第15章 後悔の追憶(1)

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 広い敷地にひっそりと佇む大きな建物は若者の間では「幽霊屋敷」と噂されていた。

 長い間手入れがされていないだろう雑草だらけの庭と、苔だらけの壁に今にも壊れそうな窓を見れば、確かにそこは幽霊が住んでいると誤解されそうな屋敷だった。控えめにノックをすると、ギギギという耳障りな音を立てて玄関の扉が開かれる。現れたのは幽霊ではなかった。


 黒髪の長身の男が立っていた。彼はルイを半眼で見下ろしている。睨んでいるのか、元からそういう目付きなのかは分からない。ただ、その視線の鋭さに圧倒された。無意識に身体が震える。

 暴れん坊な兄と過保護な兄がいることをルイはエルカ本人から聞いていた。二人とも愛想は良くない、らしい。


 そして、

 暴れん坊な兄は言葉と同時に拳が出てくる。

 過保護な兄は言葉の後に拳が出るのだとか。

 力は過保護な兄の方が暴れん坊な兄の五倍ぐらいは強いらしい。


 以前、聞いていた情報を思い出しながら男を見上げる。

 睨むだけで相手を殺せるのではないだろうか、そんな気がした。そう思うと自然に背筋に緊張が走る。未だに拳が出てこないところを見ると、過保護な兄の方かもしれない。

 そうなると、殴られるのはこれからだ。

 ルイが生唾を飲み込むと、男が口を開いた。

「何の御用で?」

 予想通りの感情のこもらない低い声に慌てて顔を上げていた。

「あの、授業のノートなので……届けに」

 声を震えさせながら、伝えなければならないことを口にする。差し出したノートに男は視線を向けなかった。彼の視線は、ルイを睨むだけ。

「ああ、あいつの学校の?」

「はい。名乗るのが遅れました。ルイ・バランと申します」

「そう、お前か……オレのことをは知っているだろうけど、あいつの兄で保護者のナイトだよ」

「………はい。あの………」

「だから、話す事は何もない」

「え?」

 バタンと乱暴に扉を閉められた。

 門前払いは予想はしていたこと。自分は取り返しのつかないことをしてしまったのだから。ルイはしばらく立ち尽くして頭を深く下げてから立ち去った。


 その姿を窓から見ていたナイトは長いため息をつく。

 ナイトはルイが何の為に来たのか、わからなかった。


***


 翌日も、同じ時間にルイは屋敷の扉を叩く。扉を開いたナイトは鬱陶しいものを見るようにルイを見下ろしていた。

「お前、また……」

 その視線にルイは怯まなかった。

「休んでいると勉強が出来ないと思って、これを」

「お前、自分が何をやったのか分かっているのか?」

 ナイトの威圧的な視線にルイの足が無意識に一歩下がる。

 だけど、そこで踏み留まった。

 ここで、逃げてはいけないのだ。心の中で自分の背中を押してルイは顔を上げる。

「分かっています。だから、これはせめてもの……」

「お前の行動が理解できない。まぁ、話は聞きたくないが、これは受け取るよ」

「ありがとうございます」

 ナイトが仕方なくというようにノートを受け取ると、ルイは嬉しそうに頷く。その表情にナイトが目を丸くしたが、ルイは気が付かない様子で深く頭を下げて去っていった。


 去っていったルイの背中が見えなくなってから、ナイトは受け取ったノートをパラパラとめくり。

「完璧すぎるノートだな」

 そんなことを呟いていた。


***


 その日もルイを、ナイトが応じた。

「これ、授業のノートです」

 それを見るナイトがニヤニヤと笑った。

 前回までと違う対応にルイは驚き目を見張る。

「授業……ね。お前らの学校の教師って授業が適当って聞いていたけど? それにしては綺麗にまとめられている気がするな。まぁ……そういうことにしてやるよ」

 ナイトには全て見透かされているような気がしてルイは微苦笑で応じる。

 授業のノートのわけがない。あの事件の翌日からルイも学校に通っていない。授業なんて受けていないのに、授業のノートだなんておかしな話だ。

「はい」

「あいつが受け取るかは知らないけど、渡しておくよ」

「ありがとうございます!」

 深く深く頭を下げるルイが走り去るのをナイトの呆れたような視線が見送った。

 

***


 その後も数日おきにルイが現れて、ナイトはそれに対応していた。ノートは手作りのものだった。紙をまとめて糸で縫い合わせる手間をかけてルイはそれを作っていた。受け取るかどうかもわからないエルカの為に。

 いつものようにノートを渡して、頭を下げて立ち去ろうとするルイをナイトの声が引き止めた。


「ちょっと良いか?」


「はい?」

 ルイは表情を強張らせながら振り返った。

 何か怒らせるようなことをしたのだろうか。

 ついに殴られるのだろうか。

 時間をかけてナイトを見上げる。

「それで、具体的には何があったんだ? あいつは教えてくれなかったんだけどさ……」

「え?」

「お前たちが仲違いした理由だよ。もちろん学校側から話は聞いている。だけど、あれは連中が作り上げた噂話だろ。事実じゃない。あいつからは何も聞いていない。何故かは分からないが教えてくれないんだ。頼む、本当のことを教えてくれないか?」

