罪の女 3


「ジェイド、おまえ... 」


遅れて車に戻って来たアロルドが

焦って助手席に乗り込みながら

後部座席の真ん中に座る マリアに眼を向ける。


「そうよ。やっぱり、こんなこと... 」


パーカーを被り、頭を低くしたマリアは

左隣にいる 真っ青な顔をしたフリオと

右隣にいる僕を、ちらちらと見た。


「どうする?」


ユーリが車内ミラー越しに、マリアと僕を見る。


「決まってるだろ」


僕が答えると、マリアが迷いながら頷く。


ユーリが ニヤッと笑って車を出し

アロルドは「最高だ!」と 大笑いした。




********




僕らが ノーラに戻った時は

もう充分に明るくなっていた。


「とりあえず服だな」


いつもの溜まり場の倉庫は

明るい時間に入ると、ひどくシラける。


床の砂ぼこりと、散らかったゴミ。

汚いソファーとマットレス。

薄汚れた窓から入る日差しが

テーブルやランタンの薄い埃を晒している。


マリアは、僕のパーカーを着ているだけだ。

膝の上までの ぶかぶかのパーカー。


夜は、最初に着ている服よりマシだ と思ったのに

さすがに昼間の住宅街は歩かせられない。


「... ぼく、買って来るよ」


フリオが言うと、ユーリが

「車を出す」と 立ち上がった。


マリアがパーカーのポケットから

現金を出すが、フリオは受け取らない。


「それは、君のお金だ。

着るものくらい、ぼくらが何とかする。

ぼくらが連れて来たんだから」


時々 フリオは、僕らより ずっと大人に見えた。

だから尚更、何故 一緒にいるのだろうと思う。


「私、ずっと 逃げたかった。こんな風に」


マリアは、ぶかぶかの袖に顔をうずめた




********




フリオが買ってきた、目立たない上品なワンピースと、低いヒールの靴を履いて

僕とマリアは、僕の家の前にいる。


ヒスイが出て来るのを待っていた。


さっき、電話に出たヒスイは

いつも通りに不機嫌だった。


この頃、僕とヒスイは 日常において

ほとんど会話を交わしていなかった。

僕が 自分にアートを始めてからだ。

僕は 学校から帰ると、すぐに家を出ていたので

会うことも少なかったけれど。


ヒスイは、たっぷり 15分は僕らを待たせた。

マリアのことは言っていなかったので

僕だけを待たせたつもりだった ヒスイは

家から出て来た時は、少しも

悪くも何とも思ってない顔をしていた。


マリアを見ると、途端に

「ごめんなさい、ジェイドだけかと... 」と

口元に手をやったが

「あの、それで... ?」と、僕に説明を求める。


僕と ヒスイは、誰かと付き合っても

お互いに紹介などすることはなかった。

それに僕は、これまで 一度も

こうして誰かを 家に連れて来たこともない。

トラブルは御免だ。女同士が鉢合わせても困る。


「彼女を、家に住ませたいんだ」


今 ここに マリアが立っていなければ

ヒスイは、“イカれてるの?” と聞いただろう。

そういう顔だ。


「... 順を追って話せないの?」


なんとか、そう言うにとどめているが。


「今から話すよ。とりあえず、今は

彼女を、おまえの友達だってことにして

家に入れてくれ」


ヒスイは マリアに気を使い、渋々と了承した。



「お母さん、友達を連れてきたわ。

飲み物 もらうわね」


あら、と 母が言うが、ヒスイは

「アイロン中でしょ?

終わった頃に紹介するわ」と

グラス二つと オレンジジュースを持って

マリアを連れて、2階へ上がって行った。


「あらあら、クッキーか何かあったかしら?」


リビングに大量の洗濯物を取り込んだ母が

キッチンにいた僕に目を止める。


「ジェイドじゃない。

あなた、ちゃんと学校は行っているの?」


「行ってるよ。問題ない」


「そう... まあ、母さんは あなたを信じてるけど。

少しは母さんのことを思って

その腕を、隠す努力はしてちょうだい。

卒業してからにして、って あれほど言ったのに... 何も聞きやしないんだから」


そうか。パーカーは倉庫に忘れて来た。


「それに、あなた

どこかでシャワーを浴びたの?

