第17章 開扉される棺(4)

 脳裏に響いたのは不愉快な音。


 あの時の音を思い出していた。

 嫌な音が頭に響く。

 何かを殴る音、何かを刺す音、そして……誰かの声。


 赤い世界で物となった二人の姿を思い出した。


 うつ伏せに倒れた二人分の屍。

 ピクリとも動かない指先。

 開かれたままの双眸。

 開かれた口から流れる液体。

 有り得ない方向に曲がった手足。


 赤い液体が彼らを飲み込んでいた。


 目を閉ざしても、あの光景は目に焼き付いていて反らすことができない。

 目を反らしても、反らしても、その先で全てが鮮明に再現された。


 あの時に燃えていた炎。

 熱いはずなのに、酷く冷たい。


 指先が微かに震える。



ギュッ



 ふいに、手が握り締められた。


 エルカはゆっくりと、傍らを見て目を瞬かせる。

 そこにはルイの姿が在った。


 ここは赤く冷たい殺人現場ではなかった。


「大丈夫?」

「大丈夫だよ、ありがとう」


 まだ先ほどの光景が脳裏にチラついていた。

 心配をかけたくなかったエルカはぎこちない笑みを浮かべる。


「でも、顔色が悪いだろ」

「それは気のせい」

「……ここで嘘ついても仕方ないだろ」

「顔色悪いのは引篭もりだから、なんだけどね。それじゃあ、お願い……もう少しだけ、握っていて」

「ああ」


 エルカは目を閉ざしその手から伝わる温もりに身を委ねた。

 繋がれた手から伝わる温もり。

 血の通った温もりは、冷たくなったエルカの心を温めてくれる。


「ご、ごめん、この話は余計だった。そうだった……全部聞いていたんだものね。この話に誘導させるつもりはなかったんだ」


 慌てたようなマースの声に、エルカは苦笑する。


「ありがとう……話してくれて嬉しいよ。知りたいことは、これぐらいかな」

「ああ…………どうか、憎んでくれ。あの光景はトラウマになるよな」

「魔法使いの娘をやっているのよ。死体を見たのは初めてじゃないもの」

「そうだね。ボクたち魔法使いは死に近いところにいるからね」

「それに、一応殺すつもりだったからイメージトレーニングはしている。だから、死に顏ぐらい大丈夫だったはずなのに。事実が私がイメージしていたものより残酷だっただけ。私が死を与える為の心の準備は出来ていた、誰かが死を与えたのを見る心の準備が出来てなかった」

