第16章 魂の懺悔(2)



「男はボクにこう告げた」


———金儲けに興味はないか?



+


 


 それは誘惑の言葉。

 路地裏を歩いていたマースの前に現れた男は突然声をかけてきた。


 男はマースに微笑みかけた。

 マースは立ち止まり男を見る。

 黒いスーツに身を包んだその男は、足音を立てずに、静かにマースに近付いてくる。マースは男が至近距離で足を止めるまでその場を動かなかった。

 

 何者かどうか、信用できる相手か……何も考えなかった。


 彼の話に従えば、お金が手に入る。


 ただ、それだけだった。

 ただ、お金が必要だった。

 遊ぶお金が欲しかった。


 という魅惑的な単語だけに反応して、男に首肯する。


「詳しく聞かせてくれ」

「その前に、君の名は?」

「マース・フランだ」

「ようこそ、マース。君は今日から我々の仲間だよ。話はこちらで」


 微塵の警戒もせずに、男の後をついて歩いていた。行き先も告げない男に不信感を抱かずに。その背中についていけば、楽に金稼ぎができると本気で思っていたのだ。


 この瞬間、マースの人生は大きく崩れ去ったのだ。


 彼らは人間である。だが、の人間ではない。

 彼らは「クライム」という組織に属する人間だった。

 マースは知らなかった。

 彼らクライムにとっての「魔法使い」とは使い捨ての道具であることを。


 マースはクライムのことをスラム街のならず者集団だと思っていたが、それは全くの見当違いだった。

 彼らは秘密裏に研究を行う者たち。研究内容は公には出せないような代物ばかり。


「今回の実験は魔法使いが適任なんだ、協力してくれるよな。君のような逸材を探していたんだ。君の力が必要なんだ」


 それは、マースにとって初めてのことだった。

 誰かに自分を必要とされた。

 それが嬉しかった。


 だから、違和感に気付けなかったのかもしれない。


 マースは己が魔法使いであることは名乗っていない。

 それなのに、彼らはマースが魔法使いであることを知っていた。


 そのことにマースは疑問を抱かなかった。


 人体実験では、毎日のように誰かが命を落としている。

 魔法使いというは丁度良い玩具だった。


 マースが声をかけられた理由。

 それは彼が魔法使いの「男」であるから。

 魔法使いはその殆どが女性であり、魔法使いの男の出生率は極めて低い。


 マースは希少な魔法使いの男であった。

 そういう存在は実験体としても重宝される。


 強い魔力を持って生まれた彼だが、それを扱う才能はなかった。

 魔法使いとして劣等生。周囲から蔑みの視線を向けられていた。


 同世代の魔法使いから罵られ、暴力を振るわれた。

 存在することすら否定された。

 もう嫌だった。


 だから、マースは人間として生きようとしていた。

 魔法の才能がないということ、それは人間に限りなく近い魔法使いということ。

 そう、考えることで自分を護っていた。

 マースは人間で在りたかったのだ。


 しかし、世の中は甘くはなかった。

 例え人間に近い外見でも、魔法使いとしては使い物にならなくても、何も変わらない。


 父が魔法使いであることは有名だ。

 マースは自身が魔法使いであると宣言したことはなかった。

 だが、周囲は彼も魔法使いだと信じている。

 人間から見れば、優秀だろうと無能だろうと魔法使いは全て等しく魔法使いなのだ。


 マースは学校に行くたびに周囲から「バケモノだ」と罵られ異質の存在として扱われていた。

 マースは人間としても劣等生だった。

 彼は常に孤独だった。


 仲間だと告げられた時、孤独から抜け出せたと思ったのだが……

 そんな都合の良い救いはなかった。


 人間と魔法使い……姿かたちは似ていても彼らは全く別の存在である。

 そんなことは、幼い頃から知っていた。

 それなのにマースは勘違いをしていた。