うちのシャンプーと匂いが違うわ」


母親っていうのは

どうして こう勘がいいのだろう。


「うん。汗かいたから」


母は、何か言いたげに僕を見たけど

新たな小言が始まる前に、冷蔵庫からミルクと

紙袋に入ったパンと皿を取って 2階へ上がり

ヒスイの部屋に入る。


ヒスイもマリアも、テーブルに置いた

グラスのオレンジジュースを見つめていた。


「遅いわ」


ヒスイが 僕に言う。


肩を竦めて、マリアの前に皿を置き

紙袋からパンを取って乗せた。


マリアがソファーに座り、ヒスイがベッドに座っていたので、僕は 机の椅子に座る。


まだ紙袋にあるパンを取り出すと

「机の回りで、物を食べないで」などと

ヒスイが言う。


「じゃあ、おまえが ソファーに座れよ」


ヒスイは ふいと横を向く。

僕は、結局は床に座った。


「... それで?」


ヒスイが聞くと、僕がパンを飲み込む前に

「私、娼婦なの」と、マリアが言った。


「... え?」


「娼婦よ。ローマで立っていたわ。

昨日、逃げたの」


パンを飲み込む間に、マリアが 全部言った。

ヒスイは、事態を飲み込むのに必死みたいだ。


「だから、ここに... 」


僕が言い終わる前に、マリアが立ち上がった。


「ごめんなさい。帰るわ」


「何 言ってるんだよ? せっかく逃げたのに!」


「今 戻れば、“昨日は疲れて帰っただけ” って

言えばいいもの。お金を渡せば問題ないし」


また あの顔だ。


「ダメよ」


ヒスイが、マリアに言う。


「座って。もっと、ちゃんと話して。

私、映画や本でしか

その お仕事のこと知らないの。

だから、このままじゃ

解決策なんか出せないわ」


ヒスイはベッドから、ソファーに移動し

マリアの背に手を置いて座らせた。


「ジェイドは 自分の部屋に居て。後で呼ぶわ」


「僕が彼女を連れて来た。どうして... 」


「彼女にストッキングを穿かせるからよ。

このワンピースに 素足なんて、おかしいわ」


僕は 退散せざるを得なかった。




********




それから、一時間は待たされた。

僕より先に、母がクッキーを持って

挨拶に入ったくらいだ。


やっとヒスイに「いいわ」と言われて

隣の部屋へ戻ると、マリアは薄く化粧をして

髪も整えていた。また少し俯く。


「昨夜とは違うね。

今 ローマを歩いても、誰も君だと気づかないよ」


茶化して言うと

「気にしないで、イルマ。

知っていると思うけど、ジェイドはバカなの」と

ヒスイが微笑む。


「イルマ?」


「彼女の名前よ。“マリア” は 捨てたの」


イルマ・コレッリ


それが、マリアの名前。


マリアでも イルマでも

僕にはどっちだって良かった。


彼女は彼女だ。


それに、僕には

彼女が マグダラのマリアだった。


何でもない昨日の話が、特別な話だと思うのは

きっと僕だけじゃない。


「どうして僕がバカなのか、説明してもらおう」


母が置いて行ったクッキーを摘まんで言う。


「考えなしだからよ。

パーカーだけ着せて来たなんて、信じられない」


昨夜の最初の格好で連れて来ていたら

もっと信じられなかっただろうけどね。


「それに、計画性が無さすぎるわ。

彼女は 今の状態じゃ、実家に戻れないのよ。

ウエイトレスの仕事だって思って、住所も書いてしまってるし。

もう 21歳だから、家族の方から行方不明届けが

出されてたって、優先的には探されないわ。

自分で家出したと思われるもの」


「わかってるよ」


「でも、彼女に昨夜 触れなかったことは

評価するわ」


僕が眼を閉じると、二人がクスクスと笑った。




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