「そうか………そういえば、エルカはボクたちを殺すつもりだったんだよね……それも結構な殺意をギラギラさせて……」


 忘れかけていたことを思い出したマースは顔を青くして微笑んだ。


 もう死んでしまっているというのに、娘に殺されるという恐怖に震えているようだ。怯えの表情を崩さない父に、エルカは悪戯っぽく笑う。


「うん、失敗しちゃったけど」


 膨れ上がる憎悪が抑えきれなかった。


 いつでもあの女を殺せるように、ナイフを持ち歩いていた。

 上手く扱えるかは分からない。

 小説のように、軽く刺せば良いのだろうか。

 大人しく刺さってくれると良いのだけど、あの女の身体は堅そうだから、それが心配だった。柔い部分を狙えば良いのかもしれない。


 だけど、

 あの男が彼らを殺したことでエルカの目的は狂ってしまった。


 そして、エルカの心もおかしくなっていた。

 ひとりで、我武者羅になって彼を消そうとした。


 二人の命を潰した男を消す。

 そうすれば、その罪をエルカが被ることができる。

 狂っていた予定が元に戻ると本気で思っていた。


 そんな愚かな自分に呆れながらエルカは笑みを浮かべていた。



*


 静かに時間をかけて父を見上げる。

 頼り甲斐なんてまるでない飄々とした表情。


 エルカにとっては他人ではない存在。


「貴方を許すことは出来ないよ……」

「それは分かっているよ」

「でも、私が生まれたとき……嬉しかったのなら……それで十分だよ」

「え………」


 罵声を浴びせられると思っていたらしいマースが目を白黒させた。


 エルカは聞きたくない言葉を聞いてしまった。

 だけど、聞けるとは思えなかった言葉が聞けたことが嬉しかった。

 真っ直ぐ笑みを浮かべながらマースを見据える。


「あの人から助けてくれて有難うね」

「どうして助けたって思うんだ?」

「私と会ったとき、あの人が疲弊していたのは炎のお蔭。ソルに幻覚を見せたのは、やりすぎだったけど……あの幻覚魔法のお蔭でソルは手を汚さずに済んだ。私とソルが罪を犯さずに済んだのは貴方のお蔭」

「………気が付いていたのか」


 炎の魔法を放ったのはマースだ。

 炎が家全体にまわるまで多少の時間がかかるように、調整して魔法をかけた。


 そしてソルに対する幻覚魔法では彼に二人を殺した錯覚を抱かせていた。

 実際には遺体に玩具のナイフを突き立てただけ。


「炎のお蔭であの人は混乱した。あの人は目的の私を見つけないといけないから、必死だったと思うの。周りも見ないで走って大怪我して、最終的には私に地下に落とされて、散々だったでしょうね」

「……ああ」

「ソルに幻覚魔法をかけた理由は?」

「手を出されては犯人がソルになってしまう。だから幻覚を見せた」

「父さんは、あの人を犯人にしたかった」

「それが真実だから。エルカでもソルでもない、あの男が犯人だ」

「そうだね」

「君は小細工をしたみたいだけど」

「血に濡れたナイフは、血に濡れただけのナイフ。調べれば刺していないことは分かるでしょうね。今更だけど下らない小細工だった」

「自分で自分を犯人に仕立て上げようとするなんて困った子だね」

「ごめんなさい。でも、心配しなくても大丈夫」

「そうだな。あと、これは……………ボクは父親としては失格だけど、それでも父親だから……最後にこれだけは聞いてくれ」


「え?」


 何故だか、しどろもどろになりながら真剣な眼差しを向けられる。

 何を言われるのだろう。

 エルカは表情を引き締めて、父親の言葉を待つ。


「………魔法使いの男だけはダメだ……」

「どういうこと?」


 どんな真面目なことを言い出すのかと、色々考えながら待っていた。

 それなのに、コレットに言われたのと似たような言葉が投げかけられたので目を瞬かせる。

 どういう意味でダメなのだろう。


「まぁ心配はないみたいだね」

「?」


 何やら勝手に納得して自己完結しているようにも思えた。

 エルカが小さく小首を傾げて、隣のルイを見上げる。

 彼は何故か慌てて目を反らした。


「………」

「どうしたの?」

「いや、何でもない」

「?」


 目をパチクリさせるエルカにマースは暖かな視線を向ける。


「ま、今の様子だと心配はないか」

「ど、どういうこと?」


 理解できなかった。

 マースはどこか幸せそうな、満足そうな笑みを浮かべている。


 そして、視線をルイに向ける。

 マースと目が合ったルイは弾けるように背筋を伸ばした。


「ルイくん……だったね」

「は、はい」

「そんなに緊張しないでくれ。ボクは安心しているんだよ。娘に、こんなに良い友人がいたことに」

「僕はまだ彼女の良い友人とは言えません。でも、これからは良い友人になれるよう努力します」

「ボクは娘の側にいることは出来ない。だから……君には娘の側にいて欲しい」

「………当然ですよ」


 二人は固く握手を交わす。

 そして穏やかな笑みを浮かべた。

 満たされたような、安心したような笑みだ。


 エルカだけが取り残されたような気がして、不満そうに眉根を寄せる。

 もしかすると男同士しか分からない会話だったのかもしれない。

 そうなると、口を挟むだけ無駄のような気がして追及することを諦めた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます