第14章 壊れたキズナ(1)

 掃除の時間が訪れると、エルカは女子生徒に廊下で呼び止められた。

 掃除は当番制なので、今日のエルカは何もすることがなかった。そのはずだったが、毎日何かしらの仕事を押し付けられている。


「ゴミ捨て頼めるわよね」

「うん」

 いつものことだった。

 外の焼却炉まで行かなければならないゴミ捨て当番は嫌われる仕事。

 エルカはしょっちゅう押し付けられる。

「ごめんね、足が痛くて痛くて仕方がないのよ。ああ、歩くのも辛いわ」

「わかった」

 今日のゴミ捨て当番である彼女はクスクスと笑っている。

 そしてそのゴミ袋を放り投げてきた。

 ドスっという重い音が足元に響く。


「頼んだわよ」


 彼女は「痛い」と言っていたその足で軽やかなステップを踏みながら走り去っていった。

 その背中を一瞥してから、エルカの視線はゴミ袋に向けられた。


 ゴミ袋の中からは異臭がした。鼻が曲がるような臭いに目を細める。

 これはペンキの臭いだった。嫌がらせの為だけに、この中に入れたのだろう。


 ただ、それだけの為に。


 ゴミ袋を持ち上げようとして、諦めた。

 思っていたより重かったのだ。

 先ほど、あの女はこちらに軽々と投げて来た気がする。


 諦めてゴミ袋を引きずるようにして中庭に向かった。すれ違う生徒たちが、異臭に鼻を抑える。迷惑そうな視線をエルカに向けるが、すぐに目を反らした。関わってはいけない相手だと気が付いたのだろう。


 少しばかり時間がかかったが、ゴミ袋を焼却炉まで運ぶことが出来た。ここまで運べば用務員がどうにかしてくれる。


「一人で、持ってくるとは、パワフルなお嬢さんだの」

「そんなことないです」

「あとは、こっちでやるから………うう、この臭いは」

「ペンキ。誰かが袋の中にこぼしたみたいなのです。このまま捨てても大丈夫ですか?」

「少しばかり問題がある。こちらで確認するから、置いて行って良いよ」

「ありがとうございます」

 用務員にゴミ袋を預けたエルカは、頭を下げて教室に駆け戻った。


*


 掃除が終われば後は各々好きなことをして過ごせる。

 午後の日差しが暖かくて絶好の読書日和だと思いながらエルカは自分の席に座った。机の中から本を取り出そうとして、


 その手を止める。


「あ、あれ?」


 そこに、あるはずのものが……


「本が……ない」


 失くした?


 それとも、


 盗まれた?


 エルカは、ゆっくりと、顔を上げて、


「……え」


 その濁った瞳はルイを見据えていた。


「…………ルイくん、本がないの」


*


 ルイは茫然と立ち尽くしていた。


 背筋に冷たいものが流れるのを感じた。本が失くなったというエルカのルイを見る目。それは、疑いの眼差しだった気がする。


 どうして、そんな目で見るのだろうと考えたルイは、あの女王様と取り巻きたちが言っていた言葉を思い出す。


「エルカの私物に触れると穢れるの」……だとか、そんなことを口にしていた。


 だから、安心してエルカはそれを持ち歩いていたのだ。


 誰も触れないから盗まれることはないと、そう思っていた。ルイ以外の誰かが本に触れたことはなかった。


 そうだ、が、自然に抵抗なく本に触れていた。

 

 ルイは息を飲みながらエルカを見る。

 彼女はルイを見ていない。

 視線を彷徨わせながら、どこか遠くを見ている。


*


「どうしよう、どうしよう」


 エルカは焦っていた。

 焦れば、焦るほどに冷静な思考が出来なくなる。


 この焦りをどうすれば良い?

 本が失くなってしまったけど、どうすれば良い?


 焦りが増していく。

 焦る心を抑えるために、一瞬だけルイを疑ってしまった。彼はエルカの持つ本に直接触れることが出来る。疑う理由はそれだけだった。


 そうだ、疑う理由があまりない。だけど、実は信じる理由も少ないことに気が付いてしまった。自分たちは出会って友人になって日が浅い。本当の彼なんて実は知らなかった。


 どうすればいい、どうすればいい。

 冷静にならなければならない。


「落ち着かないと…………でも」

 

 手が求めるのは、あの本。

 掴もうとしても、その手に触れるのは虚空だけ。


 あの本がないと、落ち着くことが出来ない。


 その本が、今は見当たらない。

 だから、余計に焦ってしまう。


 どうしよう……


 頭の中が真っ白になる。


「…………どうしよう」


 息が苦しくなる。

 呼吸をやめてしまえば、落ち着けるだろうか。


「……あ、ああ」


 エルカの目の前ではルイも目を彷徨わせながら焦っていた。

 両手両足が震えている。彼が焦っている理由がエルカには分からない。


 焦る理由なんて、あるのだろうか。


 焦る、理由?


 本を失くしたのはエルカなのに……ルイが青ざめた表情を浮かべている。


 どうして?


<それは、彼が犯人だから………なんてな>


 エルカの心の中で【本の蟲】が嗤った。


<彼を信じなければ良かったんだ……>


 【本の蟲】が囁く。


 この声は本当に【本の蟲】が言っているのだろうか。

 エルカは【本の蟲】を見上げる。


 彼女の霊体は目の前に在った。エルカ以外、誰の目にも見えない姿。優しい笑顔ではなく、意地悪そうな笑顔で彼女は嗤う。その笑顔のまま、姿を消した。


 彼を信じてしまったから大事な本がなくなってしまった。

 そういうことなのだろうか。


 ルイに視線を向ける、


「待っていて、探してくるから」


 彼は早口でそう言ってから教室から駆け出していた。


*


 廊下を全力疾走するルイを、不思議そうに生徒たちが見ている。

 教師に咎められても足を止めない。


 立ち止まってはいけなかった。急がないと、危険だと思ったからひた走る。目的の教室は、こんなに遠くないはずだ。


 それなのに、遠く感じてしまう。


(僕は、何てバカなことをしたんだよ)


 ルイは焦っていた。

 エルカの濁った瞳に、胸の奥が痛む。

 あんな顔をさせるつもりはなかったのだ。


 目的の教室の前で足を止め、息を粗く吐いてから顔を上げる。


 彼女の本を盗んだ犯人をルイは知っていた。

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