32


「“もらう”?」


ジェイドが 男の胸ぐらから手を離す。


「そう、俺に移せばいい。

蟲を入れられた人は、眠ってるんじゃないか?

寄生されたら、蟲のエサになる。

宿主に無駄な体力を使わせないためだそうだ。

一応 俺も混血だ。普通の人間より影響は少ない。

お前たちが黒蟲を探し当てたら、寄生した蟲は

黒蟲に戻せばいい。

蟲が身体から出る、ギリギリの時期に」


「なんで、そんなこと... 」


「復讐だよ」と、男は言う。


「胡蝶も、黒蟲使いの男に 寄生させられていた。

“言うことを聞けば、寄生させた蟲は抜いてやる” と、脅されて使われてたんだ。

胡蝶と黒蟲の能力の融合も行われた。

“相手の能力を奪う” という胡蝶の能力も

一部あいつに奪われ、逆に黒蟲が 操り蟲を入れた者を、支配することが出来るようにされて。

遠隔でも胡蝶を操作し、見張れるように

自分の血を 胡蝶に混ぜた」


男は 一度、膝の上の瓶に視線を落とした。

膝の上を見るのに、遠くを見るような眼で。


「血を混ぜられた者は、誰とも結ばれなくなる。

あの男の所有物になる って訳だ。

俺は あの男が、自分の蟲に食われるところが見たい。宿主のところへ連れて行ってくれ」と

男は立ち上がり

「... 待っていてくれ」と、胡蝶の瓶に言って

瓶を十字架の下に置いた。




********




沙耶さんが入院している病院に着くと

タクシーを降りたジェイドと男と 一緒に

沙耶さんの病室へ行く。


病室の前の廊下には、泰河とマルコシアスが

長椅子に座っていた。

朋樹は中で、祓詞を続けているようだ。


「下手なこと しねーよな?」


長椅子を立ち上がった泰河が、男に言うけど

男は「しないよ。信用しろとは言わないが」と

泰河を まっすぐに見て答えた。


マルコシアスが呪文を唱え、人払いをし

廊下から人がいなくなると

全員で沙耶さんの病室に入る。


泰河には、ここに来る前に話したけど

朋樹には今、地下教会での話を説明すると

「移す? そんなことが本当に出来るのか?」と

眉間にシワを寄せて、男を見た。


「多分。これが失敗したら、他の手は知らない。

成功を祈っておいてくれ」


少しの間、男をじっと見ていた朋樹が

沙耶さんのベッドの隣から退くと

男が、沙耶さんの隣に立って

沙耶さんの腹部の上に手をかざす。


沙耶さんは、点滴に繋がれてはいるけど

顔色は悪くない。

眠っていると、普段より幼い顔に見えた。

メイクを落とされているからかもしれない。


「... よかった。蟲は まだ孵っていなかったようだ。祈るか何かしていただろう?」


朋樹が男に頷く。


「それが効いてたんだ。まだ食われていない」


沙耶さんの胸の上まで掛けられたシーツを

男が 腹の下まで下げて、病衣の紐を解く。


「待て。それは必要なのか?」と

マルコシアスが聞くけど、男が

「腹部だけでいいから、タオルを用意して」と

言い、泰河が着てた 真緑のジャージを脱いで

沙耶さんの首からヘソまでが隠れるように掛けた。


「ナイフか何か ないか?」


男の言葉に、皆 顔色が変わる。


「違うよ。彼女には傷を付けない。

俺の血で誘うために必要なんだ」


躊躇したけど、ジェイドが魔術用の黒柄のナイフを渡すと、男は 自分の指先にクロスの傷を付け

服でナイフを拭いて、ジェイドに返した。


男は、祝詞のような調子の呪文を唱えながら

沙耶さんの腹部に、自分の血で

記号のような物を書いて

沙耶さんの腹部の上で 指を押してまだ血を滴らせ、祝詞調の呪文を繰り返す。


ぽた ぽた と落ちる血の下で、沙耶さんの腹部が

小さくうごめいた。

5センチくらいの紐のようなものが、皮膚の下で

ぞろぞろと動いている。

これがまだ孵っていない状態なのか と

男の顔を見たけど

男は切り傷の指で、蠢く蟲に触れた。


蟲が、皮膚の下から長い身体の先端を出して

男の指先の傷に入っていく。


身体、と表現したけど

黒く つるりとした卵みたいだ。

すっかり指先に入り切ると、蟲の卵は

男の皮膚の下、手の甲を通り 腕を登っていく。


「無事に済んだ。血を拭いてあげて。

蟲がいないか確かめるといい」と、男が言う。


マルコシアスが、沙耶さんの腹部に指を置いて

頷く。

ジェイドが聖水で濡らしたタオルで血を拭いて

蟲が出た場所を見たけど、沙耶さんの腹部に傷はなかった。


「彼女は、今夜中にでも目を覚ますはずだ。

疲れたから 休ませてくれ」と、男は病室を出た。




********




とりあえず、男を連れて教会へ戻って来た。


ジェイドが「家の方に回れ」と言ったけど

男は「胡蝶といたい」と、地下教会への階段を降りる。


「彼女の目が覚めるまでは、ここにいるよ。

俺も気になるから。

逃げないけど、心配なら縛るといい」


そんな気にはなれなかったし

オレらは そのまま、ジェイドの家の方へ戻った。



ハティとシェムハザ、ボティスに 今の話をすると