 この男と自分は対等な存在だと思っていた。思ってしまった。


「魔法使いが我々と対等だと思うなよ」

「………あ、ああ……ボクたちは仲間だったのでは……」

「笑わせるな……お前たちは仲間という名のだろ?」


 彼らにとってマースは道具。


 彼の言葉通り、最初の仕事では多額のお金が手に入った。

 金儲けは出来たが、それは最初の仕事だけの話。

 一度美味しい思いをしたマースは次の仕事に手を出して失敗する、そして多額の借金を背負ってしまった。その借金返済の為に次の仕事に手を出して……


「また、借金が増えたようだな」


 男が口端を上げて嗤う。


「あなたは?」

「おやおや、記憶障害か?」

「そんなのじゃありません」

「借金のことは覚えているだろうな?」


 成功すれば手に入る金額は、同時に失敗すれば支払わなければならない金額。仕事をして、たまに成功して、そしてまた失敗する。借金を全て返さなければ、この組織からは抜けることが出来ない。


 マースは俯いて項垂れていた。

 いつから自分が組織の人間になったのか分からなかった。


 彼らが持ちかけてくる仕事は、どれも手に負えないものばかり。

 それは全て見知らぬ誰かを苦しめる為の仕事だった。


 気分の悪い仕事内容だと理解していても、断ることはできない。

 マースはその手で誰かの人生を壊し続ける。

 罪悪感を感じないように、無表情で無慈悲に仕事をする。

  

 わかっている。

 マースが借金に苦しむことは組織の連中にとっては予定どおり。

 予定通り魔法使いであるマースを利用し使い潰すのだ。


(それは、嫌だなぁ。言いなりにはなりたくない)


 脳裏の端っこでマースはそれを感じていた。

 わずかな理性は残っている。


 だけど、身体は別の行動をする。

 声は別のことを言葉にする。


「いずれ、お金は返しますから……そ、その薬をください」


 マースは土下座しながら懇願する。

 情けない声を上げながら叫ぶ。額は床に押し付けられた。


 男の手には赤黒い液体の入った小瓶。

 あの液体を飲めば、気持ちが良くなるのだ。

 それは組織の魔法使いが作ったという魔法薬の試作品。

 その魔法使いは魔法薬を作る為に組織にいる。

 その為に飼われている魔法使い。

 魔法薬の実験体に使われるのは、魔法使い。


 実験体であるマースはその小瓶に手を伸ばす。


(言いなりにはなりたくない、でも、楽になりたい……言いなりになるのは嫌だ)


 おかしくなっている。

 その自覚はあった。

 だからといって、打開策が浮かばない。

 打開策が浮かばないから、快楽に身を任せるしかない。


 あと少しで、指先が小瓶に届く。


「信用できないな」

「くぅ」


 その手が小瓶に触れることは出来なかった。

 背中に衝撃を受け、そのまま床に顔を押し付けられる。

 どうやら、誰かに背中を蹴られてうつ伏せに倒れたらしい。


「そういえば、魔法使いの男児は高値で売れるそうだな」

 

 男に頭を鷲掴みにされたマースは強制的に顔を上げて、男と視線を交わす。

 男の目の色が怪しく光った。


「き、希少な存在ですからね。ですがボクは売れません。こんなに成長してしまったので」

「消費期限切れなんて要らないよ」

「…………」


 そう、大人になっては意味がない。

 彼らが欲しいのは魔法使いの男児。

 成人を過ぎたばかりのマースは消費期限の切れたゴミに等しい存在。


「お前にやって欲しいことがある。そうすれば、好きなだけ薬をやるよ」

「何ですか?」


 好きなだけ薬をもらえるのならば、何でも引き受けてやろう。

 もう、こんなに自分は壊れてしまったのだから。

 何も怖くなかった。

 ……そのはずだった。


 目を輝かせて男を見上げたマースに告げられたのは……


「魔法使いの男児を作れ」

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