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「今夜も来るよな?」


「ここんとこ毎晩だし、来るだろうね」


「でもなぁ... 」


あの女は、元は天使かもしれない... と 推測しただけで、何を どう対処すればいいのかは

まるで わからない。


ジェイドや朋樹は動けなくなるし、ルカは動きが鈍くなる。オレは動けるが、相手は溶けていく。


「何をして堕ちたんだろ?

理由が わかれば、どうすればいいか も

ちょっと見えてくるんじゃねーの?」


「さあなぁ」


見当もつかねぇよな、それも。


最近 読んだ本にあったが、人が思うよりずっと

天使は 堕天の誘惑に晒されているらしい。


また、宗派によっては 人間の教皇により

『今後は 天使ではない』とされた場合もあるようだ。その場合は、堕天使になるばかりではなく

聖人に位置付けられる ようだが。


天に刃向かったり禁を犯したり、自ら堕天した場合は、堕天使... 悪魔だと見做される。


空いたカップに紅茶を継ぎ足しながら

ジェイドが

「逆に、わかったことを まとめてみよう」と

提案した。


「まず彼女は、今月の満月の晩から見るようになったんだ。時間は 深夜0時頃から。

毎晩、教会へ向かおうとする。

見た感じ、日本人的な顔つきをしているけど

眼の色は深いブルーだね。

口に出したのは イタリア語だったけど、ルカが思念として読み取ったのは エノク語だった。

神の家を思いながら、帰りたい と言った」


なるほど。

わかったことは少ないが、並べてみると

頭の中はスッキリしていく。


「ルカが読んだ 彼女の思念では

喪失感や切望... これは、天に対する望郷なのだろうけど、それだけじゃなく、微かな希望のようなものがあったんだったね?」


ルカが まだスコーン食いながら頷くと


「彼女は、泰河の胸で溶ける時、嬉しそうな顔をしたように見えた。

今までは、溶けきってしまうまで ずっと必死な眼をして教会だけを見ていた ってことを考えると

泰河が触れたことは、彼女にとって何か進展だったんだと思う」


そうだ。あの女は微笑った。


肩に触れるまでは

教会しか見えてないようだったのに。


「さっき、公園の前では 日本語だったぜ」


朋樹が言うと


「そう、そこが 一番の疑問なんだ。

彼女は 分離する と考えられる。

青い眼の部分と、黒い眼の部分に」


ジェイドは 一口 紅茶を飲むと

小さく ため息をついた。


「分離していない時は、青い眼をしていても

日本語を話す普通の人 のようで、

青い眼の部分が抜けても

残った本体は、眼の色が黒く変わるだけ。

朋樹が 公園の前で話したのは、たぶん この残った本体の部分 だろう。

教会に来ているのや、今日 泰河だけが喫茶店で見たのは、青い眼なんだけど

教会では 実体があって溶けて

喫茶店では ゴーストのように薄れて消えた」


「あのさぁ。あの女は堕天したけど

悪魔じゃなくて 人間になったんだよな?

まあ毎晩溶ける ってことは、ちょっと置いといての話だけど」


ルカが カップを口に運びながら言った。


紅茶を飲み干すと カップをテーブルに置き

ジェイドの前にある エノク書を指差す。


「それにも書いてあるじゃん。

地上に堕ちて人間になるか、もっと下まで堕ちたら悪魔になる... って」


「... そうかもしれない」と

ジェイドが ルカを見る。


そうか。堕天しても悪魔になるばかりでなく、

聖人になることだってあるんだしな。


「単純に考えた方が見えてくる と思うぜ。

人間なら、溶ける以外は答えも出るし」と

めずらしく ルカはまともに返した。


「でも、人間ならさ

分離することについては どう思う?」


オレが聞くと、ルカは

「解離性ナントカ ってあるじゃん。

多重人格ってやつ。

あれって 主人格は他の人格に気づいてないことが多いらしいし、それじゃねーの?」と

簡単に答える。


あの女には、人格が二つある ってことか...

青い眼の天使の人格と、黒い眼の人間の人格。


「主人格が 店に来た日本語を話す方 ってことか?

青い眼でイタリア語話す方が 他人格?」


頭の整理ついでに また聞いてみると、ルカは

「たぶん」と、頷いた。


「そうだね...