ハティが病院へ向かい、すぐに戻って来た。


「よくやった。蟲は消えている」


そう言われても、オレもジェイドも何もしていない。見てただけだ。


「残るは黒蟲だけだが

居場所はようとして知れぬままだ」


オレらが病院へ行っていた間に

シェムハザと ハティが六山を回ったようだけど

今日も まだ、何も起こってない。


「諦めた ということも考えづらい。

何かしらの手を画策していることだろう」


そうなんだろうけど、どこに出るかも

何してくるかも わかんねぇしさぁ。


ジェイドも黙ったままだけど

オレも なんか、どっか ぼんやりしてるのが

自分でわかる。


沙耶さんのことは、良かった。本当に。


腹の中にいたのが、子供じゃなくて良かった ってのもあるけど、寄生した蟲も出せたし。


それを自分に移した、あの男のことが気になる。


黒蟲への復讐のためとはいえ、自分を犠牲にしていることも、あの男は オレらに対して何も悪いことはしていない ってことも。


黒蟲だけでなく、オレを恨んでなきゃおかしい。

なのに、そういうものを感じない。


ボティスがオレを見てるのに気づいて

なんとなく眼を逸らす。


「地下にいる男は どうする?」


ジェイドが聞くと、ハティは

「本人の望むようにさせれば良い」と答えた。

つまり、解放してもいい ってことだ。


ジェイドが食事と水を持って、地下教会の男のところへ行き

黒蟲に蟲を移した後なら、いつここを出てもいいってことや、洞窟教会に 人間になった仲間がいること、矢上のことを話すと

床に座ったまま、食事を受け取り

“わかった、ありがとう” と、返事をしたらしい。



夕方まで バイクでボティスを連れて

街の中を回り、何ヵ所かで シェムハザの釘付けを試してみたけど、魔人は 一人も見かけなかった。


「矢上に使われていた者たちは、紅蟲の呪いが解けて自由になっただろうが

黒蟲に加担している者もいる という話だったな?

そいつらが どこかにいるはずだが... 」


「矢上が死んで、慎重になっているということも考えられるが、何かアクシデントが起こって

動けない状況だということも考えられる」


五の山の麓の洞窟教会にも寄って、人間になった魔人たちに会ってきたけど

あれからは髷の霊も出ておらず、特に変わりなく過ごしていた。


「収穫はなかったが、体力の温存も必要だな。

教会へ戻って夕食を取るか。泰河や朋樹も呼んでおけ」と、シェムハザが消える。


バイクを停めたコンビニの駐車場で

ボティスにヘルメットを渡すと

「気にしているのか」と聞いてきた。

「胡蝶と、あの男のこと」と。


気にしていても、これを どう形容していいかは

わからない。

あの男の寄生の蟲を早く 黒蟲に移したい。

罪悪感とか、そういうものだけじゃなかった。


「相手が 悪い者ばかりとは限らん。

恨まれた方が楽な時もあるが、あの男のように

聖人じみた奴の場合もある。

そういう時は、もう どうしようもない。

間違っても相手に謝ったりなどは... 」


「しねーよ」


相手の大切なヤツを殺っておいて

謝ったりするほど、オレは無神経じゃない。


「それならいい。自分も恨むな」


バイクを指差すし、前に乗ると

「たまには俺が前でもいい」とか言いながら

後ろにボティスが跨がる。


「ふざけんな。運転は させねーし」


エンジン掛けると、笑いながら

すっかり慣れた風にオレの腰に手を添え

「俺は お前の、人間臭いとこが気に入っている」

とか、自分も人間になったくせに言う。


「おまえは悪魔の時から人間くさかったじゃん。

仕事料は物だし。天使の時もか?」と聞くと

「ある意味ではな」と 答えた。


「なんて名前だったんだよ?

皇帝に気に入られてたくらいなら、名前調べりゃ、どんなヤツだったか出てくるよな?」


「知らんでいい。古い情報など、知ったところでどうする? 今は人間として お前の後ろにいる」


そうだけどさぁ、気になるよなぁ。


教えろ、教えん と、しょーもない問答を

教会の近くの駐車場まで繰り返すと

さっきより気分が落ち着いてきた。


バイク停めて、ヘルメット掛けてたら

泰河の車が入って来て、運転席の泰河が

“よう” って手を挙げる。


「朋樹は、もうちょっとしてから来るってさ。

沙耶ちゃんが目を覚ました時に、誰かいた方がいいしさ。オレと朋樹が、交代で病院にいるかもしれん」


「うん、その方がいいかもな。

病院で 一人で目覚めたら不安だろうしさぁ」


話しながら、教会の門に入って裏の家に回ると

地下教会からジェイドやシェムハザの声がする。


なんだ? と、三人で降りてみると

あの男が身体を折って床に倒れていた。


顔色も悪く、ひどい汗をかいて苦しそうだ。

ハティと シェムハザが 男をみていて

男の腹部に手を当て、呪文を唱えたりしている。


ジェイドは、オレらを振り向くと

「蟲が孵った」と 言った。

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