山を降りて、まず女の人が襲われたという

住宅街に向かう。


史月や朱緒には、残った匂いを 識別 出来るらしい。

被害者の血の匂いや 恐怖を感じた匂い。

加害者の興奮の匂いとか。


「ずいぶん下品な匂いね」


車を停めると、降りた朱緒が 整った顔をしかめた。


史月と同じ碧眼に、くっきりとした眉。

口角が上がった ふっくらとした唇。

赤いケープコートから白い腕を出して

ブルネットのウエーブの髪が掛かる 胸の下で組む。


「ん? 人間だよな?」と

史月が道路にしゃがみ込んで鼻を動かした。

オレも近寄って、うっすらと雪が積った地面に

手をつけてみる。


うん。襲われたのは ここで間違いないな。

耐えがたい恐怖や絶望感と、どうしようもない

恍惚感 が アスファルトに残ってた。


泰河が 史月の隣に立つと、史月が立ち上がる。


「どうだった? やっぱり人間なのか?」


「人間だな。人間だけどよ... 」


「あたしたちと似た匂いもする。狼の匂い」


朱緒が言った。




********




「じゃあさぁ、やっぱり

狼 連れた人間 ってことなんかな?」


「いや、ルカ。史月や朱緒は霊獣だけどよ

日本狼は絶滅した って言われてんだぜ」


さっきの住宅街の近くの店に入った。

雪も ちらつくどころか、本気で降ってきて寒いし。何より、腹減ってきたし。

史月たちは やっぱり “肉がいい” って言うから

ステーキ屋。


もし近くに、犯人の男が来れば

匂いでわかる って言うしな。


「絶滅してないわ」


3ポンドのステーキから顔を上げて 朱緒が言う。


「おう。人が入れないような山に棲んでるぜ。

数は少ないけどな」


史月は3ポンドふたつ だった。

すげぇよなぁ。肉の塊ふたつ 簡単に食っちまうとかさぁ。1ポンドでも450グラムあるんだぜ。


“絶滅してない” に「マジかよ?!」と 興奮した泰河が、フォーク落としそうになってるし。


「けどよ、オマエ、赤毛って言ってただろ?」


史月の言葉に フォーク持ち直した泰河が頷く。


「それなぁ、夏毛の色なんだよな。

今みたいな寒い時期は、白っぽくなるんだぜ」と

説明しながら、史月は呼び鈴を鳴らした。


デザートはチョコケーキにするようなので

1ポンド完食したオレも、同じケーキと

コーヒーを追加する。


「あたしたちは もう、色は変わらないんだけどね」


史月や朱緒は、白銀の毛並みをしている。

子供たちも同じらしい。

その子供たちが成獣になると、守護のために

日本中の山に散らばるようだ。


「えっ、じゃあ、日本の狼神 ってのは

全部 史月たちの血筋なのかよ?」


「違うやつもいるぜ。

大口真神ってのも、犬神も違うしな。

俺らは 人のための神 って訳じゃねぇんだよ。

自然の方だな。玄翁げんおうみたいなもんだ」


玄翁っていうのは、史月たちとは違う山の

山神の狐。

墨色の小さい狐のじいちゃんだけど

凄腕の術師だ。


やっと1ポンド食い終わった泰河と

3ポンド食って けろっとしてる朱緒が

コーヒーを追加した。


「ふうん。史月たちの子か 違うのか っていう

見分け方とかあんの?」


「毛色じゃわからんな。他にも白銀はいる。

眼の色だ」


鮮やかな碧眼だったら ってことか。

史月も朱緒も、秋空みたい碧い眼をしている。


で、どうでもいいけどさぁ

このケーキ 甘過ぎんだよな。

ケーキってより生チョコだぜ これ。


「そういや、今日は 朋樹はいねぇんだな」と

史月が思い出したように聞く。


「ああ、あいつ今、日本にいねぇしな」


そう。

朋樹は2月に入ってから イタリアに行った。

ジェイドの双子の妹、ヒスイに会いに。

ヒスイも オレの従姉妹にあたる。


もう 一週間になるけど、帰って来ねーんだよな。

まあ、うまくいってるってことだろうけど。


「で、オマエら 二人は、女っ気もなく

猟奇的な共喰い探しかよ。なんかなぁ... 」


「なんだよ、史月てめぇ。

朱緒がいたら やたら大人しいくせによ」


あっ。わやわやなるな、これ。

口 挟んどくか。


「そりゃあさぁ、オレらだって

朱緒みたいに いい女に出会いでもしたら

仕事なんかしてねーけどさぁ。なあ、泰河」


しみじみ言うと、泰河も

「おう。史月、おまえには もったいねぇよ」と

同意した。


朱緒は、一度 眼を大きく開いて見せたくらいだったけど、史月は「だろ?そうだよなぁ~」と

あっさりゴキゲンだし。

でも、すぐに真顔に戻った。


「史月」


朱緒が コーヒーのカップをテーブルに置く。


「匂うぜ。あの住宅街じゃねぇけど

そう遠くもない」


オレらは席を立った。




********




「次を右! もうっ、車って遅ぇよなぁ!」


後ろから身を乗り出して 史月が吠える。


「うるせぇな!

