第15章 後悔の追憶(3)


 ルイの瞳が眩しい。

 この目に見つめられたら、絶対に目を反らせないような気がした。

 先ほどまで泣いていた彼の双眸は少しだけ赤い。

 エルカが彼の瞳に気を取られていると、ソッと一冊の本が手にのせられる。


「これ……」


 懐かしい感触に目を落とす。

「失くした本だよ……見つけたんだ」

「どこで、見つけたの?」

「転校する前日に川に浮かんでいるのを見つけたんだ」

「……川に?」

「濡れてボロ雑巾みたいになっていたから最初は何だろうって思った。だけど、よく見たら君に見せて貰った表紙と同じ装丁だったから。もしかすると………って思ったんだ。でも状態が酷すぎる……修復は無理だって思ったんだ」

「じゃあ、どうしてこの本は前と同じなの?」


「その時………魔女が現れたんだ」


「………魔女?」

 ゾクリとしたものが背筋に流れる。


***


 川で本を拾い上げたルイは茫然と立ち尽くしていた。

 やっとの思いで見つけたのに、これでは返しても悲しませるだけだ。

 その時、魔女の声が聞こえた。

 初めから、そこにいたかのように彼女は音もなく現れた。


「その本を修復してあげるわ」


 魔女はニコリと笑いながら、本を指さす。

「どうして、これが本だって思うんだ? どう見ても雑巾みたいなのに」

「あら? どう見ても本よ」

 不思議そうに、魔女は首を傾げる。

「修復……出来るのか?」

 目の前に差し出された希望にルイは目を輝かせる。

 本を修復して返す。

 それが、叶うのならと身を乗り出す。

「もちろん。でも半年かかるから、半年後に会いに来て」

 そう言って魔女は微笑む。

「あなたは、一体……」


「そうね、魔女とでも名乗っておきましょう」


***


「そう言われて、それで……半年待ってこの街に帰って来たんだ」

「ルイくん、修復の為に何かを差し出したりした?」

「え?」

「だって、魔女なんだよ。代償に何かを取られたのでしょ」

「何もいらないって」

「え?」

 エルカは目を丸くしてルイを見上げる。

 この街に住む魔法使いは己の存在を隠して生きている。魔法の存在も受け入れられていない。そんな街で自らを魔女と名乗るということ。それは自殺行為に等しい。相手には何かしらの意図があるはずだとエルカは思っていた。

 大昔は心臓を差し出す代わりに力を借りるということもあったらしい。

 海の底に住んでいたお姫様は声を代償に人間の足を得たような気がする。

「この本を持ち主に返してくれって……それで十分だって」

 たったそれだけの代償だなんて有り得ない。

 だけどエルカには一人だけ心当たりがあったことを思い出す。

 この本の前の持ち主の姿が脳裏に浮かんだ。

「その魔女って…………私の母親?」

「……多分ね。直接名乗られたわけじゃないけど。病院にもいたし、ナイトさんたちの様子を見たらそんな気がする」

「つまり、今回の件にも関わっているよね」

「……ああ」

「そうだったんだね」

 エルカは本を抱きしめる。

 久しぶりの温もりを全身で感じていた。

「……本当に大切なんだな」

「うん、ありがとう」


***


 周囲が靄に包まれる。

 一瞬だけ視界が真っ黒に染まったかと思うと、先ほどまで居た部屋の中にいた。

 恐怖はなかった


「もう、大丈夫かしら」


 声をかけてきたのは幼い声。

 エルカ以外には彼女しかいない。先ほどまで一緒にいたルイの姿はなかった。それを確認してエルカは不機嫌そうな表情を浮かべる。

「…………へぇ、知らなかった。私の母親って幼女だったんだ」

「この姿の方が話しやすいかと思ったのだけど」

 図書棺で迎えてくれた少女コレットは無邪気な笑顔を浮かべる。その表情にエルカは眉間に皺を寄せた。彼女が母親だと気が付いてしまうと、その姿は気味が悪い。

「話しにくいよ……」

「そう、じゃあ……待ってね」


 少女は両手をパンっと叩いた。

 淡い光が彼女を包み込む。


「久しぶりね、エルカ」

 微笑んだのは若い女性だった。幼い頃に別れた時と同じ姿で立っている。

「………」

 エルカが母親と最後に会ったのは、ソルが家に来るより前になる。あの時から、彼女の姿は変わっていなかった。

「驚くかもしれないけれど、私ってかれこれ十年以上前から、この姿なのよ」

 エルカは言われなくても分かっていた。祖父から見せられたエルカを生む前の写真と何も変わっていない。

 十年ぶりの再会だ。どう接すれば良いのかエルカには分からなかった。あの頃だって、母と子として接していなかった。彼女は限りなく他人に近い血縁者。そして、今は唯一の血縁者。

