第1章 扉の向こう側(3)

 巨大な本棚が等間隔でズラリと並んでいた。壁一面も本棚。それらは天井まで伸びている。その天井は遙か高い。一番上の本はどうやって取るのだろうか。


 見上げていた視線を下ろす。


 臙脂色の絨毯が広がっている。そこは入りきれなかった本が積み重ねられていた。アンティーク調のテーブルの上にも本。

 その量に圧倒されていた。


「………」


 エルカは目の前に広がる光景に魅入って、言葉を失っていた。

 そこは祖父の地下書庫とは違う、巨大な図書室か、もしくは書庫だろう。

 世界の全てがそこにあるような気がした。目を見開いて、上下左右に視線を動かす。

「すごい…」

 普段は本を読まないソルでさえも口を開いたまま、茫然としている。


 二人の足は、自然に、一歩ずつ、扉の向こうに、踏み込んでいた。

 

 それは、無意識の歩みだった。


 ガタン!!


 背後で聞こえる音に二人は慌てて振り返った。


「え?」

「……!!」

「え………まさか………私たち、中に入っちゃったの?」


 二人の目に映ったものは、自分たちが開いた扉。

 それが閉ざされていた。

 そこで、自分たちが扉の先に足を踏み入れていたのだと知った。


「いつの間に…………くそ、本当に扉が閉まるなんて……っと、まだ開くかもしれない」


 二人の手がドアノブに触れようとした瞬間、


 パッと照明が消えた。


「……っっ」


 漆黒の闇が広がる。


 伸ばした手の先にはドアノブがなかった。

 すぐ目の前にあったはずなのに……

 手探りにドアノブを探すが、虚空に触れるだけで何もない。


「いったい何が……えっと………ソル、いるよね」

「あ、ああ」


 声で互いの位置を確認しながら、周囲を警戒する。何を警戒すれば良いのかわからなかった。だから、全身でこれから起きることに警戒する。


「ハーハハハ」


 誰かが高笑いを上げていた。

 男の人の声。それは、エルカの知らない声だった。

 エルカは声のした方向に振り返る。

 そこに、一筋の光が差し込む。

 その光はスポットライトに変貌。その光に照らされた人影が現れる。声の主だろうか、と目を凝らして見た。

 ぼんやりと少しずつ、その姿を明らかにする。

 それは一人の少年だった。


「じゃーーーーん!! 王子参上!!」


 ライトの光でキラキラと輝く金色の髪……その頭には立派な王冠。

 彼の服装を凝視する。それは、カボチャパンツだった。絵本に出て来る王子様が着るような衣装。彼は堂々と着こなしていた。この世にカボチャパンツが似合う人間がいたことにエルカは衝撃を受ける。

 少年は両手を広げて天を仰ぐポーズで静止中。

 そして、自分に酔うように、目をキラキラとさせている。


 声をかけて欲しい。

 それを全身でアピールしているように見えた。


 エルカはこういう男の子が苦手だった。構ってくれと周囲にアピールする男の子。絶対に関わったらいけない人間だ。面倒そうな人。直感でそう思った。


「参上」


「………………」


「さんじょぉ」


「………………」


 エルカもソルも、少年の姿に啞然としていて、言葉を発することが出来なかった。


「…………」

「…………」

「………………私は、本が読みたいの」

「え? エルカ?」


 エルカは、このたくさんの本が気になって仕方がなかったのだ。

 少年の登場で再び照明がついた。

 改めて見渡す。ここの本棚はエルカを圧倒させ魅了する。

 ここが何処なのかは、まだわからない。

 どうして、こんな場所にいるのかもわからない。

 この状況はとても不安。

 だけど、本を読んでいれば……不安なんてどこかに消えてしまうはず。今までだってそうだったのだ。


 本はエルカの心を満たしてくれる。

 だから何者かもわからない少年は無視だ。


「ソル、後はお願い」

「え?」


「無視しないでください!!」


「……っ」

 金髪の少年はエルカのもとに駆け寄ってきた。

 思わず、後ろに下がってしまう。隣にいたソルが不機嫌な視線を少年に向けた。

「何だよ、このカボチャパンツ」

「か………カボチャパンツですって!?」

 途端に少年の顔がみるみる内に真っ赤になる。もしかすると、彼にカボチャパンツは禁句だったのかもしれない。

 突然その手を、バタバタと振り回す。

 その手がソルの顔をペンペンと叩く。


(あー……そんなことをすれば)


