第2章 物語りのハジマリ(2)

「説明、お願いできるかな?」


 エルカはナイトを見上げる。

 何でだろう、その双眸を見ていると安心できる。

 彼の言葉なら、信頼できる。

 エルカは目の前の男のことなど知らないはずなのに。


「いいよ。例えば【A】という本を読み始めたら最後の文章を読み終えるまでは、【A】以外の本を開くことが出来ない」

「そうなると、どうなるの?」

「途中で別の……【B】の本が読みたくても無理なんだ。【B】を開いても、それは【A】の本に変わってしまう」

「中身だけが変わるの?」

「違うな……本そのものが入れ替わるんだ。魔法によってね……魔法の図書棺の本は魔法で出来ているから」

「本を持ち運ばなくても、適当に取った本を開けば続きを読めるのは有難いね」

 わざわざ本を持って移動する必要はない。

 続きが読みたければ、その辺の本を開けば良いと言うのなら有難いと思った。

「まぁ……そうだな。つまらない本とかってないのか?」

「その本がつまらないが本かなんて読み終えるまでわからないよ。最初は面白くない本も、読み終えたら面白い本ってこともあるしね。あ、昆虫の本は大嫌いだから読まないよ」

「あー……そうだな」

「でも、待って……そうしたら、何も食べられないってこと? 料理の本を開いても、それが読みかけの本になってしまったら………食べ物は召喚できないよ」

「読みかけの本があったとしても、料理の本は例外で読めるんだよ」

「ふぅん」


 都合が良い魔法だとエルカは考える。


「まぁ…………問題は、こっちだな……」


 ふいに、空気が変わった。

 ナイトの表情がスッと真剣なものに変わる。先ほどまで晴れていた空が、急激に曇った。気温も下がったような気がする、冷たい空気が頬に触れた。


「本の【持ち主】が本を開いた場合……【持ち主】は本の中に取り込まれてしまう……そういう魔法もかけられているらしい」

「え?」

「【持ち主】っていうのは、【空想の物語】の場合はそれを想像した人物。【過去の物語】であれば、その過去の持ち主のことだ。本の世界に取り込まれた【持ち主】は物語を最後まで見届けなければならない。それが【空想の物語】であっても、現実に起きた【過去の物語】でも、結末を見届けるまでは、世界から抜け出せない」

