クリスマス キャロル 3


********




「... ええ、彼には 血も涙もないわ。

私は文句も言わずに 長年勤めているのに

昇給なんて おろか、休みも減ったわ」


沙耶ちゃん?


開いたドアの隙間から 声が聞こえる。

ここは... 何かの事務所、なのか?


大きいデスクには 黒い革の椅子が備え付けてあるが、椅子は 座った腰の形を残す程 くたびれている。


その部屋の隅には、同じようなデスクと椅子。

こちらは もう使われていないようだか、棄てられもせず 書類置き場になっている。


ぼんやりとした薄暗い照明の下の、簡素で清潔で、味気ない部屋。


デスクの上の書類に捺された印には

“朋樹&泰河 商会” の文字。

商会? なんなんだそれは...


「... そう、もう七回忌ね。

泰河くんも、それは ひどかったけど

泰河くんが亡くなってから ますます って感じよ。

だいたいね、泰河くんの葬儀の時だって

お香典をケチったんだから。

三途の川を渡るためのお金だって

棺の前から持って帰ったのよ。

“こいつには貸しがあったから”ってね」


... これって、オレのことを言ってるのか?

オレ、そんなことしてねぇぜ。何の話なんだ?


「だけど私が言いたいのはね、その心のことよ。無関心? それだけじゃないわ。

自分が人を傷つけているなんて ツユ程も考えてないし、わかってないのよ。

イチ足すイチはニ、それだけで生きているの。

笑わせるわよね。正しいつもりよ... 」


それは、あるかもしれない。


沙耶ちゃんは、隣の部屋で黒電話の受話器を置くと

「ああ、明日はクリスマスだっていうのに

あの子たちに何もしてあげられないわ」と

重い ため息をついた。


振り向いて、ドアの隙間から 眼が合うと

驚いて固まっている。


「... あら、朋樹くん。

忘れ物でも されたのかしら?

私は、今 帰るところですの。二時間 残業して」


沙耶ちゃんは オレに「お疲れさまです」と

機械的に言って、部屋を出た。


なんなんだ?

あんな沙耶ちゃん、初めて見たぜ。

そして それが、オレに向けられるとは...


だいたいこれは? 夢なのか?何かの幻惑か?

... いや、そんな兆候はなかった。

相手が何であれ、幻惑なら気づくしな。


それならやっぱり夢なのか、違う界へ迷い込んだか...


「... 朋樹」


霊の気配に振り向くと、そこには

重い鎖に何重にも巻かれた 泰河がいた。


「泰河? どうしたんだよ?」


オレが近づき手を伸ばすと、泰河は首を横に振った。


「こいつは オレの咎だ。

生前、だいぶ好き勝手にやってたしな。

最近なら 大学生からイカサマで 十七万も取ったりしたし

おまえん家の冷蔵庫にあったキャビア食ったのもオレだ。しょっぱかった」


「いや、知ってるぜ。

今に始まったことじゃねぇしよ。

鎖 祓ってやるから... 」


「朋樹。おまえは こうなるな。

まだきっと間に合うから」


話、聞いてねぇのかよ...

だいたいオレは 泰河みたいなことしてねぇしな。

その程度の罪で その鎖も 割に合わんぜ。


「これから 三人の精霊が、おまえんとこに来る。いい人生を送れよ」


泰河は、鎖に巻かれたまま消えた。




********




おかしな夢をみた。目覚めてすぐにそう思うのだから、あれは夢だ。


あれはまるで...


「朋樹クン、おはよーん」


すぐ後ろで声がする。


横向きで寝ていたが、背後... 反対側に顔を向けると、ルカの眼が至近距離にあった。


「うわっ!」


思わず身を起こすと、ルカは大笑いし

「なんだよー、照れてんのかよー」と

横になったまま片肘を付き、頭をその手に乗せた。


「なんて距離で寝てんだ、おまえ」


ルカは、自分の背後を指差した。

二組しかない布団の 一組で、泰河が 大の字になって寝ていた。


「夜中、泰河の腕と脚が降ってきたし

しょーがねーだろー、布団 狭いしよー。

オレ、風邪ひくの ヤだしさぁ」


そうだ。ジェイドの家で雑魚寝したんだ。


昨日は 寝る寸前まで、この客間に ジェイドもいた。

恋愛観みたいな しょうもない話から

一反木綿の話に変わって、ほっとしていたんだ。

それで ほっとするのもどうかという話だが...



『一反木綿ってのはな、ただ ふわふわしてるだけじゃない らしいんだよ。

顔に巻き付いて窒息させるみたいだぜ。

オレも 見たことないから知らねぇけど』


『そうなのか! それは知らなかった... 』


『でもさ、考えてもみろよ。

仮に その正体が、褌だとするだろ?

ジェイド。おまえが 昨日巻いてたやつ だと仮定するぜ。

それが 突風で飛んで他人に巻き付きでもしたら、どんな気分になる?』


『やりきれないね。恥ずかしくもあるし』


『それで 窒息なんかされてみろよ。

どうしようもねぇだろ。

おまえもだけど、被害者だって なんか切ないよな。こうして怪異は生まれるんだ』


嘘つけ


オレは、寝ているルカの隣で 本を読んでいた。

クリスマス・キャロルを。


... あぁ、これか。


枕元に置きっぱなしだった本を拾い上げた。

夢の内容は、この本の冒頭部分だ。


なんか、読んでた本を そのまま夢にみる とかって単純だな。ちょっと おかしくなった。


古めかしい装丁の本の表紙を開き、中の文に眼を通す。原文のままだ。


オレは、深い会話には自信がないが

英語は まあまあ分かるし 読める。

気に入ったものは、原文でも読んでみることにしているが...


