20


石畳を歩き、教会の門を出ると

門の前には 何か模様が描かれており

「踏むな」と

ハーゲンティに注意を受ける。


朧気に青白く光る粉で描かれているようで

直径 1メートル程の 二重の円の間にぐるりと何語かわからないものが描いてあった。


魔法陣? って いうやつか?


「いてっ」


後ろから ボティスがオレの髪を抜き、魔法陣らしき模様の中央に入れた。


ぶつぶつと何か呟くと、魔方陣の中央から 3センチ四方のガラスのようなものが

オレの胸元くらいの高さに浮かび上がる。


赤や青、みどり、黄色...

ふわふわと輝き色を変えるそれは、ステンドグラスのようだ。


「よし、こっちに来い。それは踏むなよ」


オレと ルカは魔法陣を避けて、ハーゲンティの近くに行った。


教会の前の細い道路は、門から出て左に行くと、林道になり、白尾の山に続くが

今 オレがいる方は、魔法陣を挟んで右側... 住宅街へ続く道側だ。


ボティスが牙の間に、輪にした人指し指と親指を入れ、短く指笛を鳴らすと

べちゃっ と

コールタールの様なものが目の前に落ちた。

うわぁ····ルカも顔をしかめている。


コールタールみたいなやつは、うぞうぞと表面を波立たせると

液体のまま 中央から起き上がっていく。


やがて、やけに顔が青く

べたっとした髪の男の姿になった。


「どうだ?」


ボティスが聞くと

「アリエルの不在に 天は気づいていない」と

男が答えた。

天に潜り込んできたのか...


「アリエルの配下に成り済まし、アリエルの不在を吹聴してきた。

天は、アリエルを捜し始めている」


ボティスが頷き

「サリエルについては?」と聞く。


「下級の者は、誰も知らなかった。

大天使には近づけない」


「ご苦労」


ボティスが言うと、そいつの足元から黒い鎖が這い上り、そいつの身を拘束した。


「お前、天で飼われたな? 匂うぞ」


「違う! 捕まりかけたんだ!」


えっ、寝返ったのか?


「ボティス! 頼む!

違うんだ、信じてくれ!」


男は 懇願しているが

「五百年」と、ボティスが言うと

諦めたように眼を閉じて、鎖と共に地に沈んでいった。


「500年?」ルカが聞くと

「牢に繋ぐ」と、ボティスが答える。


「... だが、働きはしたようだ。

見つけ出したな」


ハーゲンティが 道の向こうを見ながら言う。


帽子を被ったジーンズ姿のアリエルが

こっちに向かってくる。


「いつもより、時間 早くないか?」


しかも、白いワンピース姿じゃない。

いつも教会に来る時と違う格好で来た。

沙耶ちゃんの店に来た時の格好をしている。


さっきの悪魔が、地上のアリエルを見つけ

ここに来させたようだが...


ハーゲンティは、それに答えず

「通せ」と言う。


魔法陣の前を通れるように開けると

アリエルはオレらの前を通り過ぎ、二重の円の上へ手を伸ばす。


そこに浮く 3センチ四方のステンドグラスに触れると、魔方陣の中に入った。


魔方陣の文字が緩く光り、アリエルの周囲に文字が浮く。


「一時的に隠す、触るな」と

ハーゲンティは言い


「シェムハザ」と、誰かの名前を呼んだ。


シェムハザ って

なんか最近 聞いたことあるな...


オレと ルカの間に、オーロラの様な何かが揺らめき、それも男の姿になった。


緩いウェーブの小麦色の髪。

長い睫毛が縁取る 明るいグリーンの眼。

すっとした形がいい鼻の下には、血色が良く引き締まった唇。

白く清潔なシャツのボタンは 胸元まで開き

タイトなブラックジーンズに

黒いロングブーツを重ねて履いている。


なんだこの 恐ろしく男前なヤツは...


「ハーゲンティ。ボティスも。久方ぶりだな」


男は ハスキーな明るい声で話す。


「最近、地上におるのか?

ワインでも飲みに来たら良いものを」


しかも、こいつ

すげぇ いい匂いがする...


「そのうち頂きに行こう。

こうして会うのは、奥方の葬儀以来か?」


ハーゲンティが言うと

男の眼に哀しみが浮かんだ。


「あれから、三百年程になろうか...

ジークは老いても尚、美しい女だった」


あっ、思い出した!

こいつ、人間の娘を妻にして堕ちた っていう...


ボティスが「おお、そうだな」と

男... シェムハザに近づいたので

ルカは邪魔にならないように 一歩下がり

シェムハザの背後を通って、オレの隣に来た。


「... すっげー、キラッキラしてんな。

なんかもう ドキドキするわ オレ」


ルカが 小声でオレに言うので

笑いそうになり、うんうん頷く。

確かに、一見 天使かと思うような容貌だ。


ボティスは

「そうだ、あの琥珀の瞳の美しさよ...

彼女の作るチェリータルトの味といったら!

絶品だった」と、シェムハザの肩に手を置く。


「おお、覚えていたか... 」


シェムハザは「そうだ、あの瞳... 」と

遠くに想いを馳せている。


「... ボティスは、交渉が得意らしいぜ。

効力はその場限り みてぇだけど」


ルカが また小声で言った。

確かに、ボティスは ハーゲンティに比べると饒舌な気がする。


「今 一度、彼女の声を聞け。シェムハザ」


ハーゲンティが 片腕を軽く広げて言うと

その前に、白髪を結ったお婆さんが立った。


彼女は小さく、美しく品があり

琥珀色の眼で優しく微笑んでいる。


「ジーク... 」


シェムハザが 彼女に近寄り涙ぐむ。


「まだ泣いていらっしゃるの?」


仕方がないひと、といった感じで

彼女は また微笑んだ。


「私は もう充分愛されたわ、シェムハザ。

あなたは笑っていなくては。

あなたの愛を、他のひとに分けてあげて」


シェムハザの伸ばした手に、彼女は手を置き

「私の魂をあげましょう」と

白く揺らめく小さな炎になった。


手のひらの上からそれは

シェムハザの口の中へ煙のように溶け入る。


シェムハザは胸を押さえ、眼を閉じた。


「シェムハザ」


またボティスが、シェムハザの肩に手を置いた。


「彼女は、お前の しあわせを祈っている。

もう 嘆き暮らすのは止めたらどうだ?」


「いや、しかし... 」


ハーゲンティが腕を組み、上になった手の人差し指をわずかに下へ動かすと

浮いていた魔法陣の文字が 地面の二重円に戻った。


ふと、シェムハザが眼を上げ

魔法陣の中の アリエルを見つめる。


「彼女は... アリエルか?」


「そうだ、シェムハザ。堕天したようなのだ」


「アリエルが?

堕天するようなことなど しまい」


「聞け、シェムハザ。

天も まだ知らぬことだ... 」


ボティスは これまでの経過を

シェムハザに話して聞かせている。


「... サリエルか。

なぜ、魂を集めている?」


「わからん...

しかし これ以上、奴 一人の好きにはさせる訳にもいくまい。最近 契約も減っているのだ。

アリエルを 天に戻したい」


ふむ、と シェムハザは考えている。


「どうだ、シェムハザ。

アリエルを 妻に迎えては?」


オレと ルカは眼を合わせた。

人間部分を、ってことか... ?


「いや、しかし... 人というものの寿命は短い。

今まで幾度 見届けたことか... 」


ボティスはシェムハザの肩に置いた手で

ぽんぽんと その肩を叩いて置き直す。


「胸に聞いてみよ、シェムハザ。

ジークは何を望んでいた?

それに見よ、憐れなアリエルを...

人の彼女は 何も知らんのだ。

独り、闇の中にいる」


シェムハザは「いや、しかし」と

まだ悩んでいる。


「そうか、シェムハザ」


ボティスは シェムハザの肩から手を離すと

人差し指と中指を広げ

自分の左右の牙に その指先を当てた。


「ならば、俺が もらっても良い」


そう言うと、指と牙の間から

先の割れた長い舌を出して動かす。

わざとやってんな、こいつ...


「アリエル」と、魔法陣に顔を向け

ボティスは また舌を出す。


「いや 待て、ボティス」


シェムハザが ボティスを止めた。


「俺が もらおう」

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