第17章 開扉される棺(3)

「……あの女のことは愛していたの?」


 ふいに口から零れた疑問に驚いたのはエルカ自身だった。

 何で、そんなことを聞いているのだろうか。

 そんなことを知ってどうなるのだろうか。


 無意味な質問だって分かっているのに。

 どうしても知りたかった。


「愛していたよ」


 小さな呟きをマースは聞き取っていた。

 そして、きっぱりとした迷いの一切ない返答を口にする。


「……そう」


 それは、聞きたくなかった答えだった。

 それは、予想していた答えでもあった。


 分かっていたのに、どうして聞いてしまったのだろうか。


 エルカは青ざめた表情のまま父親を見上げる。

 父親は娘の様子を伺いながら、静かに言葉を続けた。


「彼女はボクを本気で愛してしまったんだ」

「……」

「この意味がわかるかな?」

「……わからないよ……」


 エルカは自分の今の気持ちをどう表せば良いのかも分からない。


 泣きたいのを堪える。

 きっと自分は酷い顏をしているだろう。


 マースが誰を好きだろうとエルカには関係ない。

 誰がマースを好きになろうと関係がなかった。

 他人の感情に口出しなんてしてはいけない。

 これはマースの人生なのだから。


 それなのに寂しく感じてしまう。

 父親の愛情が大嫌いな女に向けられていたことに苛つきを感じてしまう。


 マースはゆっくりと、言葉を続けた。


「彼女は組織の命令でボクに近づいた。ボクとの間に魔法使いの男児を生む為に。そこに愛情の欠片なんてなかった……最初はそうだった」

「………」

「だけど、彼女は本気でボクを愛してしまったんだ」

「恋に落ちたのは、あの女が先だったんだ。廃人みたいな男の人なのに、あの女も趣味が悪いよ」

「そうだね。でも、ボクを愛してくれる人に出会えたことは初めてだった。嬉しかった。すごく、嬉しかった。周囲から嫌われていたボクが愛されていることが。そう思ったら、彼女が愛おしいと感じたんだ」

「でも、あの人は」

「分かっている。君たちにとって彼女は毒だった」

「でも、父さんにとっては薬だったのね」

「ああ、彼女はボクを癒してくれた。だけど、子供が生まれることは避けたかったんだ」

「どうして?」

「ボクは生まれた子供を愛することが出来ない。君を愛せなかったボクに、子供を愛することは出来ない」

「でも、貴方たちの間には子供が出来てしまった」


 あの日の嬉しそうな彼女の顔を思い出す。

 それは初めて見る満たされたような表情。

 それに薄気味悪さを感じていた。


 それは彼女に対して良いイメージを抱いていないからだ。

 彼女は愛する男との間に子供が出来ることを素直に喜んでいただけ。

 母親となる女性が見せる一般的な表情だった。


「彼女は幸せを掴もうと必死だった。幸せを得る為に君たちが邪魔だと判断したんだよ。だから、組織に売ろうとしたんだ」


 衝動的だけど、後腐れのない行動だった。一応は、ひとつの命として扱われていた。ゴミ捨て場に棄てられるわけではない。


 頻繁に行われていた元夫婦の会話は地下に筒抜けだった。


 彼女は自分の幸せの為に盲目になっていたのかもしれない。

 エルカはずっと感じていた。彼女の元夫の声色はいつも冷たかった。元夫は彼女のことを心から憎んでいる。強く深い殺意の込められた声色。

 それにに気付いていない女は甲高い声で話している。

 何も見えていない、聞こえていない。

 見えているのは、ありもしない幸せな未来だけ。


「私が邪魔なのは分かるよ。だけどソルは自分がお腹を痛めて生んだ子供なんだよね。どうして彼まで?」

「ソルくんは、前の旦那の面影があるからだよ。彼女は、あの男を嫌っている。顔も見たくない程にね。だから同じ顔のソルくんは同じように嫌いだったんだ」

「……………そういえば、似ているって言っていた」


 似ている……


 ただ、それだけで実の母親から捨てられてしまったソル。

 彼は幼い頃から母親の本音を知っていたのかもしれない。愛情の欠片も向いていないことも知っていた。この家の扉を開くとすぐに、彼女はソルを放置した。放置されたソルは母親を求めて手を伸ばすこともなかった。


 彼は周囲から否定されることが当たり前だった。

 もしもエルカが同じ立場でナイトも祖父もいなかったら、容易く命を投げただろう。


 だけど彼は生きることを諦めなかった。

 我武者羅に、人や物に当たりながらも生きていた。


「ボクだって男だ。愛する彼女の望みは叶えたい。彼女の望み通りに子供と三人で過ごしたかった。こんなこと聞きたくなかっただろうけど、ごめん」


 マースは拳を握りしめながら、噛みしめるように言葉を紡ぎ出す。


「………そうだね、聞きたくなかったよ。家族を捨てて、新しい家族と幸せな生活を送りたいだなんて、虫が良すぎる話」


「耳が痛いな。でも、君を組織に売る行為だけは阻止したかった……これは本音だよ。ボクの娘を金儲けの道具にされちゃ困るから、微かな理性でどうにか断りつづけた。父のお蔭で、君には君を護る兄がいてくれた。だから安心していたのに、それなのに……」


 何かがあれば、ナイトが動く。ナイトは祖父が残したエルカの盾なのだから。エルカの為ならば何でもしてくれる。家を出て彼女を養ってくれるだろう、とマースは期待していたのだ。


 だけど、彼の妻はそれを知らなかった。


 有能なナイトは手元に残したかったようだ。

 ナイトが有能なのはエルカに対してだけだということに気が付いていなかった。

 彼女の目には何も見えていなかったのだ。

 自分がナイトと言葉を交わしたことなんて一度もなかったことに気が付いていなかった。


「………あの女は父さんの知らない間に話を進めていたのね。私たちを組織に売るための話。金額の話まで」

「そうだね」


 あの日、ソルの父親が屋敷を訪れた。

 彼が訪れた理由、それはナイト不在の間に二人を引き取ること。


「何も知らないボクに男は大金を見せて、これで二人を引き取りたいと言った。ボクは拒否した。だけど、初めからボクに拒否権なんてなかった」

「もう結論に至っていたのよね」

「そうさ……君には申し訳ないが、君のことを一度諦めてしまった」

「その状況では、仕方ないよ」

「そこで話は終わりにはならなかった。あの日、彼女にはある計画があったんだよ」

「計画?」

「君たちを売った後に逃亡すること。この街、この国からの逃亡」

「そんなことを企んでいたのね」

「ああ、彼女も必死だったんだろう。組織から逃げることは許されない行為だ。そんなことをすれば処刑されるか、薬漬けにされて、道具として使い潰される」

「……」

「でも、聞いていない計画だからボクは戸惑ってしまった」

「相方へ説明もしないで上手くいくと思ったなんて……彼女は本当に幸せな未来しか見えていなかったのね。きっと目の前の危険が見えなかった」

「結果、ボクたちはその場で処刑された。おそらく、彼は計画を知っていたのだろう。君たちを引き取る為ではなく、ボクたちを殺す準備をしていたんだ。躊躇わずに彼女を………刺した」


 

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