第11章 友の頁(2)

 ルイは何かを言いかけていた。

 だけど、あの場にいることが苦しくて、エルカは勢い余って教室を飛び出してしまった。


 実は飛び出した直後に後悔もしていたのだ。

 彼の言葉の続きが気になる。

 しかし、このタイミングでは二度と教室には戻れない。

 言葉の続きを聞くことは不可能な状況に陥ってしまった。


 廊下に立ち尽くしたまま、教室の扉を静かに見ていた。


 固い扉を挟んだこちらと、教室の中は別の世界となってしまった。その扉を閉めたのは自分自身だ。


 この扉の向こうには、


 もう、戻れない。

 戻ってはいけない。


 学校に自分の居場所がなくなったことを胸に感じる。


 ルイから逃げて、そのまま学校に通うことを放棄した。


 しばらくしてから彼が転校したことをナイトから教えられた。

 そのとき、胸の奥が晴れたような気がした。

 ルイはきっと、エルカがいる街に居たくないから街を出たのだろう。

 そうに違いない。


 一緒にいたら、彼女たちに目をつけられるのだ。それが嫌で………だから酷い事をして、彼はエルカを切り捨てた。

 

 そう思えば、納得できる。

 仕方がないことだ。

 それで、彼が幸せになれるのなら。


 酷いことをされたのに、それでもエルカは彼の幸せを望んでいた。

 自分の意思で初めて作った友達だから。彼を不幸にはしたくない。


***


 深呼吸をして、彼を見る。

 見間違いではないだろう。

 確かにルイが、目の前にいる。


 半年の間に少しだけ背が伸びたような気がする。元々あった身長差が更に広がったようだ。それが少しだけ気に入らない。


「ここは……いったい」

「魔法の空間だと思ってくれ」


 目を瞬かせるルイにナイトの声が説明する。この場にいるのは、エルカとルイの二人だけではなかったらしい。


「兄さん! どういうこと?」

 エルカの視線は、その姿を探していた。おそらくルイがここにいる原因は彼にある。エルカの側にいつでも現れる兄は、少し離れた場所で不敵な笑みを浮かべた。

「………」


 兄は笑うだけで、答えるつもりはないらしい。

 答えなくてもエルカには予想は出来た。


「彼がここにいるって事は……」


 そもそも、この図書棺に普通の人間は足を踏み入れることは出来ない。

 その名の通り棺なのだから。

 生と死に限りなく近い絶壁に立つ魂。それらが辿り着く場所。エルカだけじゃなく、ナイトやソルの肉体も生死の狭間にあるはず。先ほど追い返したから、ソルは大丈夫だろう。そうだと信じている。


「ルイのことは仮死状態にさせた」

「仮死状態に……ですって?」


 きっぱりと言う兄を睨みつけるが、その表情は変わらない。

 飄々とした笑顔を向けるだけ。

 何を言っているのだろう。グルグル回る思考を抑えて、エルカは目を瞬かせる。


「オレが一発殴って、仮死状態になる薬を飲ませた」

「それって、殴る必要はあったのかな? 仮死状態にするだけなら薬を飲ませるだけで良いじゃない」


 仮死状態にすることが目的ならば、その過程は必要ないはず。そんな薬をどこから用意したのかも気になるところだが、考えないことにする。


「オレの気持ちがそうしろと言っていた。事情はあるだろうが、お前を泣かせたのはこいつだからな。保護者として殴らなきゃ気が済まなかった」

「だからって……」


「大丈夫だよ」


 静かに口を開いたのは、殴られて薬を飲まされた当人だった。

 目の前にいる彼は無傷だ。けれど、現実世界の彼は酷い怪我をしているはずだ。ナイトは手加減をすることが苦手だから。


 ソルのように喧嘩慣れしている成人男性ですら彼に殴られれば痛がるのだ。

 ナイトはソルの5倍は強い。


 ルイは喧嘩なんてしたことがないような男の子。暴力なんて大嫌いな人。ソルやナイトのように事あるごとに拳を振り上げるような人じゃない。そんな人が、この兄の拳を受けたのかと思うとゾッとする。


