第13章 思い出のハジマリ(4)

(誰も、話しかけてこない………か)


 朝、いつもの登校時間。

 談笑しながら通り過ぎる生徒の背中について、教室に入る。

 挨拶を交わし合う生徒たちが横を通過する。


 ルイは誰とも挨拶を交わさない。

 誰もルイと目を合わせない。

 まるで、空気のようにルイを扱いはじめる。


 一人になると、やることがなかった。


 休み時間が短いと感じていた。

 友人と少し言葉を交わすだけで終わってしまう刹那の時間だった。一人になって、他愛のない世間話がなくなっただけで、こんなにも時間が長く感じるのだ。


(どうせ、避けられているのなら……)


 ルイの視線は教室の片隅に向けられる。

 気配を消して読書に没頭する少女を見やった。

 真剣な眼差しは開かれたページに向けられている。


「エルカ」


 ゆっくりと音を立てないように近付いて、声をかける。その瞬間、教室がザワついた。世間話をしていた生徒たちの声がピタリと止まる。そして、ヒソヒソと小声で話し始めた。

 奇妙なものを見るような目で遠巻きに二人を見る。そのような視線を複数感じる。その視線に振り返るようなことはしない。ルイは目の前の少女にだけ視線を向けた。


 声をかけられたエルカは最初は驚いたものの、すぐに本に目を落として冷めた声で応じた。


「………なに?」


 その冷たさにルイは壁を感じた。

 と言われたような気がして眉を潜めた。


 エルカは女子たちから嫌がらせを受けている。

 嫌がらせの原因、ひとつは魔法使いと呼ばれた男の孫だから。

 彼女の祖父は、貴族との間で色々とトラブルがあったそうだ。だから、貴族たちはエルカの祖父を嫌悪していた。その子供たちはその孫を嫌悪する。


 平民たちは貴族の機嫌を損ねてはいけないので、貴族が嫌悪するものを共に嫌悪する。平民のルイが、貴族が嫌悪するエルカに親し気な笑みを向けるなんて、あってはならないことだった。


 ルイは周囲の反応なんて気にせず言葉を続けていた。


「今、話しかけても平気?」

「……」

「話し相手いないから、聞いて欲しいんだけど」

「……」

「僕のことは気にしないで良いから、話を聞いて」


 ひたすら無視をしていたエルカだが、周囲の視線に気が付いて顔を上げる。

 生徒たちが自分たちを見ていたので、慌てて顔を手で覆う。そして、注目の的になってしまった原因であるルイを一瞥した。


「何を考えているの?」

 小声でそう告げると、ルイは苦笑した。

 エルカがすぐに答えなかったのはルイの為でもあった。エルカと言葉を交わすことでルイが孤立することを彼女は気にしている。

 既にルイは孤立しているのだから彼女のその心配は無用だった。

「もう、お互い一人同士なんだ。問題ないだろ」

 ルイは話しかけることをやめないような気がした。

 エルカは長くため息を吐いてから、観念したように、

「……………丁度読み終わったところだから……何の話かな?」


 緊張した面持ちでルイを見上げる。


 エルカが教室で誰かと世間話をするのは久しぶりだった。

 この教室でエルカがクラスメイトから声をかけられるのは、面倒事を押し付けられるときや嫌味を言われるときや、なぜか罵詈雑言を浴びせられるときだけ。


 穏やかな声で話しかけられたのは久しぶりだ。


 そう思うと、目の前のルイ以外の生徒が見えなくなったのだ。

 周囲の視線は怖い。けれど、ルイの目を見ていれば少しも怖くなかったのだ。だから、ジッとエルカはルイの漆黒の瞳を見据える。


「実は叔父さんの家で凄い本みつけたんだ」

「凄い本?」

 目を輝かせて食いついたエルカにルイは苦笑しながら続ける。

「大昔の人が書いた本だよ」

「古書?」

「そういうのかな。気になる?」

「気になる!」

「君ならそう言うと思った。その本さ、触れたら崩れそうな本だった」

「それじゃあ、読めないね」

「叔父さんに頼めば読めると思うよ」

「本当に?」


 キラキラとしたエルカの瞳をルイは見つめていた。


 周囲から冷たい視線を感じていた。

 エルカの表情はその冷たい視線を忘れさせてくれる。誰も声をかけなくても良い、彼女に声を届けて、彼女の声を受け取ることが出来れば。自分たちは互いだけを見ていれば大丈夫なのだ。


 ルイは忘れていた。この細やかな幸せを壊そうとする存在を。それを失念していた。ただ、彼女の声に耳を傾ける。


「古い本って、癒やされるんだよね」

「その本も古そうだな」


 ルイが指さしているのは、今エルカが読んでいる本ではない。

 隣に置いたままの古い革表紙の本。いつも彼女は、それを持ち歩いていた。


「これは……母親が私に残した本なの」

「そっか……どんな本?」

「古い民話や伝承が、古い言葉で書いてあるから面白いの」

「大事な本なんだね」

「……不本意だけど一番好きな本かな。だから宝物だよ」


 エルカはその本を抱きしめる。

 これは彼女にとって大事な本だった。家の事情は皆に知られている。祖父が魔法使いと呼ばれた男であること。両親が離婚していること。母親が子供を捨てて出て行ったこと。隠したいことなのに、皆が知っていた。


 これは大事な本だ。自分を捨てた母親のものだからすぐにでも捨てたい本。なのに、子供の頃からこれを持っていると心が落ちついた。本音では悔しいことだが、これがないと心が壊れそうになるのだ。


「触っても良いか?」

「うん、良いよ」


 ルイが本に手を伸ばして表紙に触れる。慎重に指先で触れた。


「ありがとう。うわ、ザラザラしている」

「古いからね」

「……壊れそうだな」

「結構、丈夫だよ」

「叔父さんの本とは違うね。あれは触れたら、壊してしまいそうで怖い」

「壊したらダメ」

「そうだな。探偵になる僕が重要文化財を破壊した罪で逮捕!とか言われて捕まってしまう」

「そうだよ……私の話し相手はルイくんしかいないんだから……いなくならないでね」

 不安そうな双眸が揺らめいたので、ルイは胸が締め付けられる思いになった。

「……分かっているさ………捕まるようなことはしないから」

「約束だよ」

「ああ」


+



 氷の中に映る、二人が微笑み合う。


 その光景を二人は無表情のまま見ていた。


 パリンッ


 音を立てて氷が砕け散る。


 氷の中でバラバラなる自分たちをぼんやりと見ながらエルカは口を開いた。


「この頃は幸せだったね」

「そう思うのか?」


 エルカは小さく頷いた。ルイ以外に友達がいなかったエルカにとって、それまでの孤独な日々と比べれば幸せな時間だった。


「ここから、だね」

「そうだな……」


 この先に待っていること。

 それが、二人たちが見なければならない真実の物語。


 ゴクリと息を飲みこむ。


 心の準備が出来るのなんて待ってはくれないようだ。

 物語は容赦なく進行するらしい。黒い光を放つ氷が地面からゆっくりと現れた。

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