第3部 二人の図書棺

間章 ー始動ー

 黒髪の少年は慎重に病室の扉を開いた。


 呼び出しを受けて急いで病院に駆け付けた。

 物好きな新聞記者たちを避けて隠し通路から中に入って、ここに来るまでは早歩きで辿り着いた。


 病室の扉を前にしてから緊張が一気に押し寄せる。

 ゆっくりと、扉を開いて中の様子を確認。

 視線を左右に動かすと、見覚えのある顏があったので頭を下げた。

 コレットとナイトの姿を見て、最後にもう一人と目が合うと頭を下げる。


「このガキって?」


 パイプ椅子に座りながら差し入れのプリンを頬張っていたソルが目を瞬かせる。見知らぬ少年の登場に疑問符を浮かべていたのでコレットが教えてくれた。

「あの子の友達よ」

「はじめまして。ルイと申します」

 ルイは丁寧に頭を下げた。

 顔が強張っているのは、ソルに関する噂の所為だろう。

 乱暴者だとか、暴れ馬だとか、不良だとか。世間で語られる彼のイメージを頭に浮かべながらルイはソルを見ている。

「あ、ああ……こちらこそ」

 ソルも緊張していた。

 裏返った声で、背筋を伸ばして、斜め45度に頭を下げる。その仕草に、ルイは驚いた様子で目を見開いた。

「貴方はもう一人のお兄さんですか?」

 エルカに兄がもう一人いることをルイは知っていた。

 彼女はあまり家族のことは話したがらなかった。

 周囲の噂でしか知らない相手。ルイの聞いている彼に関する情報は悪い噂ばかりだ。正直なところ目が合った途端に殴られるぐらいの覚悟はしていたのだが。

「あ? そ、そうだ……もう一人のお兄さんだ」

 その乱暴な兄は、殴られる直前みたいな、怯えたような視線を向けてくる。


 ソルもエルカに友人がいたことは知っていた。

 どんな相手かは知らなかった。性別が男だということも初めて知ったこと。

 エルカは学校生活については一切語らなかった。

 これはソルに対してだけではない。懐いていたナイトに対しても同じ。学校生活に干渉することを拒んでいた。


「……う」


 ソルは少しずつ顔が紅潮していく。

 慣れないことを言ってしまったからだろう。

 誰かに、彼女の兄だと名乗ったことがなかったのだ。

 出会って十年たつが、初めて自分が彼女の兄なのだと自覚していた。


 今までは同居人であり。新しい父親の娘である認識しかなかったはず。

 妹って何なんだろう、兄とはどういうものだろう。ナイトがいるのだから、自分は弟でもあるわけで。どうすれば良いのだろうか。


 ナイトとエルカは幼い頃から、ソルと兄弟になろうと必死だったが思えばソルは何もしていなかった。

 だから、どうすれば良いのかわからなかった。

 様々な疑問が脳裏を横切る。


「兄の……」

「初めて聞いたわ」


 ソルの成長にコレットとナイトが微笑んだ。

 こうして、言葉にして彼女の兄だと認めた。それは、彼の成長だ。二人は控えめに拍手をする。


 ルイだけが、何が起きているのか分からず首を傾げている。

 そして、ソルの緊張は限界に達していた。


「俺も初めて言った。どうしよう、恥ずかしいぞ!

うわぁぁぁぁぁ‼」


 頭を抱えて病室を走り回る。

 そんなソルをコレットが取り押さえた。一瞬の出来事に、ルイとナイトは目を丸くする。

 いつの間にか、ソルの身体はコレットに羽交い絞めにされていた。華奢な身体のどこにそんな力があるのだろうか。


「怪我人が走らないの!」

「………っ」


 コレットが力を緩めると、ソルはその場にうずくまる。

 まだ、頭を抱えたままのソルは小声で「言ってしまった、言ってしまった」と繰り返している。壊れた機械のような彼はコレットに引きずられながら隣の部屋に連れていかれた。


 ナイトはそんなソルを横目で睨んでからルイを見た。


「ソルのことは気にするな。見ての通りだが少し変わっている奴でな」

「………乱暴者って噂はありましたが?」

「噂は噂だろ?」


 噂は噂。

 ルイは小さく頷く。


「そうですね。どう見ても乱暴者には見えません。すみませんでした」

 頭を下げるルイの姿にナイトは苦笑する。

 ソルが乱暴者である噂は真実だった。暴れて路地裏のものを壊したことだって何度もある。店先の看板を壊して、ナイトが謝罪に行ったこともあった。


 知らないのなら、教える必要はないだろう。

 それは、過去の彼の姿。

 きっと、これからのソルは乱暴者ではないだろうから。

 ルイの前ではエルカの情けない兄として君臨すれば良い。


「ま、悪い奴ではないからさ」

「はい」

「驚かせて、ごめんなさいね」


 いつの間にか、隣にコレットが笑顔で立っていた。

 隣の部屋に、タオルでグルグル巻きにされたソルの姿が見えた気がするが。見なかったことにする。


「ソルさんは……大丈夫なのですか?」

「大丈夫だろ」

「ルイ、あの本は持っているわね」

「……は、はい」


 コレットに声をかけられたルイの背筋がスッと伸びた。


***


 ルイの持っている本。それはエルカを連れ戻すのに必要なものだった。

 他の誰でもないルイの手でエルカに渡さなければならないもの。

 

 これは、二人の約束の本。


 これを渡すことで本当に連れ戻せるのかは分からない。

 視線を感じて顔を上げると、無表情なナイトの視線と合った。


「あいつは、少し面倒な場所にいる。悪いけど、その本を届けてはくれないか?」

「何処にだって行きますよ。その為に来たのですから」


 ここで逃げたら、もう約束は果たせないような気がしたから。


 ルイは逃げない。


「ああ……そうだったな」

 ルイの力強い視線に頷く。

 こんな、真っ直ぐで純粋な視線はナイトには出来ないものだった。

 少しだけ嫉妬してしまう気持ちを隠して、口端を上げて笑う。

「そこに行く前に、説明することがあるんだ」

「………はい」

 ルイは眉根を寄せた。

 ナイトから漂うただならぬ気配に反射的に一歩後退していた。

「少し複雑な話だから座ってくれ」

「はい」

 逃げてはダメだ、前に進まなければ。

 気持ちがルイの背中を押す。


「あと、ごめんな。先に謝っておくよ」


 そう言って、ナイトは不敵な笑みを浮かべた。

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