車を教会近くの駐車場に入れ、鉄柵の門を開けると、石畳の先の教会の扉の前には 人影が二つ。

「あれ?!」と

ルカが驚いた声を上げる。


教会の前に立っていたのは、神父姿のジェイドと

マルコシアスだった。


マルコシアスは、シェムハザの城で知り合った悪魔だ。

ソロモン王に使役された 一人で、30の軍を持つ。


天に反旗を翻した ルシファーと共に堕天した

天使の 一人 らしく、本人は天へ戻りたいようで、

かの ソロモン王にも

“1200年経ったら天へ戻りたい”と 零していた... と聞くが、未だに戻れていないようだ。


そういう いきさつもあって、祓魔師には従順。

そういや、ジェイドに仕える とか言ってた気がする。


実際は、狼の身体に グリフォンの翼を持ち

尾は蛇... という 幻獣の姿をしているが

今は、軍人のような人型をしていて

オレと同じで顎ヒゲがある。


「めずらしい組み合わせだよな」と言うと

ジェイドが ため息をついた。


「“どんな悪魔が見てやる” と 言うんだ」


マルコシアスは、オレらが日本に帰ってからというもの、しょっちゅう教会を訪れ

ジェイドを困らせているようだ。


「悪魔祓いをするというのに

教会に別の悪魔が居て どうするんだ」


ジェイドが マルコシアスに言っているが

マルコシアスは 真面目な顔で

「下級の者なら 俺が追い払う」と言ってきかない。


「まあ、いいんじゃねーのー?

最初にマルコシアスが憑かれた人 見てさぁ、

祓いの時は、外で待ってれば いーじゃん」


ルカが軽く提案するが、マルコシアスは

「人に憑くなど、よっぽど理由がなければ

下級の者が ほとんどだ。祓う必要もない。

一睨みすれば 憑いた者は逃げ出すだろう。

誰の配下か見て、管理を徹底させる」と

やっぱり譲らない。


そのうちに、教会の門の前に 車が停まり

何人かの人が降りて来ると、ジェイドが また

ため息をついた。




********




車を降りて来たのは、悪魔に憑かれたという

まだ高校生くらいの男と、その母親。

医者 一人、看護士 一人。


憑かれた男は、本人や他人に危害が及ばないように という配慮のためなのか

上は 白い拘束衣を着せられている。


「それでは、彼を こちらにお願いします」


教会の磔の十字架の下で

ストラという長いストールのようなものを

両肩に掛けたジェイドが言う。

床には、白い布が敷かれていた。


憑かれた男は、無精髭を生やし

まだ未成年とは思えない程、皮膚の艶を失い

白濁した眼で ジェイドを睨みつけている。


十字架の下の白い布の上に座らせると、男が唸り出したので

医者や看護士には、脇に居てもらうようにし

ルカが男の後ろから 肩を、オレは 脚を押さえた。


「お母様は、少し離れて見守られて下さい」


小さく細い母親は、疲れ切っており

今にも倒れそうに見える。

ジェイドの言葉に頷き、通路の長椅子の隣に立った。


「マルコ」


ジェイドに呼ばれ、マルコシアスが憑かれた男を覗く。


マルコって...  略称か?

まあ、この場で悪魔の名前は言えねぇよな。

聖人にも マルコ って居た気がするけど。


男は、マルコシアスに白濁した眼を向けると

口を歪めて笑った。

マルコシアスが顔色を変え、ジェイドの耳に

何かを呟く。


「... これはこれは、マルコシアス侯爵。

教会などで何をしている?」


男は嗄れた声で、マルコシアスに言う。


「マルコ、君は裏にいてくれ。

彼が興奮すると困る」


ジェイドの言葉に、マルコシアスは無言で頷き、教会を裏口から出た。


男に憑いている悪魔はマルコシアスを知っているようだが、焦ったりする様子はなかった。

下級のヤツじゃないのか?


