罪の女 2


フリオは、僕らとは違う

新しい手で金を稼ぎ出した。


高い服を着て、高い靴を履く。

そして観光客ではなく、ナポリのマダムを狙う。


『すみません、マダム。

ぼくは、フィレンツェから来たのですが

スリに遭ってしまって... 』


片道分の交通費を貸してくれないか、と

高級なカード入れから、イタリアで有名な

名家の紋章入りの 偽名刺を出す。


フリオの身なりと、紋章入りの名刺

緊張したフリオの顔を見て

被害に遭って混乱していると同情し

ほとんどの人が、“交通費くらいなら... ” と

フリオに金を渡した。

しかも、名家相手に見栄を張りたいのか

“それは大変でしたね” と、余分に渡す人が多い。


しばらくはナポリで これを繰り返したが

一度見た顔が多くなってきたので

僕らは、ローマまで出ることにした。


フリオは、被害者を装った詐欺だけではなく

僕らがスリをする時も、よいオトリになった。


身なりの良いフリオが話しかければ

皆、警戒心は薄くなる。

その間に僕らがスリを働く。

僕らは順調に、遊び金を手にしていった。



ある夜、僕らは

ローマの歩道に立つ娼婦たちを

興味半分に見ていた。


それぞれ彼女や そういう相手はいたし

盛りとはいえ、困ってはいない。


だけど、こういう遊びをしたことがなかった。


「... どうする?」


「金はある」


フリオは緊張して青くなっていたけど

ユーリが話しかけに行く。


1人 150ユーロ。

聞いたことがある相場より、少し高い気はするが

衛生面を気にしたフリオが

ホテル代を負担する と言うので

“ホテル別で 1人200出す” と、ユーリが伝えると

喜んで仲間を連れて来てくれた。



僕が 一緒に部屋へ入ったのが、マリアだった。

マリアという名の、4つ年上の娼婦。


「うってつけでしょ?」


僕がベッドに座ると、マリアは床に座る。

僕の膝の隣に。


「なんで、そんなとこに座るの?」


「どうしてかしら?」


僕が子供だから、からかわれているのだろうか?


「シャワー、一緒に浴びる?」と言う

ダークブラウンの髪に縁取られた顔には

どこかに 慣れた諦めがあった。


「いいよ。でも その化粧も流して。

どこもかしこも色が濃すぎて、顔がわからない」


マリアは、カッとしたように見えたが

相手は 17の僕で

まだ料金を受け取っていなかったので

「いいわ」と

先にシャワールームに入っていく。


だが、身体は流しても、なかなか顔を流さない。

僕は彼女が、クレンジングを手に取るのを待つ間に、頭まで洗ってしまった。


流しっぱなしのシャワーの湯気に顔を背けながら

「先に出ておいて。すぐに行くわ」と

彼女は言う。


「メイクは落とすわ。

でも、落とすところは見られたくないの」


こうして裸を見られても 少しも恥じらわないのに

化粧を落とす行程が 恥ずかしいとは。


僕は “わかった” と、右手を軽く挙げて

バスローブを羽織ってシャワールームを出た。



それから、20分は たっぷり待っただろうと思う。


僕がビールを飲み干すのより時間が掛かったが

マリアはバスローブを羽織い

頭から すっぽりバスタオルをかけて

少し俯き気味に シャワールームを出て来た。


「髪も洗ったの」


そうして、またベッドの下に座る。


「何か飲む?」


僕が ホテルの小さな冷蔵庫を開けると

マリアは「そうね」と、少しだけ顔を上げ

「いただくわ」と オレンジフレーバーのミネラルウォーターを選んだ。


「ベッドに座ったら? 身体が冷えるよ」


「まだ暑いわ。たっぷりシャワーを浴びたから」


「僕が ソファーに移ろうか?」


「何 言ってるの? 何しに来たの?」


そうだけど。頑なだな...


