第18章 開かれた未来(4)

***


 ルイから貰った勇気を背負ってエルカは病室を出た。

 視界に現れたのは、探している兄ではなかった。


 もう一人の兄ソルだ。

 彼は廊下をウロウロと行ったり来たりする。

 その行動はまるで不審者のようだ。

 病院関係者に見つかれば、両手を拘束されて隔離部屋に連れていかれてしまうかもしれない。


 彼はブツブツと何かを言いながら、お腹を押さえている。


 その背中にエルカは駆け寄った。

 彼が拘束される前に正気に戻したかったのだ。


「ソル?」


「本気で殴りやがって……痛いだろって。

俺を怪我させたら、エルカに怒られるぞ……いや、怒られないかも。俺如きが怪我をしても、あいつは………」


 こちらの気配に気が付いていないようなので、背後から声をかける。少しだけ、ボリュームを上げて。


「ただいま」


 振り返るソルはエルカを見て、目を見張る。


「お、おかえり……エルカ」


 声を上ずらせて、目を瞬かせながら、ソルは手を伸ばしてエルカの頭をグイっと抱き寄せた。


「え?」


 突然のことだったので、エルカはどう反応すれば分からなかった。

 茫然と立ち尽くしたまま目の前にソルの温もりを感じていた。

 その手はぎこちない動きで頭を撫でる。


「あ、ちゃんと触れられる。それに温かい。本当に帰って来たんだな……

……って、ごめん」


 慌てて身体を離すソルをエルカは見上げていた。


「それを確認するために抱きしめてきたの?」

「まぁな……幻だったらどうしようって。魔法なんて、わけのわからないもの見せられていたからつい……」

「心配かけたんだね……ごめんね」

「お前……男に触れられたのに、怒らないのか?」

「男って……これぐらい兄さんによくやられていたし、ソルも私のお兄ちゃんなんだし良いかなって思ったの。男って言っても兄妹だし」

「そうだな、俺たち兄妹だものな。俺はお前のお兄さんだからな……って、何だか恥ずかしくなってきたぞ」

「待って、私まで恥ずかしくなってきた」


 二人は顔を赤く染めながら、向き合っていた。

 確かにナイトはエルカを頭を撫でていた。

 だがそれは子供の頃の話だ。

 ソルはこれでも二十歳の男なのだということをエルカは思い出していた。

 ここは怒るべきところだったのかもしれないが、怒りよりも別の感情の方が勝っている。


 エルカはソルのことを、一応は兄として見ていた。

 だけど、兄と呼ぶことには抵抗もあって何よりも恥ずかしい。


 ソルはエルカのことを、母親の再婚相手の娘である女の子として見ていた。

 こうして妹として扱うことも、兄と呼ばれることも、正直慣れていない。 


「恥ずかしいし、腹も痛いし、わけわからん!」


 ソルはお腹を押さえて苦悶の表情を浮かべる。

 彼は先ほどからずっとお腹を押さえていた。

 照れ隠しに、エルカは尋ねる。

 

「もしかして、ソルはお腹が痛いの?」

「ま、まぁな」


 声を上ずらせながらソルは頷いて見せる。


「どうして?」

「ナイトに殴られたんだよ」

「何で?」

「あ……」


 余計なことを言ってしまった、というようにソルは口を手で覆う。

 彼女の表情が一気に曇った。

 もう手遅れだった。エルカは聞いてしまったのだから。


 ソルもナイトに殴られたらしい。

 エルカは目を細めて睨み上げる。


「どういうこと?」


 冷たい視線に突き刺されたソルは観念したように両手を上げていた。


「……お前の態度が冷たいから俺に八つ当たりしてきたんだ」

「八つ当たりって、どこまで子供みたいなことするの」


 ルイを殴ったことは、ルイに免じて許してあげようと思っていた。

 ナイトがルイを殴った理由はエルカの為なのだから。


 だけど、ソルを殴ったことは許す必要はない。

 ソルはエルカの為に殴られたのではない、八つ当たりで殴られたというのだ。


「怒ってくれるのか?」


 ソルが目を見開いてエルカを見つめてくる。

 子供のように目を輝かせるソルに圧倒されたエルカは数歩後ろに下がる。


「当たり前だよ。大丈夫?」

「お前に心配して貰えるなら何だか嬉しいよ。殴られて良かった」

「どうしてそういう考えになるのか理解不能。殴られて嬉しいって、どうして? ルイくんもソルもおかしいよ」


 エルカの呆れ顔にソルは満足そうな笑みを帰す。

 エルカが自分を心配しているということは大事な家族だからだ。

 彼女から家族として認めて貰えた気がしてソルは満面の笑みを浮かべる。


「そうだな、でも嬉しいんだ」

「そうなんだ」

「殴られてみるもんだな……エルカ、ナイトのこと怒るなよ。俺はあいつに感謝している」

「ええ?」


 ソルまで、ナイトを許せと言い出してしまった。

 彼はナイトのことを嫌っているはずなのに。


「俺が感謝しているって話は、ナイトに言うなよ」

「言わないよ。ところで、ナイトの居場所は分かる?」

「屋上にいるはずだ」

「ありがとう。殴られたところは冷やしておいてね」


 エルカはソルを残して屋上への階段を目指した。


 何となく、振り返ってソルを見る。

 彼は晴れ晴れとした表情を浮かべていた。

 ルイもソルもナイトに殴られて嬉しそうにしている。


「兄さんの拳には、恐ろしい魔法でも隠されているのかも?」


 そんなことを考えながら、エルカは足を速めた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます