第15章 後悔の追憶(2)

 開かれた状態の玄関を挟んでルイと叔父のバラトは目を見開いたまま互いを凝視していた。

 時が止まったのは一瞬。バラトがすぐに沈黙を破る。

「……ルイか」

「叔父さん? どうして……ここに」

 現れたのが見知った人間だったことにルイは安堵した。見知らぬ何者かだったら……という不安が一瞬過ったことを恥ずかしく思いながら叔父を見上げる。

「よかった。無事だったんだな」

「え?」


 叔父が何を言っているのか分からない。


 よくよく見ると叔父の顔色が異常に悪い。

 探偵という職業柄、叔父はいつでもポーカーフェイスを貫いていた。こんな追い詰めたような表情を見たのは初めてだった。


 いつもと違う叔父の表情に気が付いた瞬間、言いようのない不安が背中に押し寄せる。

「………」


 肩越しに見える、家の中が赤かった。

 どうして、赤いのだろうか。

 何が、赤く染めたのだろうか。

 それだけじゃない、変な臭いが流れてくる。

 その正体を確かめたくて、中に入ろうとしたが叔父の強い力に引き止められた。

 太い手でルイの腕を掴む。


 入ってはいけない。

 そう、目が語っている。


「………とにかく、お前はオレの事務所に行っていなさい」

「父さんたちは?」

「………」

 叔父は口を噤んで、ルイから視線を反らす。

 嫌な予感がする。

 その沈黙は絶望的な何かを語っているような気がした。

 ルイは拳を握り、バラトを見上げた。

「僕はもう子供じゃない。何があったんだよ」

 叔父から見れば、子供かもしれない。

 それでも知る権利はあると思った。

 睨み上げると、バラトは観念したように深くため息をついた。


「…………落ち着いて聞くんだ………………………」


 叔父の声が震えている。


 ああ、聞かなきゃ良かった。


「お前の両親は……」


 今になって、知ることが怖くなってしまう。

 だけど、ここまで来たら……


 叔父の口からは真実だけが語られる。


「亡くなったよ」


「………え?」


 叔父の言葉を頭の中で繰り返す。


 亡くなった、ナクナッタ


 質の悪い冗談だと思ったが、叔父の表情は真剣でからかっている様子は一切ない。

「何でも強盗が入って、鉢合わせになったそうだ。それで……」

「目で確認しなきゃ……納得できない」

 信じたくなかった。

 だから、何も起きていないことを確認したくてルイは叔父の身体を突き飛ばす。

 これは手の込んだ冗談だ。

 家族会議を始める前に、叔父を巻き込んだ盛大な冗談なのだ。

 そう、信じたかった。

「おい、まて」

 静止する叔父を振り切って、家の中に入る。

 自分の家なのに、他人の家のように思える。

 ここが自分の家だなんて、ルイは考えたくなかった。

 この先にいるのは、きっと他人だ。

 赤い何かで廊下がぬかるんでいる。

 転びそうになりながらも、奥に進む。

 手にねっとりとついたのは赤い血。

 これは、他人の血で………だけど、この家を赤く染めていたのは……


 見たのは一瞬だけで、すぐに叔父に連れ戻された。

 一瞬だけでも、わかってしまった。

 あれは……あそこに倒れていたのは両親だった。


「な、なんだよ……ワケわからないよ」

 手で顔を覆う。

 今、チラリと見たものが一瞬だけだったのに鮮明に脳裏に再現される。


「後のことは任せておけ」

 叔父がそう言って、ルイを外に連れ出す。


(どうしてだよ)


(今朝、父さんと喧嘩したままじゃないか………謝っておけばよかった)


 拳を握りしめ立ち尽くすルイの肩を、叔父が軽く叩いた。

 しばらくして、自警団が集まってくる。


(どうして僕は………)


 どんなに後悔しても、彼らは帰ってこないのだ。

 家族会議なんて、永遠にできなくなってしまった。

 その事実に、ただ打ちのめされていた。


***


 両親を失ったルイは叔父バラトのアパートに身を寄せていた。強盗殺人事件の犯人は現在も逃走中。この街は毎日のように事件が溢れているので数日で未解決事件として処理されてしまった。