「ああ、でも そうね。

これじゃあ、何も出来ないわね」と

ミネラルウォーターを飲み

「灯りは つけたままがいい?」と聞くので

灯りを消して、僕も床に座った。


マリアは、バスタオルに半分隠れた顔で僕を見たけど、僕は また口を開いた。


「マリアって、“マグダラ”?」


「そうよ。罪の女」


マグダラのマリア。


ジェズの亜使徒。性的に奔放だったとか

娼婦だったという話がある。

彼女は、ジェズの足を涙で洗い、香油を塗り

それを髪で拭いて 足にくちづけた という。

彼女の罪は、ジェズが許した。


「それなら、君も

神の恵みを受けられる」


マリアは、驚いたように 僕に顔を向けた。


「どうして?」


「恵まれ幸せな人より

罪深い人の方が、恵みが必要だから」


ブラインドのすき間から差す街灯の明かりは

マリアに縞模様を描いていた。


「... だけど、神は平等なんでしょ?」


「そうだね。どこかの王様の上にも 僕らの上にも

同じように雨は降るし、虹もかかる」


マリアは黙って、なぜか涙を流した。


「マグダラのマリアは

ジェズの妻だっていう説もあるね」


マリアは知らなかったようで、首を横に振り

黙ったままなので、僕は また少し話し続けた。


「一度 埋葬された ジェズが復活した時

マリアは墓に行って

ジェズの遺体が無くなったことを嘆くんだ。

墓石は避けられ、中は空だったから」


“どうか、あの方を返して!” と

嘆くマリアの近くに、ジェズは立っていたが

マリアは、ジェズが彼女の名前を呼ぶまで

ジェズに気づかなかった。


「すがりつこうとしたマリアに、ジェズは

“私は神のもとへ上がる前だから

触れてはいけない” と言ったようだ」


「... 邪魔になってしまうから?」


「どうだろう? 何故なのかは知らないけど

ジェズは行かなきゃいけないのに

行きたくなくなるからじゃないかな?」


マリアは、僕の人間染みた解説に

眼を丸くした。


「だって妻だったなら、そうだろう?

すがられたら、決心が鈍るじゃないか」


17の僕は、今より単純で まっすぐだった。


「... そうね そうだったら いいのに」


また喉が渇いてきて、冷蔵庫から

レモンのフレーバーのミネラルウォーターを取って、ベッドの下に戻って 開けて飲む。


「その頃、マリアという名前の人が

7人もいたって話もある」と 付け加えると

マリアは「嘘よ」と

信じられないという風に 少し笑った。


「本当だよ。そうだ... 」


ソファーに投げ出していたジーパンから

財布を取り出して、200ユーロを渡すと

マリアは、あの慣れた諦めを 顔に浮かべる。


「スカートを買うといい。

尻の下まで丈があるやつが買えるはずだ」


僕が情けを込めた風に言うと

マリアは また少し笑った。


「トマトやパンを買う時は、あんなスカートじゃないわ」


アロルドやユーリ、フリオに

“済んだか?” と、メールをしながら

「どうして、この仕事を選んだの?」と聞くと

何回も聞かれたことがある質問のようで

バスタオルの下で、うんざりした ため息をつく。


「ウェイトレスの募集だと思ったの。

違ったけど、辞めさせてもらえないからよ」


そう答えて、頭のバスタオルを下ろし

「そろそろ はじめる?」と、僕に聞く。


「そうだね。下着を着けてきて」


「... その方が、好き?」


「うん。下着だけでいい」


マリアは、シャワールームに入って

黒い下着を着けて戻ると

ジーパンを穿く僕を、怪訝な眼で見ている。


フリオからメールが返ってきた。

シャツを着ている間に、ユーリからも。


「... 脱ぐところからするの?

それとも、あなたは着たまま?」


「これも着て」


僕は、自分のパーカーを投げた。


フリオとユーリにメールを入れながら

「君は犯罪の被害者になるんだ」と 言うと

マリアは顔を強張らせる。


「君は ここで、何かに巻き込まれたんだ。

だから、僕と逃げよう」














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