第17章 開扉される棺(5)

「そろそろ、お別れだね」


 穏やかな視線は少し悲しそうにエルカを見て小さく呟く。


「そう……だね」


 エルカは静かに頷いた。

 何かが胸の奥を叩く。


 この別れは必然。彼は既に存在していないのだから。

 目に映る姿は幻に過ぎない。誰かの記憶の残滓が見せているだけ。

 幻だとは理解していた。

 それでも面と向かってを告げられると複雑な心境に陥る。


 胸の奥が何かで締め付けられたような気がした。


 彼を殺したいとまで考えていたはずなのに。

 確かな殺意を抱いていたはずなのに。

 それなのに、今は別れ難い気持ちを抱いている。


 ずっと同じ屋敷に住んでいたのに、ここまで近くで父親を感じたのは初めてのことだった。意識に反して目頭が熱くなるのをエルカは感じていた。

 泣くものかと堪えて、出来るだけの笑みを向ける。


 最後なのだから、泣き顔を見せてはいけない。

 それは自分が後悔してしまうから。


 それに、この別れのタイミングにしか言えないことがあった。

 それを彼に伝えなければならない。


 これを逃せば永遠に後悔してしまうから。


 小さく深呼吸をして、エルカは口を開く。


「……私、父さんのこと嫌いじゃなかったよ」


「え?」


 エルカの言葉を聞いたマースは弾けるように顔を上げて目を丸くする。

 驚くのも無理はない。そんなことを告げたのは初めての事だから。

 エルカは恥ずかしそうに視線を反らしながら続ける。


「本当は知っているから、貴方の愛情。多分……私はあの女に嫉妬していたんだと思うの」


 エルカはその自分の気持ちを認めたくなかった。あの女がエルカを嫌っていたのは些細な嫉妬心からだ。彼女は義娘に恋人を奪われることを恐れていたのだ。


 エルカも同じだった。後から現れた何もできない女に父親を盗られた。だから彼女を嫌っていたのだ。


 おそらく、エルカも彼女も女として互いを見ていたのだろう。


「え、エルカ……ボクのことを嫌いだったんじゃ」


 最後だと言うのに情けない声を漏らす。

 目が飛び出すのではないかと思うぐらいに見開いて娘を凝視する。


「嫌いじゃ……なかったよ。でも、父さんはあの女が好きなんだよね」

「ああ、ごめん」

「あんな女は趣味が悪すぎる。でも貴方の趣味に私が口出す権限はないもの」

「ごめん」


「でも……だけど……」


 エルカは喉の奥から言葉を絞りだす。

 今を逃したら二度と告げることが出来ない。


「……」


 マースは無言で娘の言葉の続きを待つ。


「お願いだから……今だけは私を見てください。私の最後の我儘を聞いてくれますか?」


 エルカは両手を合わせて懇願するようにマースを見上げた。

 あの女はいない。最終的に彼の愛を独占できた女はここにはいない。

 もう彼女の目を気にする必要はないのだ。


「もちろんさ……君はボクの可愛すぎる娘だからね。ちゃんと見ているよ。どんな我儘なのかな?」


「………頭を……撫でて欲しいの」


 エルカは頬を赤く染めながら、目を細める。子供っぽい我儘だけど、これが憧れだった。幼いエルカが望んでも手に入らなかったもの。


「わかったよ」


 マースの手がエルカの頭に伸ばされる。震える手で、ゆっくりと。

 その手が微かに振れたような気がする。

 ここは棺の中であっても、生きていないマースが生きているエルカに触れることは叶わない。

 だけど、確かな温もりを感じてエルカは笑みをこぼす。


「……ありがとう」

「どんな厄介な我儘かと思ったけど。こんなことで、良かったのか」

「だって、貴方はずっとしてくれなかった。小さな頃、周りの子たちが羨ましかったの」

「そうだったね。さて……これ以上はボクが君を手放せなくなりそうだ」

「手放さなくても良いのよ。ここには本があるから、私は苦じゃないもの。図書棺でずっと一緒に過ごす、そんな選択肢だってあるの」

「そういう冗談は言わないで」

「冗談だって分かるのね」


 エルカの苦笑にマースは笑みを向ける。


「だって、エルカが一番欲しいものはボクではないよね?」 

「当然」

「そこまできっぱり言われると少し悲しいよ。ボクが扉を開いてあげる。だから行きなさい」


 そう言って立ち上がったマースがゆっくりと扉に向かおうと足を踏み出す。


 だが、何かに引っ張られて、踏み出そうとした足を止めた。


「待って!」


 強い瞳が父親を見上げる。


「まだ、何かあるのかい?」


「自分が閉じ籠った殻ぐらい、自分の手で開かせて。そうしなければ、私は本当の意味で強くなれない。貴方という屍を越えたことにならない。貴方の手を煩わせないと出られないようじゃ、私はいつまでも今までの私のまま。そんな私を、私は許さない」


 誰かに言われたからではない。

 自分の手で開いて、自分の足で進みたい。

 強気な口調とは裏腹に、その瞳と両手がまだ震えていることを、マースは見ないフリをしていた。


「………なら、娘の成長をここで見守るよ」

「……ありがとう」

「がんばって生きなさい」

「はい」


 エルカは立ち上がると隣のルイに笑みを向けた。

 ルイも立ち上がり、エルカに笑みを向ける。


「もう、いいの?」

「うん、待たせてしまって、ごめんなさいね」


 エルカはルイに手を差し出す。


「大丈夫、そんなに待っていないよ」


 ルイはその手を握り締めた。


「行こう。はぐれないように、一緒に」

「ああ」


 互いの視線と視線を絡める。握り合う手と手に静かに力がこめられた。

 確かに繋がった温もりを感じながら、もう片方の手でドアノブを握ると、ゆっくりと回した。


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