第17章 開扉される棺(6)

 まだ、現実の世界が怖かった。


 だけど、片方の手をルイがしっかりと握ってくれている。

 この温もりは、自分が一人ではない証。きっと大丈夫だ……と、自分に言い聞かせながら静かに、静かに扉を開くと眩しい光が飛び込んできた。眩しさに目を細めながら二人は光の中に足を踏み入れる。


「……」


 後ろ髪を引かれたような気がして同時に振り返る。そこに先ほどまでいた部屋の風景はなかった。眩い光で何も見えない。


 二人の双眸が光を凝視した。

 眩しい光のその向こうで、手を振っている影が四つ見える。


 一人はマースだった。

 その隣に立つ人物を見て、エルカは目を見開く。


「……え?」


 それは懐かしい、優しい顔を浮かべた祖父だった。


 思わず駆け寄りたくなるのを必死で堪える。ここで引き返したら、二度と戻れないだろう。

 ここで踏みとどまることが出来なければ、現実世界には帰ることが出来ない。


 重い首を持ち上げてグランをジッと見据える。


「魔法を上手く使えたじゃないか? じじぃは嬉しいよ」


 グランの声色は昔と変わらず、優しさで満ちていた。


「お爺様……」


 魔法を教えてくれた人。

 孤独にならないように、兄をくれた人。

 最初にエルカを助けてくれた人は誇らしげな笑みを浮かべていた。


「わかっているよ。何があったかは全て観ているから。エルカ、お前は幸せか?」

「もちろん」


「ならば、その幸せを手放すな」


 その優しい声が愛しくて涙が溢れそうになる。ここで泣いてしまえば、また心配をかけてしまいそうな気がしてエルカは表情を引き締めた。


「わかりました。お爺様、ありがとうございます。もう大丈夫ですから」

「そのようだな」

「……安心してお休みください。貴方はきっと長い時間を生きていた。もう、お疲れですよね」

「………ああ」


 満足したような笑顔が見える。大魔法使いグラン。


 彼は寿命より長く生きた。家族や街に住む魔法使いたちを護る為に一方的に攻めてくる人間社会と一人で向き合って来た偉大な魔法使い。


 その死後も残された家族のことを気にかけていて見守っていたのだろう。


 グランがマースの頭を小突いている。

 マースが慌てながら手を振っていた。ぎこちない笑顔だ。


 どうやら、娘に手を振るようにと促されたのだろう。そのマースの姿に満足そうに笑うと、こちらに視線を向けてニヤッと笑った。


 それは、仲の良い親子の姿。

 これが、本来あるべき父と息子の姿だったのかもしれない。


 微笑ましい二人の姿が消えていく。

 ゆっくりと、光の中に溶けて消えていく。


 エルカの知る二人の姿は消えていた。


 残されているのはエルカの知らない男の人と女の人の姿。

 ルイが息を飲み込んだのでエルカは横目で彼を見た。


「………っ」


 ルイは目を見開いて、その二人を凝視する。

 それで、エルカは理解した。


 きっと、この二人は……


「………とぅさん、かぁさ……ん」


 彼らはルイの両親。何者かに殺害された二人。

 彼の瞳から涙が溢れ出るのを見てエルカは目を閉ざした。


 ルイは嗚咽を上げながら、言葉を吐き出す。


「久しぶり……だな」


 少し低めで気難しそうな男の声。


「とぅさ……我儘ばかりでごめ……っ」


 声にならないルイの声に彼は深く頷いていた。


「我儘なのは俺たちの息子なのだから仕方ないさ」

「あの時は、ごめんなさい!」


 今度ははっきりと、あの日、言えなかった言葉をルイは放つ。

 届くことのなかった、謝罪の言葉はしっかりと彼の元に届いていた。


「謝るな………俺も怒りすぎた。悪かった」

「でも、父さんに何を言われても、僕は探偵になります」


 涙声で、ルイは父親に強く宣言する。

 家族を失っても曲げたくない強い夢だった。

 どこか諦めたように、少し嬉しそうに男は息を吐いた。


「やれやれ……もう、やめろとは言わない。お前はお前の歩きたい道を進めばいい」

「はい……ありがとうございます」

「これからは、大人に迷惑をかけないようにな」

「……はい。僕は、貴方たちに恥じない人間になります」

「探偵になるな、という父親の希望には従わないのに?」

「無理ですよ。この夢は曲げられません。だから、遠くで見ていてください」


 笑いながらルイは宣言する。


「見ているわ………貴方は私たちの自慢の息子よ」


 女性の声は穏やかだった。


「母さんの、料理は大好きだった。ありがとう」


 ルイは照れたようにその言葉を伝える。

 生きていても言葉にするのが恥ずかしくて言えなかった本音。


「知っているわ。美味しそうに食べてくれるから、頑張っちゃうのよ」


 どうやら、口にしなくとも伝わっていたらしい。


「あの日のご飯を食べられなくて、ごめんなさい」

「……いいのよ、謝らなくても。その代わり、これからは身体に気を付けてね。叔父さんに迷惑をかけてはダメよ。食事は怠らないこと。手洗いも忘れないで……良いわね」

「はい」

「それと、女の子を泣かせてはダメよ」

「……はい」

「元気でね」

「はい」


 繋がっていたルイの手が震えているのをエルカは感じていた。

 だから、その手を強く握りしめる。

 今のエルカには、それしか出来ない。


 ゆっくりと瞼を見開くと、彼らの姿も光に溶け込んでいた。


 ふと、エルカは自分に向けられている視線に気が付いた。その視線に目を向ける。そこには、目を赤くしたルイの笑顔があった。


「…………言えたよ」

「うん」

「父さんに、謝れたよ。母さんに、ありがとうも言えた」

「うん、良かったね」


 それは彼の後悔だった。

 父親に謝罪すること、母親に感謝すること。それは、ずっと燻っていたであろう、彼の深い後悔。それが果たされた。

 だからだろうか、ルイの表情は先程より晴れ晴れとしている。


 繋がれた手をルイが強く握りしめる。


「じゃあ、行こうか」

「うん」


 繫がり合った手の感触を確認しあって、二人は足を前に踏み出していた。


 現実に戻るのだ。

 静かに瞼が閉じられる。

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