クリスマス・キャロル、か。

読んだことはあるが、原文で読もうと思う程

好みではなかった。


昨日は、話の方向がおかしくなって 軽く狼狽していたらしいな。適当な本を本棚から取ったのか。


パラパラとページを捲りながら ふと気づく。

この本、古すぎないか?


発行は... イギリス、1843年?


いや、まさかだよな...


「おはよう。朝食は パンとミネストローネだけど、泰河は まだ寝ているね」


ジェイドが 客間に顔を出した。


ルカが「先に食おうぜ。腹 減ったわオレ」と

身を起こして 伸びをする。


「ジェイド、この本... 」


ジェイドは、オレの手の本を見て

「それね。イタリアから持って来たんだ。

初版だよ」と 微笑った。


「えっ、なんか古くていいな。

初版って、オレらの親世代じゃねーの?」


いやいや、そんなもんじゃねぇだろ。


ルカに呆れて、本に眼をやると

“妖怪大辞典”...


「はあ?!」


どういうことだ? さっきは...


こうして怪異は生まれる

うっかり、泰河の言葉を思い出してしまい

自分に喝を入れる。


「朋樹、どうした?」

「おまえさぁ、昨日から なんか変だぜ」


きょとんとする 二人に「いや、なんでもない」と答えるが、妖怪大辞典を食い入るように見つめてしまっていた。




********




「朋樹」


なんだ? また夢か?

ここは... 通っていた小学校のグラウンドだ。


「泰河... 」


黒いキャップ帽に 赤いシャツ。

カーキのハーフパンツ、黒のスニーカー。


小学生の泰河だ。


「行こうぜ」


小学校の 三年か 四年くらい だろうか?

その泰河に手を引かれて、明るいグラウンドを歩く。


滑り台やジャングルジムで、自分達で決めた 何かのルールの下に遊んでいる子達や、ブランコに乗っている子達。

サッカーやドッジボール、鬼ごっこをしている子達もいる。たぶん、昼休みの光景だ。


手を引かれた先は、グラウンドの右端だった。


「... 次はさ、オレは最初 外野にいるよ」

「泰河が? 勝つのむずかしくならないか?

今日は、内野でボール受けられるヤツ 少ないぜ」

「それが おもしろいんだろ? それでも勝つ。

キリがいいとこで当てて入るからさ」


隣で手を引く泰河とは別に、もう 一人の泰河。

そして、白いシャツに 紺のハーフパンツ。

小学生のオレがいる。


あぁ、あの帽子を被っていたのは 三年生の時だ。

ちょっと珍しいやつ。茶色いチェックのキャップ。


昼休みは ドッジボールばっかりしてたな。

懐かしい。

外野に出た泰河からパスを受け、三年生のオレは内野から攻撃している。


「覚えてるか?」


隣にいる泰河が聞く。


「ああ、覚えてるよ。楽しかったよな」


泰河は頷き

「校舎に入ろう」と、またオレの手を引いた。


‘’3年4組‘’ という札がかかった

西校舎の三階の教室。


さっき ドッジボールをしていたのに

ここでは、理科の授業を受けている。


オレも 泰河も、席は 一番後ろ。

泰河は 窓際の特等席だが、オレは 真ん中の列だ。


窓際の泰河が、一人挟んだ向こうから

消ゴムの欠片を 真ん中の列のオレに投げている。

ノートを取っていたオレが、泰河の方を見ると

泰河は 次に、丸めた紙を投げた。


三年生の自分の後ろから その紙を覗くと

『今日もテング探そうぜ』と書いてあり、思わず顔がほころぶ。


この辺りには、天狗の伝承はなかったが

オレの実家にある 郷土史や昔話の中に

“近くの山に天狗が来訪した” というものがあった。

“その天狗に修行をしてもらった” というものだ。


泰河は その話に夢中になり、オレ達は よく二人で、山に天狗探しに出掛けていた。


三年生のオレは、窓際の泰河に

親指と人差し指で輪を作って 頷いている。


「雨宮! 梶谷!」


担任の須崎先生が 厳しい顔で名前を呼んだ。


「居残りして草むしり」


オレと泰河が「えー... 」「またぁ?」と

小声で言うと、周囲の子達が笑っている。


オレの斜め前の席の、ポニーテイルの女の子も

振り向いて笑っていた。


川島 杏樹...


「朋樹。オレは第一の霊、過去なんだ」


隣にいる方の泰河が言う。

... あの夢は、続いていたのか。


「おまえ、川島のこと好きだったろ?

隠してたけどさ」


「ん?!」


知ってたのか?


「川島も、おまえが好きだったんだぜ」


... なんとなく、わかってた。

クラスが変わっても、中学に進学しても。

でもオレは、ごくたまに

少し話せるだけで よかったんだ。


「なのにさ、朋樹おまえ

なんで他のヤツと付き合ったんだよ?」


泰河は オレを見上げているが、眼は黒いキャップの影になっている。


「そりゃあ... 」


オレは、二の句が継げなかった。

子供の頃の 泰河に。


他の子が『つきあって』と言ってきたから。

つきあうこととか、女子に興味があったから。


いや、違う。


オレは いつも、本当に欲しいものに

手を伸ばさない。


それは きっと簡単に手に入る。

なのに、それは 多分 オレの根幹を揺るがす。


だから、いらないフリをする。


三年生のオレは、シャープペンを持ったまま

川島のポニーテイルの赤いゴムを見ていた。


「おまえがそれで良くても、川島は泣いてたんだ」


「... うるせぇな」


泰河のキャップを取った。

まっすぐな子供の泰河の眼とぶつかる。


その視線を避けようと、またキャップを被せると、過去の泰河は消えた。

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