 エルカはナイトの話を聞きながら思い出していた。

 どうやって、ここに来たのかを。

 ソルと一緒に、あの少年が主人公の本を探し歩いていた。タイトルもジャンルも分からない本だ。そんなものは簡単に見つかるわけもない。

 ひたすら本棚に並べられた本を眺めていると、何かに引き寄せられるように、一冊の本を手にした。


 それは絵本だった。


 エルカは絵本を開いていた……

 手が勝手にページを捲っていた。

 そうして、ここに……



「………っ」


 直前の光景が脳裏によぎる。


 キーーンと頭の中で甲高い音が響いた。


「君は突然、ここに来たのだろ?」

 ナイトはエルカの目を見据える。

「うん……本を開いたら、ここにいたの」

「【持ち主】以外であれば、本の世界に入るかどうかの確認がある。君にはそれがあったかい?」

「何もなく、ここに来たよ」

「………つまり、君は本の【持ち主】ってことだ。ここは君の世界だよ」

「……え」

 その言葉の意味を考える。

 軽い眩暈を感じて、エルカは額に手を当ててしゃがみ込んだ。

「おそらく、ここは【空想の世界】。君のいた世界にこんなものはなかっただろ? 例えば、喋る花とか」

 エルカの目の前には青い花が咲いていた。

 その花が突然クネクネと動きだす。

<ヤァ コンニチワ ボク オ花ダヨ>

「え? お花が喋った!」

 エルカが驚くと、お花は照れたように答える。

<ダッテ ココハ ソウイウ世界ダモノ ソンナニ見ツメナイデ>

「そんな、まさか……」

 エルカはナイトを見上げる。

 これは、冗談だと言って欲しかった。言葉を喋るお花なんて、子供の絵本にありそうな登場人物。現実にはあり得ない。

 これは、喋るお花の玩具なのだと、からかうように笑って欲しかった。

「残念ながら、本当に喋っているんだよ。これはエルカが幼い頃に描いたものかもしれないな。子どもの空想なんてこんな世界だろ」

 ナイトの声は優しかった。


 考える。


 幼い自分が考えていたこと……かもしれない。

 頭の中がお花畑になっているような世界だ。

 一生の不覚、永遠に闇に葬り去りたい。

 出来ることなら火の中に放り棄てたい。

「やだなぁ……恥ずかしい」

 顔が熱くなる。

「可愛い妄想じゃないか?」

「可愛くないよ」

「いいかい? 実際に過ぎ去った過去は書き換えることが出来ない。だから君が何もしなくても物語は進行するんだ」

「うん。そうだね、過去は、もう終わった話だからね」

「嫌なことも辛いことも、そのままに変えることは出来ないんだ。ただ見るだけ、見せられるだけで、物語が流れていく。その場にいるのに、触れることが出来ない……良い記憶なら良いだろうけど、辛い記憶ならば……」

「それも嫌だな」

「見たくない過去を見せられることもあるからな……」

「でも、この世界は【空想の物語】なのよね。私は、どうすれば良いの?」


 ナイトが話しているのは、誰かが体験した過去の物語。

 今、エルカが体感しているのは、それではなかった。


 幼い少女が空想した物語。

 この世界はどう歩けば良いのだろうか。


「空想された世界は厄介だよ。自然に物語は動かない」

「動かないの?」

「ああ、なるべく君が描いた物語通りに、登場人物を結末に導くことが必要だ」

「導く……って?」

「まずは主人公に会って話をして、そして動かす」

「でも……覚えていないよ」


 無理な話だ。幼い少女の、覚えていない物語をそのままに完結に導くなんて。

 エルカはこの物語を空想したことを一切覚えていないのだ。

 覚えていないのは、これだけではない。

 過去の殆どを思い出せない。

 図書棺の中にいたときは覚えていたことも、多分覚えていない。

 少しずつ、何かが欠け落ちているような気がする。

「完全に同じものでなくても良いよ。大袈裟に変わらなければ、少しぐらい、別の結末でも大丈夫だから」

「……でも、私には心当たりがないの」


 ジワリ ジワリ


 何かがにじり寄る。この名前をエルカは知っていた。


 恐怖だ。


 結末を迎えなければ、永遠にこの世界で一人で生きなければならない。

 そう思うと、怖くて立っていることも辛くなる。


 目の前の風景が灰色に染まると、グルグルと回り始めた。

 孤独で生きる……それでも構わない。

 けど、それは、いけないことのような気がした。


「……大丈夫だ」

「え?」


 ふいに、頭にポンと手が乗せられる。

 目を見開くと、ナイトの目と視線が交わった。

 離れていたはずなのに、いつの間にか目の前にナイトがいた。

 先ほどの眩暈のような感覚は、何処かに消えている。


「大丈夫、大丈夫。怖がらせるようなこと言って悪かったな。気を張る必要はない」

「でも……」

「不安にさせてごめん……オレも手伝うから」


 ナイトがそう言って頭を撫でまわした。

 痛い、けど安心感を抱いてしまう。

 目を閉じて、静かに呼吸を整える。


「………」

「時間はあるんだからさ」

「ありがとう、落ちついたよ」

「良かった。それで、エルカの物語の主人公だけど、どんな奴は知っているのか?」

「ええ。でも。どんな物語なのかは思い出せないの。昔の私の気持ちか……」

「そうだな」


 考えても思い出せない。

 どうして、こんな世界を作ったのだろう。

 思い出せない。

 思い出せないと思うと、モヤモヤする。




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