自分で何かを選んだ結果、堕ちることになってしまったとしても

多分、彼女は堕天することは望んでなかったんだろうね。だから天に帰りたがっているんだし。

心が耐えられずに、人格が分かれたとすると

主人格は 身体に宿る黒い眼の人間側の方 になる。

ここは物質世界だから、身体に付随している方に有利に働く。

元の霊性の青い眼の方が 他人格として生まれる」


ジェイドのこの解釈で、オレは やっとすっきりした。

元々 天使なのに、主人格が人間 だということ、

天使の方じゃない ってことが

ずっと、しっくりきてなかったからだ。


「じゃあ、今日 泰河が見たように

他人格の天使部分が身体から出ることについてはどう思う?」


朋樹も ルカに聞くと

「思いの精霊って考えれば オレも扱うけど

朋樹の方が専門だろ?」と、返され

朋樹は「あっ!」とショックを受けて言った。


「生き霊か」


ルカは「そ」と、朋樹に頷く。


「同じ青い眼でも、教会に来てるのは身体も伴ってるから、他人格の天使が前に出てるんだと思う。

沙耶さんの店に占いに来たのは、主人格の

人間部分が前に出てた。

... で

泰河が沙耶さんの店で見て、消えたのが霊性。

これが青い眼の他人格の天使だけの部分。

つまり、生き霊。

厄介なのは、今回の場合は “念” だけじゃなく

“他人格” が抜け出したものだってことだよな。

普段扱う生き霊と違う。

朋樹が公園前で話したのが、主人格の黒い眼

人間部分のみ」と、説明した。


天使部分が抜けた時だけ、本体は黒い眼になるんだな。


「オレさ、一応ハティに、女のこと聞いてみたんだよ」と、話を続ける。


「そしたら、黙ってて答えなかったんだけど

あいつも教会の外からあの女見てて、堕天使っていう推測はつけてたのかも。

さっき、わざわざ ここに本返しに来ただろ?

たぶん今日の契約がてらに自分の世界に戻って、あの女が そこにいないか確認してきたんじゃないか って思うんだよな。

で、向こうに いなかったから、オレらにヒントを示しに来たんじゃねーかな って思ってさぁ」


確かに、わざわざ来た感はある。

本の返却なんか ルカに頼めばいいんだし。


「もうひとつは、エノク語。

人間部分が前に出てる時は日本語、ってのは

堕ちた場所が日本 って考えれば 当然として

天使部分が前に出てる時はイタリア語。

これは、この教会の司祭のジェイドに合わせている と考えてみた。

エノク語は、泰河に残したんだ。

なんせ、天使の言語 って言われてるから

元々 統一言語だった と言われるヘブライ語とかで何かを残すより、すぐに天使を連想させる」


ほう、と オレは感心した。

だいぶ明らかになってきた気がする。


ルカ自身は

「まあ だからって、じゃあ何すればいいかは わかんねーけど」と お手上げって風に笑っているが

「いや、普通に話聞けるよな。溶けねぇなら」と、朋樹が言う。


「でも、朋樹もジェイドも動けなくなるだろ」と、ルカが不思議そうに聞くと

「他人格の天使が前に出てる時 ならな。

主人格の人間側の時なら普通に動けた。

教会に来る時間までは、今日 沙耶ちゃんの店に来た時みたいに 主人格の人間として過ごしてるんじゃないか?」と、スマホを取り出す。


「教会でしか溶けないんだから、違う場所で話せばいい。オレが、あの女の身体の内から 他人格の天使を呼び出す。

それでオレが動けなくなっても、泰河に質問させればいいし、イタリア語で答えられても、ルカや

眠らずに可能なら ジェイドも聞ける」


朋樹は 沙耶ちゃんに電話して

あの女と連絡が取れるかを聞いている。


確かに、ここで時間を待って

昨日と同じことを繰り返すだけより、出来ることはしてみたほうがいいよな。

また ただ溶けていくのを見たり

訳わからず泣いたりも、話せなくなるのもゴメンだし。


「あの女の着信の履歴が残ってる ってよ。

とりあえず、沙耶ちゃんの店に行こうぜ」と

朋樹はソファから立ち上がった。

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