第13章 思い出のハジマリ(3)

***


 パリンッ


 幸せな映像が流れていた氷。

 それが、音を立てて砕け散る。


<甘酸っぱいなぁ……実に甘酸っぱい。二人の出会いは甘酸っぱい>


 沈黙したままの二人を交互に見ながら【本の蟲】が嗤う。

 そんな【本の蟲】を視線で制してから、エルカはルイを見上げた。


「私ね……ルイくんが初めてだったの。多分……ちゃんと友達が出来たのも初めてで……だから、嬉しかった。ルイくんに声を掛けられたこの日、私の世界が広がったんだよ」


 最初は警戒していた。

 この人を信じて良いのだろうかと不安だった。

 だけど、味方だと気が付いた瞬間。彼との間にあった壁が消え去った。

 エルカと彼を遮る壁が消えると、視界が一気に広がった。

 暗い闇の中で一人で本を読んでいたはずのエルカの前に眩い光が差し込んだ。

 エルカにとってのルイは、光だった。


「僕もエルカが初めてだったんだ。色んな表情を見たいと思った相手もエルカが初めて。誰かを助けたいと思ったのが初めてだった。女の子に対して、そんなことを思ったのも初めての事だった」


<そうして、お前たちは友達になったのか>

「そうだよ」

<ほらほら、次の氷が向こうに>


 【本の蟲】が指さすその先に、氷が浮かび上がった。容赦なく、物語の続きが姿を現す。



+++


 自分の机でルイは教本を眺めていた。

 近づいてくる気配を感じ、視線を上げると親友が両手を合わせて頭を下げた。

 これは、いつものことなのでルイは大袈裟なため息をこぼす。

「ルイ、昨日の宿題見せてくれよ」

「また忘れたのかよ」

 親友が宿題を忘れることは日常茶飯事でルイのノートを写すこともいつものことだった。

「悪いな、ありがとう」

「まだ、見せてやるとは言っていない」

「そう言なって」

「おい、勝手に……」

 ノートを取り上げる親友を睨みながら、横目で窓辺に視線を向ける。

 いつものように、エルカは本を開いていた。心なしか、目が輝いているのは、今日は取り寄せた本が届く日だからだろう。

「見すぎだぞ、ルイ」

「はぁ?」

 ふいに伸ばされた手が頬をつねる。視線を向けると、意味深な笑みを浮かべた親友と目があった。

「彼女のこと……変な目で見すぎて、不審者扱いされないように気を付けることだな」

「な、何を言って……」

「まぁ、不審者扱いされるぐらい見ていたい気持ちは分かるけどな……俺たちにとっては高嶺の花だし」


 親友は気が付いているのかもしれない。探るような視線にルイは息を飲み込んだ。エルカとルイが少しだけ親密な関係になっていることを彼は気が付いている。


*

 

(やっと届く………世界迷惑童話集……司書さんにお願いして取り寄せた)


 司書から欲しい本はないかと尋ねられた時、エルカは迷わずそのタイトルを告げた。街外れの図書館でなぜかいつも貸し出し中の本だ。利用客が少ない図書館だからすぐに戻ると思ったのに。貸し出されたまま、そのまま返されていないのだと図書館の職員に告げられた。