 それは妹を気に掛ける兄の表情だった。それまで怖いと思っていた鋭い視線も柔らかく見える。

「あれは……ちょっとしたすれ違いでした。すみません。彼女が言えないことを僕の口からは言えません」

「そっか……いや……そうだよな。あいつの意思を尊重するとそうなるよな」

「すみません」

「まぁ、いいさ。それと、あんまり無理はするなよ。お前だって子供なんだ」

「……はい」

「親御さんだって、きっと心配しているだろうよ。何かあったらきちんと話すべきだ。まぁ、オレが言うことじゃないけどな」

「………はい」


(親……か……)


 家族とは今朝も喧嘩していた。不登校になってからは、前にも増して会話する時間が減っていた。それが良くないことは理解していた。

 ナイトに見抜かれている気がして表情が固くなってしまう。


 ルイはエルカが羨ましかった。

 両親が側にいなくても、こうして心配してくれる家族がいるのだから。ルイには両親が側にいる。だけど、ナイトのように心配してくれる様子はなかった。何より先に世間体を気にする人たちだ。不登校になったことを恥だと言われて、朝も夜も喧嘩している。


『一度、家族会議するぞ。いいな!』


 今朝も怒鳴るような父の言葉にルイは曖昧に頷いていた。

 家族会議なんかしても、喧嘩になるだけだ。

 そう思って、ろくに会話をしないまま、食事もせずに家を飛び出していた。


***


 いつものようにナイトに頭を下げた後は自宅には帰らない。

 その足で森に入る。あの女たちは彼女の本を教室の窓から学校裏の森に投げ捨てた。ここは生徒はもちろん教師も立ち入りを禁じられている場所だが、学校と関わるつもりのないルイには関係のないこと。

 これは日課になっていた。ルイは立入禁止の看板に躊躇せずに足を踏み込んだ。目的はただひとつ、失くした本を探す為。


 探すと約束した。

 

 あれは一方的な約束。けれど、必ず守らなければならないものだ。どんなに時間がかかっても見つけるつもりだった。


***


「今日も……見つからなかったか」


 月明りの道をのんびり歩いていた。

 予定より遅くなってしまったようだ。

 住宅街は暗く、静寂に包まれている。

 時計を確認していなかったが、殆どの住人たちは眠りについている時間だろう。家族会議をすると言われたのに、こんな時間に帰れば会議どころじゃない。頭に血がのぼった父親に殴られるかもしれない。


(叔父さんのところに行こうかな)


 不登校になってからは顔を合わせば父親と喧嘩の日々だった。それが嫌で叔父の住むアパートに逃げ込む日もあった。

 叔父は理由を追求せずに、黙って家出少年を受け入れてくれていた。

 翌日には、鬼の形相の父親が迎えに来るのだが……。

 僅かな時間でも、安らげる場所だった。


 叔父のアパートを見上げて肩をすくめる。

 そこは、灯がついていなかった。寝てしまったのか、もしくは不在なのだろう。

 そうなると、自宅に帰る選択肢しかない。


 気が重くなる。


(こんな時間に帰ったらまた喧嘩だろうな)


 脳裏に浮かぶのは眉間に皺を寄せた父と、呆れ顔を浮かべる母の姿。

 今朝、別れたときと同じ両親の顔。


 静かな街路を重い足を引きずって自宅に向かう。


 気味が悪いほど静かだ。

 人の話し声も、風の音も、虫の声も聞こえない。

 聞こえるのは自分の足音だけ。


 自宅に近付くにつれて、ドクンドクンと鼓動が早鐘を打つ。


 何で? 

 どうしてなのかは分からない。



 ゆっくりと歩いていた、足が早まる。



 先ほどまでは、あれほど帰りたくなかったのに。


 早く帰らなければという気持ちが背中を強く押していた。


 気が付くと、走っていた。


「ハァハァ」


 息を切らせて、ようやく辿り着いた自宅。


 まるで、他人の家のような気がした。


 灯はついている。


 他の家は暗いのに、ルイの家だけが明るかった。


 玄関の扉を開けた瞬間、父親の怒号が待っているような気がした。


 それを、期待していた。


 きっと、怒鳴り散らされて、殴られる。

 身構えておいたほうが良いだろうとか、考えていた。


 玄関の扉の前で立ち止まる。


 ドクンドクンと、鼓動が鳴りやまない。


 その扉は開けない。

 開いてはいけないような気がする。


「……っ」


 突然、扉が開いたのでビクリとした。


 玄関の扉が開くなんてこと、それは何もおかしいことではない。

 どうして驚く必要があるのだろう。


 現れたのは両親ではなかった。

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