第9章 朱の夜(4)

***


 そして、

 エルカは図書棺で目覚めた。


 初めて使う魔法だったからだろう。

 失敗したわけではないだろうが、記憶がない状態で目覚めてしまった。


 目覚めた先に、ソルがいた理由は分からない。

 誰かのお節介か、嫌がらせかも分からない。

 だけど記憶が曖昧だったエルカにとって彼の存在は助けとなった。


 プリン王子の物語の世界に入った時は一人だった。


 ナイトが助力してくれたが、当初のエルカはナイトが兄であることを覚えていない。だから、完全に彼を信じて良いのか少しだけ不安だった。


 別の場所からエルカを助けてくれたのはソルだった。

 ソルが義兄であることは覚えていた。彼は信用できる唯一の存在だった。

 そんなソルの助けもあって、欠けていた記憶は取り戻されたのだ。


――ここは物語の棺、エルカの記憶の棺。


 自分が今、何処にいるのかようやく思い出すことが出来た。


 思わずため息を零してしまう。


 外の世界のエルカは本人の望みどおり眠ったままなのだろう。

 この夢の世界では目覚めてしまうらしい。


 理想としては意識も何もかも眠りについて、完全な無の状態になりたかったのに。これでは、何かをして長い時間を過ごさなければならない。


 ここは図書棺、時間を潰すには十分な量の本が収められていた。

 エルカは周囲の本を見渡す。本棚には綺麗に本が並べられている。数多の本の中から一冊を手に取って、それを抱きしめた。


 これは、エルカが完結させることが出来なかったプリン王子の物語だ。未完の物語を完結に導くなんて無茶な話だ。


「……そう……途中までは、幸せな物語だった……」


 「現実」に楽しいことなんてなかった。

 苦しい思いばかりしてきた。


 だから、


 せめて物語の中では幸せでいたい……


 と思って、エルカは何もない日常から幸せを空想していた。


 父親が再婚して新しい兄弟ができた。

 彼は少し怖くて不器用な男の子。近付くと殴られそうで……まぁ、実際に殴られたこともあった。その時はナイトが殴り返してくれた。


 でもおやつのプリンを食べているときは別人みたいに笑顔で、少しも怖くなかった。それをナイトも知っていた。ソルが、本当は良い子だって知っていた。ナイトは、ソルと妹が二人だけの状況になると必ずプリンを作っておいてくれた。


「それでも、あの時は足りなくて……」


 ソルがプリンを作ろうとしたときは驚いた。

 バケツプリンはお腹を壊す。ソルがお腹を壊したら余計に機嫌が悪くなる。それは嫌だ。だから一緒にプリンを作ることにした。


 それは、初めての事でワクワクした。

 他の誰かと何かを作ることは初めてだった。

 二人でプリンを作って、食べた時………

―――あの瞬間だけは幸せになれるって思っていた。


「この物語。いつもはソルに内緒でこれを描いていたけれど。最後のこのページはソルの目の前で描いた。ソルが食べているのを見ながら」


 自分で作ったプリンが美味しかった。

 だからって、ソルがいつまでも食べているから、片づけられずにエルカは困っていた。後片づけはいつもエルカの仕事。だから彼が食べ終わるのを待っていた。


 目を閉じて思い出す。

 あの日の思い出を。


+++


「何?」


 視線に気づいたソルが眉根を寄せる。どうやら食事を楽しんでいたところを邪魔してしまったらしい。


 半眼で睨まれたので、小さく息を飲みこむ。


「片付けるの……だから待っているの」

 それが私のお仕事だから、そう付け加えるとソルは理解したらしい。

 そして、眉を寄せる。

「わかったけど……食べているところをさ……見られているのは恥ずかしい」

「ごめん、そうだよね……そういえば、カラメルソースの作り方、知っていたの?」

「お前の爺さんから聞いたんだよ。お前をビックリさせたくて。俺が何も出来ないって思われているのは癪に障るしな」

「ビックリしたよ」

「そっか………ああ、もう少し食べていたいから。お前はその辺で絵でも描いてなよ。あ、片付けは俺もやるからさ……」

「え? ソルも片付けてくれるの?」


 意外な返答にエルカは目をパチパチとさせた。

 見上げるとソルは鼻の上を掻きながら視線を反らしたのだ。


「や、やりたくないけどさ……お前に怪我させるとアイツ怖いだろ?」

「兄さんは怖くないよ」

「俺には怖いんだ。すぐに食べ終わるからそれまでは好きなことしてなよ」


 ……ってソルが言ったから、エルカは日記帳を取り出して描いていた。

 本人を目の前に描いたのはこれが最初で最後だった気がする。


 エルカは絵を描くことに夢中になっている。

 そう思ったのだろうか、ソルは無防備に幸せそうな顔を浮かべていた。

 エルカはその表情を盗み見て描いていた。


+++


 ああ、この笑顔は……


 本の中で見た、プリン王子の笑顔と同じだ。


 満面の笑顔のプリン王子の絵を見て、そして次のページを開く。


 ページを開く手が無意識に震える。


 そこから先は、黒く塗りつぶされていた。


 覚えている。 

 どんなに描いても、怖いものを描いてしまった。


 ソルが怖いものになってしまう。プリン王子が怖い存在に変貌する。


 ソルは怖くないはずなのに、怖いと思ってしまう。それは彼が望んだことだから。だから、幸せの欠片なんてどこにもない怖いものを描いてしまった。


 真っ黒な目をした王子様が一人で闇の中に立ち尽くしている。


 そんな絵を描いてしまった。


 それが怖くて、それは違うと思ってエルカは黒で塗りつぶした。


 ソルは言った。


 あれは、ソルがやったって。


 あの怖いのは、ソルだったんだって。


 エルカはソルを信じているから………その言葉も信じた。


 本当は見ていたし、違うってことも知っていたけど。男の子でしかも年上の人に泣いて訴えられたのだから、従うしかない。


 あの日、暴れて家の中を滅茶苦茶にしたのはソルではないけど、ソルが言うのだから、ソルが暴れて家の中を滅茶苦茶にした。


 エルカは自分の意思で記憶を上書きした。


 地下書庫に篭るようになったのは目に映る全てが怖かったから。

 他人が怖い、どうすれば良いのかわからない、味方のいない学校あそこにいることが怖かった。


 学校から帰ってくると、一目散にここに駆けこんだ。

 地下書庫には怖いものは入ってくることが出来ない。だから安心できるのだ。


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