 そのシリーズを学校の図書室にいれてもらえるのだ。

 興奮がおさまらない。


 授業が終わると、エルカは駆け足で図書室に向かった。

 ルイは少し時間を置いてから、図書室に足を向けた。


 約束を交わしていたわけではない。

 それでも、エルカは待っていた。

 ルイも図書室に向かっていた。


 利用する生徒が少ない図書室は静寂に包まれている。

 エルカは司書に視線で会釈をすると、入荷されたばかりの本を受け取って、礼を述べてから奥のテーブルに向かう。

 本棚の陰にある、そこがエルカの居場所だった。


「………」

「あ……今日も居たんだね」

「ルイくんも……今日も来たんだね」

「ああ、ゆっくり本を読みたくてね」


 この場所を指定されていたわけではないが、ルイは必ずここに顔を出していた。


 エルカは現れたルイの姿に安堵する。

 もう、来ないのではないだろうか。そんな不安を毎日抱きながら彼が席につくのをエルカは待っていた。。


 ルイはエルカの正面に腰を下ろす。

 向き合って座ることに最初の頃は、恥ずかしさでどうにかなりそうだった。だけど、今では互いの目と目を合わせて言葉を交わすことに慣れてしまっている。


 この時間は本を読んだり、たまに宿題をして、軽く世間話を楽しんでいた。


 家庭のことは話さないようにしていたのだが、ふとルイが自分の話を始めた。きっかけは、彼が読んでいる探偵小説。ルイは叔父の影響で探偵小説を好んで読んでいる。


「え? ルイくんの叔父さんって探偵なの?」

「ああ、だから僕は叔父さんのような探偵になるのが夢なんだ」

「探偵になるって、どうやってなるの?」

「わからないから、こうして探偵小説を読んで勉強しているところ」

「ふぅん……」

「君の夢って、何かある?」

「え? 本に埋もれた生活。床一杯の本に埋まって寝ていたい」

「……何かの事件現場みたいだな」

「そうかな? 大量の本のベッドで眠れるのは幸せだと思うの」

「捜索願が出されて、家の中を調べたら大量の本の中から発見される……それはやめてくれよな」

「そうならないように努力するよ」


 現実で起きそうだったので、エルカは乾いた笑みを浮かべた。自宅でベッド代わりに使用しているソファーの半分が本で埋まっているのだ。


「探偵小説は読まないのか?」

「たまに読むけど……お爺様の書庫にはそういう本はないの。ルイくんの好きなシリーズって何かな?」

「え?」

「探偵を目指す少年が選ぶ探偵小説……きっと、面白いと思うから気になるの」

「そっか……じゃあ……」


 二人の距離は少しずつ近づいていた。


*


 ルイは少しずつ感じていた。

 最近になって、自分に声をかける友人が減ったことを。周囲がルイを避け始めていた。彼らと自分の間に大きな壁があるように思えて、妙な疎外感を抱きはじめていた。

「お前、大丈夫なのか?」

「大丈夫って?」

 ふと親友が声をかけてくる。今までは気安く話していた親友は、周囲を気にしながら、目尻を下げて話を切り出す。

「放課後、あの子と一緒にいるだろ」

 隠れて会っていたわけではない。だから、すぐに周囲が知ることになるのは予想していた。

「だから? あの子が何かをしたっていうのか」

「いや、それは……そうだけど」

 親友は言葉を濁らせる。

「僕があの子といるのは、一緒にいたいからってだけ」

「そっか……あのさ……」

「ああ、もう僕に声をかけなくても良いよ」

「ルイ……」

 親友は苦し気に俯いた。おそらく、もう誰もルイに話しかけてこないだろう。そういう空気が出来上がりつつあった。

「お前の親父さんの仕事、大変らしいな」

「ああ……悪いな」

「謝るなって」

「まぁな……さっき言われたよ。お前と親しくすれば……親父をクビにするって」

「酷い話だな」

 あの女王様は自分の好きなようにクラスを支配する。自分に逆らう者を許さない。ルイは女王様に逆らった。女王様が苛めていた少女を助けた。その行為を女王様は良く思わなかったのだ。

「お前のところには?」

「来たけど、無視したよ」

 その結果、ルイも苛めや嫌がらせの対象となったのだろう。まずは、こうして周囲から孤立させる。ルイが男だからだろう、直接手を出してくることはない。

「本当に、大丈夫なのか」

「気にするなって……心配してくれて、ありがとうな。あと巻き込んだみたいでごめん」

 謝罪を口にしてルイは親友を見上げた。女王様はルイではなく、その親友を脅してきた。それは彼の父親が女王様の父親の部下だからだ。簡単に追い詰めることができる。

 ルイは自分の正義感で、親友の家庭に迷惑をかけたことには申し訳なく感じていた。だけど親友ではなく彼女を選ぶ。それを親友は分かっているから、微苦笑を浮かべた。


「ああ……じゃあな………それと、ありがとう」

「え?」


 親友は悲し気な笑みを浮かべた気がする。


 ルイと彼は、翌日から挨拶を交わすこともなくなった。

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