「言いたいことはたくさんある」

「……そうでしょうね」

「でも……今はいいや」

「………そう」

 だけど、これだけは言葉で伝えなければと思いエルカは少しだけ目を反らしてコレットに告げる。

「本のこと、ありがとう。ずっと言わないといけなかったことだよね。これは、この先もずっと宝物だから」


 これは、母と娘を繋ぐ唯一の宝物。

 その本を見せて、エルカは笑みを浮かべた。


「その本は、私の母から受け継いでいたの。その時に、私が母親になったらその子供に与えなさいって言われて」

「そうだったんだね……お爺様は何も言っていなかった」

「これは、女同士の秘密の話よ。だからエルカも同じように頼むわね」

 コレットは人差し指を立てて微笑む。

「うん」

「これからは持ち歩かなくても平気でしょ」

「………うん、これは大事に閉まっておく」

「私は傍にいることは出来ないわ。きっと、色々と言ってしまうから」

「今更、傍にいられても困るよ」

 エルカの側にはすでに口うるさい兄が二人もいる。。

 きっと、コレットとは今の距離が丁度なのかもしれない。

「でもね、これだけは言わないとね。心から好きな人と手を繋ぎなさい」

「え?」

 目を瞬かせて首を傾げる娘を見て、コレットは乾いた笑みを浮かべた。

「好きな人を愛しなさい。ただし、魔法使いはダメよ。純粋な人間の男の子とね。ちゃんと貴女を好きでいてくれる、暴力的じゃなくて、束縛系でもなくて、馬鹿じゃなくて、真面目で誠実な……」

「…………よ、余計なお世話だよ」

 これ以上何を言い出すのか分からなかったので、エルカは手で制した。

「それじゃあ、先に戻るから……ちゃんと来るのよ。私は傍にいないけど、貴方には過保護で心配性な家族がいるのだから」

「それが問題なんだよね」

「そう言わないの! その過保護なのも先に連れて行くから」

「……やっぱり近くに居たんだね……ナイトは」

「フフフ、だから安心して帰ってきなさい」

 コレットはニコニコと笑いながら手を振って、姿を消す。

「最後に何言い出すのよ………」


 エルカは目を閉じて、深呼吸をする。

 大丈夫、自分は落ち着いている。

 それを確認したところで視界が暗転した。


***


 視界に映るのは、先ほどと同じ部屋。


 だけど、側にいるのはルイだった。

 コレットの姿も、ナイトの姿も見当たらない。


「戻ってこれたのか?」

「うん」

「あのさ」

「?」

 声をかけられて顔を上げる、視線と視線が絡み合う。

 コレットに言われた言葉が引っかかって、少しだけ顔が熱くなっていた。

 エルカの表情の変化にルイは気が付いていない。

 彼は思いつめたように、声を絞り出す。

「僕には、もう資格がないかもしれない。それでも、言わせてくれ」

 真剣な眼差しを見ていると、エルカも背筋を伸ばしてしまった。

 ルイが何かを言おうとしている。

 だから、エルカは息を飲んでその言葉を待っていた。


「エルカ…………もう一度、友達になってくれないか?」

「え?」

 何を言われるかは予想出来なかった。

「今度は、絶対に傷つけたりしない」

 差し出された手をジッと見据える。

 その手が震えていた。

 この言葉を発するのに、どれだけ緊張しているのだろう。

 エルカが何も言わないのが拒否の意味だと感じたのか、ルイは眉尻を下げる。

 そして、悲し気な表情を浮かべた。

「……嫌なら、それで構わない。僕は二度と君の前には現れないから」

「……っ」

 その手をエルカは力いっぱい両手で包み込む。

 突然のことだったので、ルイは大きく目を見開いた。

 二度と会えないなんて、そんなのは嫌だからエルカはその手をキツく掴んだ。

「友達、やり直そう……」

「え? いいのか」

 諦めていたのだろう、ルイが茫然としたままエルカを見る。

 そんなルイの反応がエルカは不満だった。

「良いも悪いもないよ。だって私たちは、でしょ」

「……」

「ただの小さな喧嘩だったんだよ。それが、どうして二度と現れないだなんて酷い事を言うの?」

 そう言ってエルカはルイを掴んだ手を離す。

「僕は君を傷つけた」

「私もルイくんを傷つけている。確かに、すれ違いは大きかったけど。私たちの間に出来た溝は深いかもしれないけど、そんなの、今の私たちになら埋められるでしょ」

「……………そうだったな」

「居なくなるなんて言ったら、嫌なんだから。私……今度こそ本当に嫌いになるよ。恨んで、憎んで、化けて出てやるんだから」

「ごめん……」

「だから、違うよね。こういう時は」

 エルカはルイに手を差し出す。

 それを見たルイが、大きく頷いて見せた。

「仲直りだな」

「だよね」

 エルカはルイの手を握り。ルイはエルカの手を握った。

 仲直りの握手を交わし、二人の友情は再び始まるのだ。


「それじゃ、戻ろう」


 ルイの声にエルカは大きく頷く。そして手元に戻って来たばかりの本を抱きしめながら目を閉じる。


「私の棺の扉、その姿を見せて!」

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