第11章 友の頁(4)

 ルイは何かを言おうとして、でも言葉を出せずにいる。

 エルカは彼の口から、言葉が出るのを待っていた。


 二人は無言で向き合ったまま、視線を床に落としている。


 それをもどかしく思ったのだろうか、


「………気持ちを伝えるのが怖いのなら、これを使えばいい」

 間に入ったナイトが一冊の本を差し出してきた。


「……これは?」


 兄を一瞥してからエルカは本を受け取る。

 それは紫色の表紙の本でタイトルには【トリン学園】と書かれていた。その文字を見てエルカは眉間にシワを寄せる。それは、半年前までエルカとルイが通っていた地元の学校の名前だった。


「この本にはのお前たちが記されているそうだ」

「そんなものがあったのね……」


 ……それは二人が仲違いした日……そう判断したエルカは半眼で兄を伺う。


「これは、コレットさんが見つけてくれた本だよ。二人の過去を一冊にまとめた特別な本だそうだ。当然だが、オレには読めない。だからオレは内容を知らない。内容を知れるのは、お前たち二人だけだ。お前たちはお互いが見ていたものを知らない。これを開けば、それを知ることも出来るだろうな」

「そうだね……」


 この本を開けば、エルカはルイの過去を、ルイはエルカの過去を知ることが出来る。己の過去を相手に話す勇気がないのなら、直接見れば良い。

 そういうことだろう。


「………これを読んで、それでも引篭もりたいというのなら……オレはもう止めない」

「……………」

「お前と一緒にここで過ごしてやるよ」

「………結局、兄さんは私と一緒にいるつもりなのね」


 エルカは深くため息を吐いてから、半眼でナイトを見上げた。その精神には呆れるしかなかった。


「言っただろ? オレが生きる目的はお前なんだって」

「そうだったね……………その、重すぎる愛情はどうすれば軽く出来るのかな?」

「オレの愛情を軽くしたければ、この状況を変えれば良い。オレはお前が心配だから重すぎる愛情を向けてしまうんだからさ。オレの心配の要素を減らせるのなら、少しは軽くしてやるよ。少しだけどな」

「…………」


 心配の要素というのは、こうして図書棺に引篭もっていることを指しているのだろうか。エルカは兄を見上げる。


「ずっと、後悔していたんだ。お前たち二人に話し合う機会を与えなかったことを。毎日のように来てくれたルイのことを、オレは追い返していた」


「僕は、それだけのことをしたんだ」

 ルイは俯いたまま、どうにか言葉を絞り出す。


(そして、彼に会いたくないと言っていたのは私だった)


 エルカは眉根を寄せた。

 その望みを叶えるために、ナイトはルイを追い返していた。


(ノートを受け取っていたのも私の意思)


 不要ならば自分で捨てるつもりだった。貰えるものは受け取るように、とエルカはナイトに頼んでいた。

 ナイトはエルカの望みを叶えていただけ。


「オレは何事にも妹優先だったから、頭ごなしにお前を悪者だと決めつけていた。話をしたいという申し出を断り続けて来た」

「何も間違っていません、悪いのは僕ですから。僕の所為で、彼女は大事な宝物を失ったんですよ。悪いのは僕です……」

 震えながら言葉を吐き出すルイをナイトは苦笑しながら見下ろしていた。

「相変わらずの根暗野郎だな………それはエルカもだな」

「……」

 鋭い視線が、エルカに向けられる。

「……オレはお前の望みは叶えてきた。引篭もりたいという望みも叶えたな」

「うん、それは嬉しかったよ」


 学校に行くのを辞めたとき、ナイトは怒らなかった。

 だから、エルカは安心して引篭もったのだ。 


「本当なら、お前が外に出られるように手助けをするべきだったのに。引篭もっていた方が護りやすいからって………護りやすいだなんて、これはオレの都合だ」

「でも、それを望んだのは私だよ」

「そうだな……結果としてお前を束縛する形になってしまった」

「………束縛………されていたのかな」


 エルカは勝手に引篭もっていただけだ。だから、ナイトがそんなに自分を責める必要はないはずなのに。どうして、そんなに苦しそうに表情を歪めるのだろうか。エルカには理解が出来なかった。


「オレはお前の爺さんから、お前を護ることを命じられた」

「うん」

「引き篭もってくれていた方が護りやすいと思っていたんだ。学校に行って、知らない場所で傷つかれるくらいなら……家から一歩も出ない方が都合が良いって」

「………」

「ルイの行動でエルカは傷付いた。同じことが起こるのではないかと、恐れていた。だけど、お前たちの喧嘩は、些細なものだったよな? 冷静に話し合えば、ここまで深刻化することもなかった」

