイドが、主の祈りを始めると

ボティスが「ハティ」と喚ぶ。


ボティスの隣に立ったハティに

「胡蝶の心臓を」と言うと

ハティは 一瞬、戸惑った。


「... “御こころが天に行われるとおり

地にも行われますように”... 」


「あれには、お前の呪力が... 」


「構わん。今すぐだ」


ハティの開いた手に、瓶詰めの心臓が乗ると

それをボティスに渡して、ハティは消えた。


「... “わたしたちの日ごとの糧を

今日も お与えください

わたしたちの罪をおゆるしください

わたしたちも人をゆるします”... 」


祈りの間に、ボティスが

胡蝶の心臓を男に抱かせる。


「胡蝶が最期に思い浮かべたのは、お前だった」


嘘だ。


その時は、もうボティスは 倒れていた。


男は、涙を流して

「... もう 少し  胡蝶 あと 少しだ 」と

夢を見るように呟いている。


「····“わたしたちを誘惑に 陥らせず

悪から お救いください アーメン”」


二つの瓶を抱いた 男の頭が

十字架の下の壁に 力なくもたれた。


眼に、蝋燭の灯りを映して。




********




泰河と一緒に、教会墓地の木の下を掘る。


墓石は後で建てることになるけど

遺骨を埋めるために。


シャベルの先が、木の根に当たる。


「木から、近すぎたかな?」


「もう少し こっち側に、穴 拡げようぜ」


シェムハザが、一の山から 掘り出した胡蝶の骨を

ジェイドが白い布にくるんで持ってきた。


穴を掘り終えると、中に白い骨を並べていく。


男の頭蓋の中には男の脳を詰め

胡蝶の頭蓋の中には、胡蝶の脳を詰めた。


身体の骨も並べると、二人の心臓の位置に心臓を入れ、胡蝶の折れた肋骨も被せる。


「シェムハザ」と 呼ぶと

木の下に オーロラのような何かが揺らめき

シェムハザが立つ。


ダンタリオンの本を開き、呪文を詠唱すると

穴の中の二人の脳と心臓が燃え

頭蓋の眼が開き、胸に何かが宿ったように見えた。


「共に昇り 共にあれ」と、シェムハザが言うと

穴の中の炎からの煙が ひとつとなって

夜空へ昇って消えた。


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