第18章 開かれた未来(5)

***

 

 屋上へと繋がる扉を開いた。

 開いた瞬間、肌寒い空気が押し寄せたので反射的に身を縮める。

 見上げると空は薄らとオレンジ色に色付き始めていた。

 三日間も眠り続けていて、つい先ほど起きたばかりで、カーテンの閉め切った室内にいたエルカには時間の感覚が全くなかった。

 空の色から、今が夕暮れ時なのだと判断する。


 視線を泳がせると、求めていた人物はすぐに見つかった。

 冷たい空気にも身体が慣れたので、エルカは慎重に足を踏み出す。

 一歩、また一歩進むごとに足取りが重くなるのを感じていた。


 その背中に静かに歩み寄る。

 ずっと自分を守ってくれた背中は相変わらず大きい。

 だから、すぐに見つけられるのだ。


 数歩手前まで近付くと、ナイトはゆっくりと振り返った。


「ただいま、ナイト」

「おかえり、エルカ」


 以前と何も変わらない飄々とした余裕のある笑みが向けられた。

 言葉と笑みを交わした後、エルカは眉根を寄せてナイトを睨んでいた。


 これまで、彼が守ってくれていたことは事実だ。

 その優しさには感謝してもしきれない。


 だが、彼がルイに重傷を負わせたことも事実。

 八つ当たりでソルを殴ったことも事実。

 理由があろうと、なかろうと暴力で解決しようとする兄の行動をエルカは肯定できない。


「ルイくんを殴ったことは許したくない」

「……だろうな」

「でもね、彼が許してって言うから……私はナイトを許す」

「……ゆ、許してくれるのか」


 面食らったようなナイトの表情にエルカは曖昧に頷いた。


「彼が言うからだよ。大事な友達からの大事なお願いだから叶えないと」

「そうか……そこまで大事な奴だったんだな」

「だった……じゃない。過去形にしないで! 今も大事な友達」

「わかってる、わかっているよ。あいつのお蔭でお前を連れ戻すことが出来た。オレはあいつに感謝している。あいつがお前の友達であることに感謝しているよ」


「本当に?」

「本当だ」


 ナイトはいつものエルカを安心させるときに見せる柔らかい笑顔を浮かべる。

 この笑みを向けるときのナイトの言葉には嘘はない。長年の付き合いだから、それは分かる。


「ナイトは私のお願い叶えてくれるんだよね。それは今も変わらないの?」

「当然だ。お前に拒まれようと、オレはお前の兄貴だ」


「それじゃあ、お願いがあるの。私ね………学校に行きたいの」


 エルカは伏目がちにナイトを見て、言葉を絞り出す。

 先ほどまでの強気な態度から一変して、不安に満ちた眼差しで見上げてくる。

 ナイトが妹の望みを叶えないわけがないのに。彼女は否定されることを想定して、それを恐れている。


「学校?」

「友達がいる学校に行きたいの」

「……それは、ルイがいる場所ってことか」

「そうだよ……私はまだ弱いから。一人じゃ耐えられないことの方が多いの。でも、彼が側にいれば強くなれるはず」

「俺の代わりにルイに依存するつもりなのか?」

「それは違うよ! 私は強くなるの。彼を困らせないように、彼の側にいる為に強くなる。確かに最初はルイくんに甘えてしまうかもしれない。でも、甘えるだけじゃない、私が彼を支えてあげたいから……私は彼の側にいたい」


 顔を上げて、長身のナイトを見上げる。

 逆光になり、彼の表情はよく見えない。

 表情が読めないから不安になるのだ。


「エルカ……」

 低い声が頭の上にかかる。そっと、髪に手が乗せられた。

「……っ」


 ナイトにはこの街での仕事がある。

 彼の稼ぎが、今の自分たちの生活を支えているのだ。

 こんな我儘は通らない。固く目を瞑り、ナイトの言葉の続きを待っていた。


「……自分で言ったからには、引き篭もるなよ」

「……って、ことは」

「もちろん、ルイのいる街に引越してやるよ」


「ありがとう、兄さん!」


 エルカは飛び上がり兄の腰に抱き付いていた。


「お、お前、オレの話は聞いていたのか? 分かっているんだろうな」

「もちろん、引き篭もらないよ。そんなことはしない」


 彼がいるのなら、そう付け加えながらエルカは微笑を浮かべた。



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