第14章 壊れたキズナ(3)

 *


 エルカが手を伸ばすと、記憶の氷が音を立てて砕け散る。


 閉ざしていた、

 忘れていた、

 考えることを放棄した、

 愚かだった自分の姿が砕かれていく。


 粉々に砕け散った破片はキラキラとした光を放つ。

 それは漆黒の世界に灯された、優しい光の粒子。光の粒子には触れることが出来なかった。その光を挟んで、二人は視線を合わせた。


 エルカは目を大きく見開いて、ぎこちない笑みを浮かべる。

 ルイは少し困ったような表情を浮かべていた。


「やっと、分かったよ」

「やっと、伝えられた」


 二人の口から言葉が同時に零れる。

 エルカは知りたいことを知ることが出来た。

 ルイは言えなかったことを伝えることが出来た。


 胸の奥にある黒い霧がスッと晴れていくのを二人は感じていた。


「盗んだのは、ルイくんじゃなかったのね?」

「……ああ、僕じゃない」


 再度、事実を確認する。

 知りたかったこと、欲しかった言葉が目の前に差し出された。


 過去の映像は気分の良いものではなかった。


 エルカが二度と見たくなかった彼女たちの嫌な顔、声、存在。あれを見るだけで吐き気を感じた。

 目を反らそうとしても無駄なこと。目に貼りついているかのように、その不愉快な姿が目に映る。


 ルイも終始、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。


<これは、これは、気味が悪い物語だね>


 【本の蟲】も嫌そうに顔をしかめる。


 本を盗んだのも捨てたのも女王様とその取り巻きたちだった。

 彼女たちが犯人だ。

 ルイは犯人ではなかった。


 ルイが犯人ではない、それを分かれば十分だった。

 あとは、聞けなかったことを聞けば良い。

 エルカは小さく呼吸をしてから口を開く。


「私が嫌いだから盗んだのかと思っていた」

「嫌いだなんて思ったことは一度もないよ」


「……私の思い込みだったんだね……凄く恥ずかしい」

「そういう状況を作ったのは僕だから、そんなに落ち込まないで」


「ううん、言わせて。

 ごめんなさい。ずっとルイくんのこと疑っていたの。ごめんなさい」


 エルカは両足を揃えて深々と頭を下げる。自分が疑ったことでルイを追い込んでいたのだ。疑わなければ、彼を信じていればルイが苦しむ必要はなかったのに。


「君が謝るな……頭を下げるのは僕の方だよ」

「教えて、ルイくん。何で、あの時、否定してくれなかったの? やっぱり、あの子たちがいたから?」

「僕にも責任があるからだよ」

「………責任?」


 少し間を置いた後、ルイは頬を赤く染めながら顔を上げる。

 視線を横にずらして、口を開いた。


 何を言われるのかエルカには分からなかったが、どうしてか顔が熱くなるのを感じた。きっとルイが頬を赤らめるからだろう。


「僕は、あの時……君ともっと仲良くなりたかったんだよ」

「え?」


 エルカは目を瞬かせる。


「特別な友達になりたかった」

「……」


 ジッと見つめるその瞳に嘘偽りはない。特別な友達という単語の意味がどういうものかエルカは考えなかった。


 友達のいなかったエルカにとって、ルイという友人が出来たことが特別だった。

 エルカ以外にも友人がいたルイにとっては、別の意味があるのかもしれない。


「あの女たちがエルカの本を盗むのを見ていた。見ているだけで止めなかった。最低だろ?」

「それは、あの子たちに逆らえないからでしょ」

「違う、あいつらなんて怖くなかった。ただ………失くした本を僕が見つけてあげれば、もっと信頼してくれるんじゃないか……僕を見てくれるんじゃないか……って思ったんだよ」

「…………」


「僕は君のヒーローになろうとして、間違ったことをしてしまったんだ」


 ルイは、膝をついて項垂れる。


 ルイは自分がエルカのヒーローになるために、彼女を傷つける行為を見逃した。傷ついた彼女を自分が助ける、そういうシナリオを実行するために。


 エルカは彼の前にしゃがみ込んだ。


「ルイくんは自分勝手だね」

「そうだよ、僕は自分勝手な卑怯者で……」

「顏……上げて……私も、言いたいことあるから」

「え?」


 言われて顔を上げたルイの前で、エルカは微笑を向ける。

 儚げな笑みだった。


「これはね……兄さんにも内緒の話だよ」

「………」


 それはエルカが誰にも伝えていない、今回の事故の真相。


 発見された二人の遺体。

 行方不明の娘。


 エルカが用意するはずだったものは、この二つだけだった。

 ソルの暴走、ソルの父親の乱入で全て狂ってしまった。

 だが、エルカの本当の計画は別にあった。


「私ね、私が罪を犯せばコレットが見てくれるかも……って思っていたの」

「え?」

「私が父さんたち殺害の容疑者として指名手配されれば、私を娘として意識してくれるかもって」

「え……」

「兄さんたちには、父さんのこともコレットのことも嫌い、苦手だって言っていたけど。本当は違うの。私に殺されるときは、きっと父さんは私のことを見てくれるって思っていた。父さんにも私を見て欲しかった」

「………」


「私は、二人に娘として認めて欲しかった。これは内緒だけどね」


 青白い表情に暗い笑みを添えて、人差し指を立てながらエルカは苦笑する。

 そんなエルカの歪んだ計画は全て失敗に終わってしまった。


 自分の手で殺したかった父親は他の誰かに致命傷を受けていた。

 歪んだ少女の犯罪計画をルイはぼんやりと聞いていた。


「………」

「実行なんて出来なかったけどね」

 目的は両親の視線を自分に向けること。

 その為に騒ぎを起こしたかった。ただ、それだけのこと。


「自分が売られるかもしれないって状況だった。だから私はどうなっても良いって思っていたの。失敗して、殺されていたとしても……私を見てくれればそれで良かった……ごめんね」

「そんなことをしなくても、お前の母親はお前を見ていた。あの本をお前に残したんだからさ」

「……うん。だから、ね………」


 エルカは改めてルイの顔を見る。視線と視線が絡み合った。

 恥ずかしい、けど……今は、視線を反らしてはいけない。

 これを伝えなければならない。


 エルカはルイの手を両手で握り締める。


「私もだよ」


「え?」

「ルイくんが思うより、私はルイくんを見ていたの」

「……え?」

「だって、私って友達って呼べる人はルイくんだけだよ。こうして、まともに話せるのってルイくんだけだし。ルイくんは私にとっての特別な友達だったんだよ」

「…………特別な友達?」

「そうだよ」

「………ごめん、気付かなくて」

「私が言ってなかったんだもの。気にしないで。私ね、ルイくんを疑うことが辛かった。ルイくんを疑う、そんな自分が嫌だった。だから私は……不登校になったのかもしれない。疑うことも、信じることも、どちらも放棄して」

「………」

「私が不登校になっても、ルイくんは私の為に動いてくれた」

「約束したからな……本を探すって」


 ゆっくりとルイが立ち上がった。エルカも立ち上がる。

 背後で、【本の蟲】が嗤った。


<さて、物語はまだ続くようだね>


 まだ物語は終わっていない。

 エルカたちに見せる物語はまだ続きがあるようだ。

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