第11章 友の頁(1)

 エルカが図書棺に来た経緯と図書棺に留まりたい理由は別にあった。


 留まりたい理由は、

 それは修復不可能の友との絆……



***



「戻りたくない理由は……これだろ」


 ナイトが一冊のノートを前に差し出す。

 エルカはそれを凝視しながら受け取った。


「これは…………」

 見覚えがあるものだった。紙をまとめて糸で縫い合わせた手作りのノート。

 これは、誰にも触れられないように、祖父の机の引き出しの中に大切に閉まっておいた。それがどうしてナイトの手の中にあるのだろうかと首を傾げる。

「お前が不登校になってから、誰かが届けたものだな」

 エルカが引き篭もるようになったのは、不登校になってすぐのこと。兄二人以外、誰とも顔を合わせないように生活していた。

 その頃に、クラスメイトを名乗るが訪ねて来たことは知っていた。その誰かがノートを届けてくれたことも知っている。このノートは数冊あったはず、これは、その中の一つだろう。


「お前は本は読んでも、勉強することは苦手だからな。あいつはお前のそういう所も知っているからこれを作成して届けたんだろう」

 ノートの中身は教本の内容をまとめたもの。エルカは勉強が嫌いだった。やる気のない教師が読み上げる言葉を聞いていても楽しくなかった。勉強をしたところで良い事があるとは思えない。


 エルカが学校に通っていた理由は図書室の本を読むため。

 地下書庫にある本は古い本ばかりだった。

 面白いけれど、物足りなさがある。最近の本は学校の図書室か、街外れの図書館に行かなければ読めなかった。


「こんなもの要らないと言いながら、受け取っていたお前は……これを読んでいただろ?」

「読みやすいから……だから読んでいただけ」

 ノートには教本の内容が簡潔にまとめられていた。読みやすいし、分かりやすい。だから、読んでいた。それ以外に理由なんてあるはずがない。


「………これが、お前を連れ出す為に必要な道具だ」

「……道具?」


 ナイトの目が不敵な色を浮かべたような気がした。このノートにどんな力があるのだろうか。


「悪いな………これもお前の為なんだ」

「………」


 なぜ、謝罪するのだろうか。

 これから、何が起こるのだろうか。

 戸惑うエルカを差し置いて、ナイトが続ける。


「さて、お前をここから連れ出す為に必要な道具。このノートともうひとつは……こいつだな」


 パチンとナイトが指を鳴らす。


 周囲の空間がグニャリと歪むと、天井に黒い影のようなものが現れた。そこから人間の足が生える。


「…………え?」


 ドスン


 黒く歪んだ空間から何かが落ちて来た。

 何か、重いものが落ちたような音。

 否、ものではない。

 落ちて来たのは人間だった。


 その姿を見て、エルカは啞然とする。


 黒髪の男の子。

 彼は腰を強く打ったらしく押さえながら身を起こす。その少年は目を瞬かせて、周囲を見渡し、そしてエルカと目が合うと大きく見開いた。

 驚きと戸惑いが、その表情から感じられる。

 奇遇にも、エルカも同じような表情をしていた。


 懐かしい人だった。

 

 一番会いたくて、一番会いたくなかった相手。


 彼はエルカが学校に通っていた頃の唯一の友達と呼べた存在だった。


(……ルイくん……?)


 その名前を心の中で呟く。

 それは、忘れていた記憶。

 忘れていたかった記憶。

 考えなかった記憶が蘇る。


 思い出したくないのに、記憶が開けられた。



***



 それは、教室内で起きた小さな事件。


 教室の中央で向き合う少年と少女がいた。

 二人を取り囲むように立つ、クラスメイトたち。

 被害者であるエルカと、加害者のルイ。

 どちらも顔を青くしていた。


「教室に居たのはルイだけでしょ。だから犯人はルイよ」


 教室で起きた事件。

 机の中に閉まっていたエルカの本がなくなった。

 その犯人が、ルイだと告げられる。

 女子生徒がそう宣言する。

 探偵のように左手を腰に当てて、右手の人差し指をルイに突き付けた。


 彼女はこのクラスのリーダー的存在だ。常に女王様のように振る舞っている。このクラスでは彼女が白と言えば白、黒と言えば黒になるのだ。


「そうでしょ!」


 彼女は、周囲の生徒たちに同意を求める視線を向ける。

 彼らは小さく頷いた。

 頷く以外の動作を彼らは許されていないように何度も何度も頷く。

 群衆の反応に彼女は満足そうに頷いた。

 全員の視線がルイに向けられる。責めるような、哀れむような、蔑むような視線が彼に注がれる。


 エルカはギャラリーの反応なんて、興味がなかった。

 目の前の彼の口から答えが欲しかった。

 だから、彼だけを見ていた。


「え………」


 ルイが、目を見開く。

 犯行時刻は掃除の時間。

 その時間、教室の花瓶の水を取り替えていたのはルイだ。

 教室の中にいたのはルイだけ。


「だから、ルイが盗ったんでしょ」

「まてよ……」


 ルイは何かを言い返そうとした。

 だけど、その言葉は遮られた。


「ルイくんが盗ったの?」

 エルカが暗い声で呟くと、ルイの表情は青ざめる。


「あ……う……」

 無言になる二人を交互に見た彼女は、今度はエルカに視線を向けて微笑む。


「それとも、あんたの自作自演?」

「……え?」


 妖艶に彼女は嗤う。

 さっきまでルイに向けられた視線が一斉にエルカに向けられた。


「被害妄想じゃないの?」


 みんなの刺すような視線が痛い。

 同じ顔で、同じ表情で、同じ方向を向いている。


「……っ」

「時間の無駄になるから、そういうの止めてくれる?」

「ちがう……本当になくなって」

「なくなった証拠もないでしょ」


 無数の視線がこちらに向けられる。


 息苦しい。

 早く、今すぐ、ここから離れたい。

 足がすくんでしまう。


「それはそうだけど……」


 ここは嘘だけど、「自作自演だ」と言って肯定して逃げた方が楽かもしれない。エルカは考える。そうだ、肯定して逃げてしまえばいい。

 そう焦っているとルイが呟いた。


「………僕だよ」


 震える声でルイは言う。

 エルカが否定して欲しかった声で、肯定する。


「……どうして……」

「えっと……その本を失くしたら、どんな顔……をするのかな……って」


 ルイはエルカと目を合わせないまま言葉を吐き出す。

 生徒たちの視線がルイに向けられると、エルカは呼吸が楽になったような気がした。


「……」

「………僕がやった」

「ルイくんが……?」

「あ、ああ」

「それで、本はどこにあるの?」

「え………ちょっと手違いがあったんだ。それで、あ……えっと……そうだ……窓から落ちて、学校の隣の森に………」

「森に……」

「………ゴメン………ごめんなさい」

「……っ……酷いよ、大事なものだって言ったのに、酷い」

「…………だから、待ってい……」


 ルイが何かを言いかけた。

 だけど、エルカは聞きたくなかった。

 目を閉ざしたかった。

 耳を塞ぎたかった。

 早く、こんな場所から離れたかった。


「ルイくんの言葉が信じられない。もう知らないよ、ルイくんなんか」

「…………っ」


 そして、エルカは教室を飛び出した。

 その瞬間、ルイは友達ではなくなった。


***

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