ジェイドが 聖油の瓶を手に取り、指先につけると、男の額に 十字を描いた。


くっ と 小さく、男が呻く。


「ヨハネ。

“ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た”」


ジェイドが 朗読を始めると

男の額には 汗が滲み出した。


「“父の みもとから来られた ひとり子としての栄光である。

この方は恵みとまことに満ちておられた”」


剥き出した歯をギリギリと軋らせ、ジェイドを

呪意を込めた眼で睨んでいる。


ジェイドは、十字架の下で男を見下ろしながら

「名を言え」と命じた。


歯を軋らせるばかりの男に、聖水を振り

主の祈りを始めた。


「天に おられる私たちの父よ

み名が聖とされますように

み国が来ますように」


「... やめろ」


「みこころが天に行われるとおり

地にも行われますように」


「やめろ!」


息を荒げて、一度 白濁した眼を

ジェイドの背後に架かる 磔の十字架へ向けた。


「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください

わたしたちの罪を おゆるしください... 」


男は、祈りの途中で暴れ出した。

危うく足蹴りされそうになり、ちょっと焦って

体勢を整える。

なんとか両足首を捕まえたが、嘘みたいな力で

また手を離しそうになる。


「... 琉地」


ルカが 小声でコヨーテを呼ぶ。

ルカの妹が悪魔に憑かれたことがあるらしく

儀式にも立ち会ったことがあるせいか、幾らか冷静だ。

急に暴れることも予測していたようで

男の背後から、拘束衣ごと抱き止めて固定している。


白い煙となって男の上に現れた 琉地が

男の腿の上で腹這いになり、オレの補助をしてくれた。


ジェイドが 男の隣にしゃがみ、男の額に手を乗せると、途端に 男が獣のような声を上げ

「やめろ! 手を離せ!」と 喚き散らした。


「名を言えと言っている! 何度も言わせるな!」


ジェイドが再び命じると、手の下の白濁した眼が ジェイドに向いたが、すぐに その眼を逸している。


「祈りが途中だったな」と、ジェイドが言うと

「ダイナだ!」と、男が名乗った。


「俺は、その男を見るために遣わされただけだ!」


押さえた足の先の男の白濁した眼と、目が合った。男の視線は オレに向いている。


ジェイドが 男の額から手を外した。


「ダイナ。主ジェズ・クリストの名のもと

汝に告ぐ」


「待て! 誰の差し金か話してもいい!」


男はジェイドとオレに、代わる代わる眼を向けるが、ジェイドは構わずに続ける。


「彼の身から立ち去れ。今すぐに。

まだいる というなら、主の言葉を聞け。

... “それから、ジェズは言われた。

『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい』”... 」


「やめろ... 頼む、やめてくれ!」


「... “『信じて洗礼を受ける者は救われるが、

信じない者は滅びの宣告を受ける。

信じる者には次のようなしるしが伴う。

彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、

新しい言葉を語る』”... 」


ジェイドが 読み続けると、男は 粗い息を吐きながら「やめてくれ!」と 懇願した。

せわしなく 白濁した眼を動かし、ガタガタと身体を震わせる。


「... “『手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも

決して害を受けず、病人に手を置けば治る』”... 」


長いストラの端を持ち、男の拘束衣の胸に それを宛てると、男は咆哮した。

泣きながら駆け寄ろうとする母親を、医者が止める。


「出て行け。今すぐだ」


ジェイドが男の顎を掴み、自分の首にかけた

ロザリオの十字架を 白濁した眼の前に出す。


「たとえ 俺を... 今コイツから 追い 出しても

そいつは もう... 」


男は 十字架から顔を背けながら、白濁した眼を

またオレに向けた。


「... 知られている と? だから何だ?

彼は僕の友だ。覚えておけ」


ジェイドが男に聖水を振りかけ

男が また咆哮する。


“知られている?” って

オレの模様のことか... ?


「これ以上 煩わせるな。

ダイナ、おまえに わかりやすい言語で祈ってやる。

主ジェズは、こう祈れ と言われた。

... “Pater noster, qui es in caelis

sanctifietur Noman Tuum;

adveniat Regnum Tuum;

fiat voluntas Tua, sicut in caelo, et in terra”... 」


ジェイドが どこかの言葉で祈り始めると

男の震えが大きくなって 突然 止まり

身体をビクビクと痙攣させ出した。


「... オレは気になるからさぁ、地界でオレの友達に話してよ。ハーゲンティっていうんだ」


ルカが 男の耳元で言うと、閉じかけていた瞼が開く。男から 琉地を退かせた。


「... “Panem nostrum quotidianum da nobis hodie;

et dimitte nobis debita nostra,

sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;”... 」


ジェイドの詠唱に、オレの手の下の

男の足の力が抜けていく。

もう、咆哮する余力も残っていないようだ。


「... “et ne nos inducas in tentationem;

sed libera nos a Malo.” Amen.」


祈りが済むと、男は眼を閉じ

全身から がくりと力が抜けた。


終わったのか...


ジェイドが掴んでいた男の顎を離して頷くと

ルカが そっと、男を床の布の上に寝かせる。


オレも足から手を離したが

ジェイドが医者に診察を頼み

「すぐ戻ります」と、教会の通路を歩き

扉から外へ出た。


なんだ? まだ何かあるのか?


オレとルカも それに続く。


教会の石畳の向こう、鉄柵の外には

マルコシアスと牡牛の頭の悪魔、ハーゲンティがいた。


二人の間には、人間に見える男が

両手と膝をついている。


あいつ、今の ダイナって悪魔か?


ジェイドが 二人に頷くと、ハーゲンティが

上に向けた手のひらを 軽く上げた。


地から黒い鎖が伸びて、両手と両膝をついているダイナを拘束して 地に沈め

ハーゲンティとマルコシアスも消えた。

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