交通ルールってもんがあるんだよ!」


泰河も吠え返すし。


「相手の匂いは ほとんど移動してないし

そんなに急がなくても大丈夫よ。

それより、あたしたちが相手に見つからないように 気をつけなくちゃね」


朋樹も いねーしさぁ

朱緒が冷静なやつで良かったよなー。


匂いが近くなったようなので、近くの駐車場に

車を入れる。


「ここ 曲がったとこだ」


史月が指し示したのは

一方通行の人気ひとけのない道路だった。


なるほどな。


家の塀とかに囲まれてるし

街灯も小さいやつが並んでるとこだし

今みたいに暗くなってから

女の人が 一人で歩くのはどうか って感じする。


遠くに人影が見えたので、一度 角に隠れて話す。


「今 見えた、あの人影?」と聞くと

史月も朱緒も頷いた。


「史月、おまえ目立つぜ。でかいしよ」


泰河が言うと、史月は狼の姿に変異した。


でかい...  狼になっても でかい。

顔は オレや泰河の胸の位置だし。

オレら、一応 背は 180ちょいあるんだぜ?

朱緒は 狼になっても、中型犬くらいだった。


白銀の毛並みが 月光みたいに輝く。

大神様、っていうのも納得だな。


「ちょっと見て来るから

オマエらは、ここで待っとけ」


史月は角を曲がって駆け出した。


で、駆け出したと思ったら

2分くらいで戻って来たし。

そりゃ、車を遅い って言うよな。


「ウロウロしてやがんな。

紙袋みたいの持ってたぜ」


「近くに、狼か犬はいた?」


「いや、いなかったな。

でもよう、匂いはするんだよな」


まさか その紙袋に狼を入れてる ってことはないだろうしなぁ。

けど、見えないとこに待機させてるなら

史月や朱緒は匂いでわかるだろうし...


「うろうろしてるのって、獲物を待ってるんじゃないかしら?」


朱緒が 赤いケープコートのフードを被った。


「あたし、捕まってみるわ」


「待てよ 朱緒! なんかあったら... 」

「そうだよ、そんなことしなくていいって」


泰河と止めるけど、史月は 朱緒に頷く。


「朱緒は、人間の男にやられるようなタマじゃねぇよ。俺もいるしよ。

オマエらは、相手の心配でもしとけ」


史月が また駆け出して、朱緒も 角を曲がって歩き出した。


「どうする?」


「どうするっつってもなぁ... 」


下手に出ると、邪魔になるおそれもあるけど

ただ突っ立ってるのも どうかと思う。


朱緒のピンヒールの音が遠ざかっていき

泰河が角から そっと向こうを覗いた。


「かかってるぜ」


オレも 角から顔を出して見ると

男は、朱緒と 一度すれ違ってから 声をかけたらしく、オレらから見て 手前側に男の背中

その向こうに、こっちを向いた朱緒が見える。


男は気づいてないけど、軽自動車並みのでかさの史月が、隣で 二人を見ていた。


「何やってんだ? あいつ」


男が持っていた紙袋から、何かを出した。


「羽織ってるぜ。コートか?」


遠くて聞こえないが、何か話す声がする。


「ちょっと行ってみるか... 」


「静かにな」

「おまえがな」


オレらは、路地に入った。


足音を なるだけ忍ばせて近づくと

男の荒い息と声が聞こえてきた。


「ああ、かわい ねええ... 」


若い声だ。高い声を無理に抑えて話してるような。


「たま ら ないよ... 」


ハアハア言いやがって、気持ち悪。

オレ、変質者って初めて見たぜ。

まだ頭しか見えてねーけど。

なんか もさもさしたファーコート羽織りやがってさ。

史月は、男を隣から白けた顔で見ている。


「何なの? 何か用なら... 」


朱緒が、怯えた風を装って聞くと

男は ますます息を荒くして

「君 は、どこが おいし い かなあ?」と

羽織ったコートのフードを被った。


「おい... 」と、泰河が 小声で言う。


街灯が逆光になってて、近づくまでは よくわからなかったけど、こいつ、毛皮羽織ってる。

フードは 狼の頭だ。

頭は 頭骨付きみたいで、頭に 頭 載せてやがるし。

かっこ悪ぃ...


男が いきなり 朱緒の両肩を掴んだが

朱緒は、無言でその手を払った。


「つよ い んだ ねぇ...

あか ずきん ちゃん... 」


赤ずきんちゃん!


ハアハアが でか過ぎて、声の方が聞き取りづらいけど、どうやら なりきってやがる。

朱緒は 狼なのによー。

泰河は 隣で笑い堪えてるし、やめろよなぁ もう。


あれ... ?


元々 170くらいの男の体躯が、ちょっと縮んだように見えた。


いや、違う。

フードの狼の頭が、男の肩の上まで下がってる...


どうなってんだ?

男の頭は どこにいった?


朱緒の顔色が変わり、史月の眼にも警戒が浮かぶ。


「ぅぐぁっ... ああ あ」


男が 低く唸り出した。

ぶるぶると武者震いのように身体を震わせる。

すぐ後ろまで迫ったオレらには気づいてないけど...


「あ?」

「マジかよ?!」


羽織った毛皮が 男に張り付いて

一体になっていく。

腕や脚の形が変わり、手には長い爪が見えた。


男は、背中を曲げて 地に両手を着くと

朱緒に飛び掛かかる。

史月が 男の腕を噛んで引き離した。


転がった男を 史月は前足で押さえ付けたが

それは もう男ではなく、赤毛の狼だった。

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