 きっと、酷く痛い思いをしただろう。


「………殴られる覚悟はしていました。想像よりも痛かったですが」

「思いっきり殴ったから当然だ。ここは棺。健康的な人間の魂は入ることが出来ない。ああ、オレは例外だけどな。エルカの祖父の魔法のお蔭でエルカの側に行くことが出来る。それが地獄であろうとも………な」


 エルカは初めて祖父を恨めしく思った。祖父の魔法のお蔭で、この過保護な兄はストーカー並についてくるというのだから。きっと、この先も。


「………まさか、ソルのことも殴ったの?」

「いや、ソルは一度【死の淵】に立たされていただろ? お前は無傷だけど、あいつは怪我も火傷もしていた」

「そうだったんだ」


 ソルに助け出された時、彼の手が傷だらけだったのを思い出した。燃え上がる炎の中に彼は飛び込んだのだから火傷はするだろう。無茶なことをしてくれる兄だ。


「ソルのことはコレットさんの魔法で【死の淵】に戻した」

「……コレットも何を考えているのよ。そんな危険なことを」

「そうなのか?」

「その魔法が失敗してソルが死んでしまったら……禁忌を犯した罰が下されるからね」


 禁忌。

 それは、魔法使いの掟。

 魔法使いは魔法で人間を殺すことも生かすことも禁じられていた。


 死の淵に戻すということ。

 それは、一歩間違えれば死んでしまうかもしれない……という状態に戻すこと。そのままソルの体力が尽きれば、コレットにも罰が下される。


 魔法で人間を殺害したとして重い罰を受ける。その罰がどんなものかはエルカは知らない。祖父から聞いた話では、酷く苦しみながら命が尽きるのだとか。


「あの人の場合、失敗なんてしないだろ」


 ナイトは呆れ顔でそう言った。

 エルカの母コレットは才能ある魔法使いだったらしい。写真で見るのが殆どで、多分会ったのは片手で数える程度。何を考えているのか分からない人だった気がする。


 祖父からの評価も高かった彼女が魔法を失敗するなんてことはないだろう。失敗する可能性があるのなら、最初から魔法は使わない。危ない橋を渡るほど愚かではないはずだ。


「そうだね。でも、ソルのこと殴ってなくて良かった。ソルって軟弱だから」

「さすがに瀕死の重傷を負っていた奴は殴れないだろ。オレが殴ったら本当の意味で棺に入ってしまう」

「そうだよね。冗談でもやめてね」

「ああ」


「だけど、これは理解はできない」


 エルカの視線はルイに向けられた。

 ジッと、彼の瞳を睨みつける。


「………」

「ルイくんは何を考えているの?」

「え?」

 まさか、怒られるとは思わなかったのだろう。

 ルイは目を丸くしてエルカを見つめた。

「もしかするとそのまま死んでしまうかもしれないのに」

「大丈夫だよ。その辺りの説明は受けているから。僕は、それに承諾した」

 淡々とした口調でルイは応える。

 エルカは、そんな彼の行動が信じられない。


「………何で?」


 何の為に、そんなことをするのだろうか。


「話をするためだよ」

「………………」

 ルイの視線は真っ直ぐ、エルカの瞳を捕らえた。

「ここに来ないと君と話せないって言われたから」

「……仮死状態になってまで?……信じられない」

「仮死状態だ。死んでいるわけじゃないんだ。問題ない」

「……私たちの間に話す事なんてないよ。そこまでして貰って申し訳ないけれど、帰って。ルイくんに帰る意思があれば帰れるから」

「僕にはあるんだ。エルカと話さないといけないことが」

「わ、私にはない………っ」


 逃げるようにエルカが背を向けると、今度は目の前にナイトが立ち塞がる。上目遣いに見上げれば、冷めた視線を向けられた。


「………」

「………」

 こういう視線は苦手だった。

 宣言通りに、ナイトはエルカが嫌がることをしてくるらしい。

「言ったよな。オレはお前を傷つけるって」

「それが、ルイくんだって言うの?」

「ああ」

「ルイくんを連れて来ることが、どうして私を傷つけることになるのかな?」

「お前さ……」

「?」


「いい加減、逃げるのはやめにするんだ」


「………に、逃げてなんかいないよ」


 ナイトの言う通りだった。

 エルカは今もルイから逃げているのだ。

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