第8章 黒の夜(4)

***


***



 目の前に映る光景が、グルグルと渦を巻く。

 頭の中まで、グルグルと回っている。


 は自分が何者なのかも分からなかった。

 

 何も考えられない。

 気が付けば瞼は閉ざされ、視界を漆黒の闇が覆っていた。


 呼吸を整えて、気持ちを落ち着かせてから、瞼を開く。


 目と鼻の先にあったのは、大きな鏡に映る男の姿。


「誰だ……コイツは」


 開口一番、そうぼやいていた。

 それは最初に抱いた疑問。


 鏡に映っているのは蜂蜜色の髪とカボチャパンツの似合う若い男だった。

 試しに、鏡の中の男に手を振ってみる。

 鏡に映る男も、手を振り返す。


 どうやら、このカボチャパンツの男は自分らしい。


 自分は、こんな恥ずかしいものを着こなせる男だったようだ。

 これが自分の顔なのだろうか。美形と言うには何かが物足りない、平凡な顔が鏡の中で不満そうな表情を浮かべる。


 そういえば、こういう顔をしていたような気がする。


「それで、何をするんだっけ?」


 目を閉じて首を捻る。自分の目的を思い出そうと、思考を巡らせる。頭の中にぼんやりと、目的が浮かび上がった。


「そうだ、を待っていたんだ」


 思い出した。

 自分という存在は、一人の少女の手で生み出された存在。


 自分は物語の登場人物という欠片で、精霊である。少しずつ、目的と自分が思い出される。それが、今の彼が知る自分自身の情報だ。


 彼は彼女が来るのを待っていた。自分の物語を生み出した少女を。


 何の為に?


 自分の物語を完結に導いて貰うために。


 周囲を見渡すと、そこは壁全体が本棚になっている部屋だった。壁の本棚は遙か高く何処までもそびえ立つ。


 ここは図書棺。魔法の図書棺と呼ばれる場所だ。


「僕の名前は確かプリン王子様。まずは、僕が主人公の本を探して貰う。彼女が本を開けば、彼女は物語の世界に取り込まれるはずだ。彼女がそこから抜け出すには物語を完結させなければならない」


 何も分からないはずなのに、頭の中にたくさんの情報が流れ込んでくる。


 不思議な感覚だ。


 これから自分は誰と出会い、何をするのか。

 そんなことを考えている矢先、入り口の扉が静かに開かれた。

 その音を耳にした瞬間。


「来た‼」


 彼は物語の幕開けを確信していた。


***



 そして、王子はエルカと出会った。

 何故か、エルカは一人ではなかった。おまけつきではあったが彼女に頼んで本を探して貰うことなった。

 読書好きの彼女が本の誘惑に勝てなかったこともあり、多少の時間はかかったが予定通りに彼女は「プリン王子の物語」を見つけ出した。が主人公の物語だ。

 本の創造主でもある彼女は、その世界に取り込まれ物語を進行させていく。

 彼女の努力と周囲の協力もあって、その物語は結末を迎えた。


 それは、幸せなハッピーエンド………

 ………では、なかった。



***


 どうやら、ここはバッドエンドを迎えた世界。

 これは、彼女にとっての正しい結末の世界だ。


 漆黒の闇の中、カボチャパンツの男が項垂れていた。

 だらりとおろした、その手を力強く握りしめる。



 エルカによって、その結末を与えられた世界。そこには彼しかいない。彼以外は全て闇に沈んだ。


「………あいつが描こうとしていた結末は、これだったのか」


 彼は笑う。これが黒いインクで塗りつぶされた結末。

 彼女がこの物語を描いていたのは二人でプリンを作ったあの日だった。


 あの時はプリンを食べることに夢中だった。

 彼女はソルの正面に座って物語を描いていた。

 最初の一個を、一緒に食べたあとは各々に好きな事に集中していた。


+++


 一緒にプリンを作ったことで警戒心が薄れていたこともあったのだろう。

 彼女はいつもより饒舌だった気がする。いつもなら怖がっていたソルに対しても、満面の笑みを向ける。


「王子様のカラメルソースが美味しくて、毎日みんながカラメルソースを求めるの。いつの間にか王子様のまわりには、城のみんながいて、魔法使いの女の子も居て……彼らは末永く幸せに生活するのよ。めでたし、めでたし」


 彼女が語るのは、描いている途中だった物語の結末。どうやら孤独な王子様が、カラメルソースを作ることで城の人間と交流を深めるという話らしい。


 これは彼女が最初に思い描いた結末だった。


「そんな単純なことってあるのかよ」

「物語なんだから単純で良いの」


 余計な口出しに怒ると思えば、屈託のない笑顔を向けられた。だから、どんな表情で返せば良いのかわからなかったので無表情で返してしまう。

 物語とは、そういうものなのだろうか。

 ソルは本を読まないから考えたこともなかった。


「そういうものなのかよ」

「その……あのね、カラメルソースが美味しかったよ。ありがと」


 目線を絵に固定したまま、少しだけ恥ずかしそうにお礼を言われると、こちらまで恥ずかしくなる。


「と、当然だろ? 俺が作ったんだからさ」


 思っていた以上に上出来で、実は自分でも満足している。こうして、喜んでもらえると嬉しい。同時に少しだけ恥ずかしくなる。


「だから、ソルには明日からも作って欲しいの」

「え?」


 突然、上目遣いでそんなことを言いだす。

 思わず無意識に頷きそうになった。必死に堪えた。ナイトはこの目に弱いらしいが、これは強力だと思う。頷かないといけないような、そんな空気が流れる。


「ごめん、作り方、忘れたよ」

「ついさっきなのに?」


「うん忘れた」


 彼女の為に作るのは問題ない。彼女の喜ぶ顔は嫌いではないし、その表情を見るといつもより穏やかな気持ちになれる。


 ただし、そうなると出来の良い義兄と一緒にプリンを作ることになる。それは恥ずかしいというか、何だか嫌だ。きっとソルのカラメルソースよりも義兄のプリンの方が絶賛される気がしてならない。


「んー……ここで、作ってやるって言ってくれないと物語にできないよ。作るだけじゃ、足りないの」

「何を言っているんだよ?」


「うーん……考えないと」

「何を考えるんだ?」


「カラメルソースを作らないで幸せになる方法。カラメルソースを作って、めでたしめでたしじゃ、その後のことが分からないもの」

「そっか。がんばって、考えてくれよ」


 そう言って、改めて目の前のプリンを頬張った。。





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