 エルカはその様子を見て、焦っていた。

 ソルが黙って殴られているだけなんてことは有り得ない。このままでは、ソルは怒るだろう。ソルが暴れたらこの本棚が倒れる。

 

(そうなったら…………貴重な本が読めないのは困る)


 ソルが拳を振りかざす。

「……い、痛いじゃないか、この糞ガキが」

「糞ガキですって?! お酒も飲める大人の男ですよ」

「どこが大人だ。ただのカボチャパンツだろ」

「また言いますか? この最先端の大人の男の着こなしに対して失礼ですよ!! じっくり見てください。ほら、頭から足の先まで大人です」

 目の前で睨み合う二人。お酒も飲める大人同士なのに、やっていることはまるで子供の喧嘩だった。このままでは収集がつかない。ここの本棚を、本を守らなければ。


 気が付いた時には、身体が勝手に動いていた。


「やめてよ! 本が崩れる!」


 エルカはソルと少年の間に割って入った。

 普段ならばソルと誰かの間になんて絶対に入らない。だから、巻き込まれて殴られても文句は言えない。

 エルカは自分が、どうして、こんなことをしたのか分からなかった。

 反射的に閉ざしていた目を、静かに開く。

 覚悟していた痛みは……なかった。

 ソルが直前で止めてくれたのだろうと、エルカは考える。

 その考えも静止してしまった。

 目の前には金髪碧眼の少年の顔が在る。エルカと彼の身長は同じ位だ。何もしなくても視線が合ってしまう。


「……」

「……」


 長い睫毛に陶器のような肌。この少年は綺麗だ。カッコイイかどうかは別としても綺麗な顔をしている。好きか嫌いかと問われたら答えに困る。

 エルカは首を傾げながら少年を見る。

「何ですか? 美しいからって見つめないでください」

「………変な顔」

「何ですと!」

 少年は顔を真っ赤にして怒っていた。

 申し訳ないと思ったが、エルカには他の感想が浮かばなかった。

 こんな絵に描いたような王子様面なんて見たことがなかった。現実味のない顏をしている。だから、「変な顔」と告げただけ。


「………ハァ」


「ソル……」

 背中の大きなため息に、振り返る。

「俺の間に入るなって……危ないだろ、やめてくれって」

「ご、ごめんなさい」

 エルカはソルを見上げた。

 怒っているような、安堵しているような、何だか不思議な表情をしている。

 いつものソルなら、確実にエルカは巻き込まれて殴られていたはずだ。だけど直前で拳を止めた。それが出来る余裕はあるということ、今の彼は思っているより冷静らしい。

「気にするな。俺も熱くなり過ぎた。大丈夫か?」

「うん」

「………まったく、冷や冷やしたぞ……怪我させたら、俺……地獄に落とされる」

 ソルの声が落ち着いている。気遣う言葉を口にする。「なんだか珍しい」、なんて言ったら今度こそ怒りそうだったので、今の感想は喉の奥に飲み込んだ。

 エルカはもう一度、金髪の少年を見る。

 彼はエルカよりほんの少しだけ背が高い男の子だ。だけど、お酒も飲めると言っていたので、これでも二十歳以上なのだろう。人を見た目で判断してはいけない。


「こ、ここは何処ですか?」

 エルカが家族以外の男の子と会話するのは久しぶりだった。

 初対面の男の子に、こんな至近距離で。しかも、見た目は子供の成人男性。大人の男の人は、苦手だった。

 それに気付いた途端に緊張がひた走る。 

「知りません!」

 エルカの緊張をよそに彼の返事はドヤ顔で、そして即答だった。

「こいつ」

 ソルが拳を握りしめる。

 エルカも拳を握って殴りたい気持ちだった。

 だけど、今はダメだ。

 情報を持っている彼を殴ってはいけない。

「ソル、喧嘩はダメ」

 今にも殴りかかりそうなソルの腕をエルカは必死に抑えていた。

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