 不満はあっても子供であるルイにはどうすることも出来ない。

「ルイ、仕事で引っ越すことになるが良いか?」

「今すぐじゃなければ。でも、どうして?」

 朝食をとりながら、バラトが複雑そうな笑みを浮かべて話を切り出す。

「実はな、別の街で探偵事務所を開かないかと誘われたんだ」

「いい話じゃないか! でも……」

 バラトは今まで他の探偵事務所に所属していた。個人事務所を開くと言うことは探偵として一定の評価を得たという証拠。これは嬉しいニュースだった。

 だけど、あの事件は解決していない。バラトはひとりで捜査を続けていた。しかし犯人の糸口も見えていない。こんな状態で街を離れるつもりなのだろうか。

「兄さんたちを襲った犯人は必ず見つける。だが、今は無理だ。資料を探そうとしても他の事件捜査の邪魔になると追い払われる始末だ」

「ひどいね」

「あまりしつこいとこっちが捕まってしまう。今は仕方ない。………それで、引越しは数日後だが問題あるか?」

「………わかった、問題ないよ。それじゃあ、行ってくるね」

 立ち上がり玄関に向かうルイの背中にバラトの声がかかる。

「また森か……」

 バラトはルイが森に行く理由を知らない。

「約束があるから」

 ルイは視線だけバラトに向けて微苦笑を浮かべていた。

 詮索しないバラトに感謝しながらルイは外に駆けだしていた。引っ越しをするその日まで、森に通い本を探し続けた。




+


 

 ガシャンッ


 目の前の光景が暗転する。

 音を立てて氷が砕け散るのをエルカは茫然と見ていた。

 これは、エルカが知らなかった物語。

 知る必要のなかった物語。

 彼に起きてしまった哀しい物語。


 恐る恐るルイを見上げる。

「ルイくん……ごめんなさい。見られたくない過去だよね。私、見たらダメなやつだった」

 彼の傷口を見てしまったことに罪悪感がよぎる。

 だけど、ルイは穏やな視線をエルカに向けた。

「新聞にも載った事件だから隠していた過去じゃないよ。気にしないで」

「そうなんだ……私は知らなかった……」

「君は引篭っていたんだろ? 新聞だって見ていなかった」

「そうだけど………」

「この後、僕は転校したんだよ」

「そうだったんだ」

「両親が亡くなったことと、叔父さんの仕事の都合で僕は転校することになったんだ……って言っても僕もずっと不登校だったんだけどね」

「私と同じ街に居たくなかったから転校したんじゃなくて?」

 ナイトからは彼が転校したという事実しか告げられなかった。だからエルカはルイの意思で離れたのだと思っていた。同じ街に居たくないほどに嫌われたのかと思い落ち込んだものだ。

「……そんなわけないだろ」

 ルイは苦笑を浮かべる。

「………」

「僕は子供だから一人でここには残れないだろ。だから引越しは避けられない。そうなると本を探せる時間も限られてしまう。僕は心底焦ったよ」

「ルイくん………そんなことがあったのに……あの本のことを気にしてくれていたんだね。どうして、そこまでして本を探そうとするの?」

「もう後悔はしたくないから………さ」

「……後悔?」

「僕は両親と喧嘩したまま、それっきりになってしまった」

 ルイが両親と不仲だという話はエルカも以前から聞いていた。

 探偵を目指すルイの夢を両親は反対していたそうだ。探偵なんて夢物語だと言われて毎日のように喧嘩していたらしい。

 それでルイは両親への反抗心から、家出をすることが多かったそうだ。でも、いつかは将来についてきちんと話したいと言っていたことを思い出す。


「父さんに謝ることが出来なかった。あの日はさ、母さんの作った朝食を食べないで家を飛び出して………言葉じゃ言い表せない程に後悔している」


 ルイは虚空を見上げている。

 エルカは何となく視線を下げた。

 彼の目に溜まっているものに気が付いたから、それを見てはいけないと思った。


「だから、君には謝りたかった。後悔を残したまま離れ離れになるのは、もう嫌だ!」

「…………」

「エルカ…………約束を果たすよ……だから僕を見て」


 視線を動かすと、ルイの澄んだ瞳がこちらを見ていた。



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