「………」

「………」

 兄は二人の間にあった出来事について、どこまで知っているのだろうか。探るようにナイトを見据えるがいまいち分からない。


 ナイトの言うように、二人の喧嘩は些細な問題だった。


「お前たちに起きたことは、終わったんじゃない、止まっているだけだ。このままでは………お前は変われない。引篭もりで、オレたちに依存するお前のままだぞ」

「…………」


 半年前に、あの教室から飛び出した時から時間が止まったまま。

 閉ざされた扉を前にして、その場で動けずに、踏み出せずにいたのだ。鮮明に覚えている、あの固くて冷たい扉と立ち尽くしたままの自分の姿を。


「それでも良いかって思ったさ。お前にはオレさえいれば十分だって。でもそれじゃダメなんだ。エルカだって、いつかは自立したいのだろ?」

「うん……兄離れはしたい」


 そう、エルカが言うとナイトは少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。

 だけど、すぐに表情を引き締める。


「だったら、立ち止まるな。何度でも言うが、お前たちの時間は半年前で止まったままだ」

「……」

「……ルイは勇気を出して、この街に戻ったんだぞ。何もかも忘れて新しい街で、新しい生活も出来たのに、お前の為に来てくれたんだ。お前も勇気を出しなよ。お前たちの時間を動かすんだよ」


 カチカチと時計の秒針が規則的なリズムを奏でる。

 何となく見上げた時計には秒針も、短針も長針もなかった。


 時間が止まったまま。


 同じ場所で足踏みをしているだけで、前に進もうとしない。

 まるで自分のようだと、エルカは感じていた。


 ナイトの言う通り、エルカはずっと逃げて来た。

 もう、逃げるのはやめにしなければならない。


 酷い思いをしたこの街に帰って来た彼の勇気にも答えなければ。

 エルカは唇を噛みしめて、そしてナイトに視線を向ける。


「今は、ルイくんと二人だけにして……ここから先は、私たちだけの問題だから……話も聞かないで欲しいから、先に戻って欲しい」

「………そうだな」


 エルカはずっと、兄の愛情という安全な場所に逃げていた。

 だから、今はその兄を遠ざけて、逃げることをやめた。


 ***


 ナイトが姿を消した。

 姿を消しただけで、本当はまだ近くにいるのかもしれない。


「………」


 軽く深呼吸してから、ルイを見上げる。

 あの頃と変わらない。

 二人きりのとき、彼はエルカの言葉を待っていてくれる。

 上手く言葉にできない性格を知っているから、気長に待っていてくれる。

 それはルイも同じだった。

 二人は気持ちを言葉にすることが苦手だった。

 だから、幾らでも互いのことを待つことが出来た。

 あの日だけは、それが出来なかった。

 二人だけじゃなかったから。そんなのは言い訳にすぎない。


 時計の音がカチカチと鳴り響く。

 この部屋にある時計は、音が鳴るだけで、まだ時は刻まないようだ。


「……」

「…………この本を開けば、あの日のルイくんのことも分かるみたい」

「そうらしいな」

「良いの? それを私が知っても」

「ああ」


 ルイは強い瞳で頷いている。

 エルカの方が怖気づいているらしい。

 あの日のことを知られることが怖いのはエルカだけなのかもしれない。


「……他にもね、あの頃の色んな思い出を見ることになると思うの。あの出来事には直接関係しないようなことも」

「そ、そうなのか? それは恥ずかしいかも」


 少し照れたように笑う。

 確かに、関係ないようなところを見られるのは恥ずかしい。

 あの日の真実を見られるよりも少しだけ恥ずかしいと感じる。


「でもね、思い出を見るのは私とルイくんだけ。この思い出は私とルイくん以外には見せるつもりないから。いくら兄さんでも絶対に見せない。私がそう強く思っているから、兄さんも見れない」

「じゃあ、安心……かな」

「私に知られることは良いの?」

「それは仕方ないよ。エルカは?」

「うん、仕方ないよね」

 こうして、話をしているとあの頃に戻ったような感覚に陥る。

 ルイが変わらずに優しいから、エルカはどう接すれば良いのか分からなかった。


 これから過去を見るのだ。

 幸せだった時間も、苦しい時間も。


 本を持つ手が微かに震えた。これを開くとどうなるのだろうか。

 エルカはジッと本の表紙を見つめていた。

 その不安に気付いたのか、ルイが穏やかな笑みを浮かべる。


「………本を開くとどうなるのかは分からないんだよな。エルカが開きたくないのなら、開かなくても良いよ。僕は君に従うから」

「それは嫌。そんなことをすれば、私はまた……逃げるだけになっちゃう。ルイくん、座って。本を読むんだから、ソファーに座ろう」

「………うん」


 エルカはルイをソファーに促す。

 並んで座ると、ドッと緊張感が増した。

 その緊張を悟られないように、エルカは図書棺の本の説明をする。


「何を言っているのか分からないだろうけど………ここにある本はね……本の内容が映像として流れて私たちはそれを見ているだけ。その映像からは目を反らせない。目を反らしても、反らした先に映像が流れる。目を閉じたままでも映像が目に映る……そういう本なの」

「………」

「でも、この本は……それだけじゃないと思うの……どうなるのかは、私にも分からない。でも………私とルイくんは一緒にいるから。私もルイくんも一人じゃないよ」

「わかった」

「……じゃあ、開くよ……一緒に」

「ああ」

 二人の手で、そのページが捲られる。

 

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