第10章 兄妹の結末(7)

 ナイトの視線は、エルカの双眸を見つめていた。


 目つきが悪いことがコンプレックスで、だから仕事中はサングラスをしていて、だけど、それが余計に怖がられているってことをナイトは知らない。

 確かに、目つきは悪いとは思うけどエルカは怖いとは思えなかった。

 エルカにとって、彼の目は愛情に満ちた優しい瞳なのだから。


「オレの人生はお前と出会ったところから始まったんだ。それまでのオレは生きているかもわからない存在だった。目の前のお前を見た時に誓った。何があってもこの子を幸せにするって。その為になら、何でもする。オレの人生なんて、どうでもいい」


「……………それで、幸せなの?」


 自分の人生を犠牲にしてでも、他の誰かを幸せにするという行為が。


「幸せだよ。ただの奴隷が、女の子を護る騎士になれたんだからさ。売れ残りだったから、数日後には処分されていたかもしれない身だ」

「………」


 奴隷たちがどんな気持ちで生きていたのか、エルカには想像もできない。きっと、過酷で苦しかったのだろう。


 ナイトの手がエルカの手を掴む。

 ずっと、そうだった。


 ソルが来る前もずっと、いつもこの手を握ってくれたのは……この人だった。怖いことがあっても安心で出来た暖かな温もり。


「変わらないな」

「え?」


「オレが握ると、お前って力一杯に握り返すだろ」

「あー……」


 離すまいと無意識に力が込められてしまう。この人に見捨てられたくないと思っていた。少しだけ気恥ずかしさが込み上がって視線を反らす。

 どうやら、ナイトは握った手を離してはくれないみたいで、手は握られたまま。


「だから、過保護になりすぎるんだよな……オレって………」

 大きなため息が吐き出された。


「そんなことないよ………いや、そんなことあるか」

 さすがにそればかりはエルカも否定できなかった。ナイトのエルカに対する過保護は病的なものがある。


「これからもオレはお前の兄貴だから。オレさ、お前の兄貴じゃないと……この先、生きられなくなったみたいでさ……爺さんに誓ったからかもしれない。オレの命はお前のもの……お前の存在がオレの生きる理由なんだよ。爺さんから名前を貰った時から、そうだった」


「……………そんなの、重すぎるよ」

「ああ、わざと重くしている」


 そういうところは、意地悪だと思う。ムッとして睨みつけると、飄々とした笑みを返された。だけど、すぐに表情が引き締められる。


「出来れば、あの時……本の世界に留まっていて欲しかった。物語を完結させないで欲しかった。終わらせれば、嫌なことを思い出してしまうから」


 ナイトの眼差しは痛いぐらいに鋭い。


「それに、お前はたった一人で引き篭もって読書していたいのだろうが、一人ではいずれ寂しくなる」

「そんなことはないよ」


 ずっと地下に篭っていたのだ。寂しいはずがない。エルカはそう思っているのに、身体が震え出す。孤独を想像したら不安になってきたのだ。寂しくないのに、震えが止まらない。


 そんなエルカの心を見透かしたようにナイトが笑う。


「そんな、寂しい思いはさせたくない。だから、嫌なことを忘れた状態で本の中に残れば良かったんだ。オレも本の世界に残れば一人ではない。寂しいことは何もない」


「私は、それが嫌だったの。私の我儘の所為で、兄さんにまで迷惑をかけたくなかった。あんな狂った場所に、兄さんまで居たらダメなの」


「迷惑って何だよ‼ お前がいなくなる方が大迷惑だよ‼ お前はオレを狂わせるつもりか?」


 ナイトはそう言って抱きしめてくれた。いつものように、熱い、熱すぎる思いで包み込んでくれる。ソルのように乱暴じゃないけど、ソルよりも強い力で。

 

 そして、抱き寄せたままエルカの目を睨む。

 馬鹿なことを言い出す義妹を説教する義兄の瞳、目を反らして逃げることを許さない強い視線。この視線が嫌いではなかった。

 この眼差しがエルカをいさめてくれる。

 だから、つい我儘を言って甘てしまうのだ。


「私……思ったの。この偽りの兄妹関係がいつかは終わるだろうって」

「そんなことは……」


「お爺様もそう思っていたから、私に貴方の過去を教えてくれたんだよ」

「………っ」


「その………貴方にも、愛する女性と結ばれる未来が必要だって。その時には、私は兄離れをしなければいけないって」

「そうだったのか。余計なお世話だな………」


 ナイトは苦笑しながら、エルカの身体を解放してくれた。エルカと祖父はナイトの将来について本気で危惧していた。


「私は兄離れはしたいのだけど……」

「言っておくが、お前を嫁に出すまでは、恋愛なんてしないよ」


「その重すぎる愛情は受け取っておくよ」

「嫌と言っても押し付ける」

「貴方の愛情は受け取ったよ。だから、兄さんは先に帰って」


 エルカは満面の笑みでナイトを見上げる。

 対するナイトは冷めた目でエルカを見下ろした。


「それじゃ、ダメなんだよ。オレは、お前をここから連れ出さなければならない。オレが先に帰ったとする。そうなったら、お前は二度と帰ってこない。そうだろ? お前に帰る意思はないんだからさ」


 再び、エルカとナイトは睨み合う姿勢になる。

「それは、私の望みではない。私は読書をして引篭もれる、ここが良いの」

「本さえ読めれば何処でも良いのなら、現実世界でも問題ないだろ?」


「そう、だけど。別に死を選んだわけじゃないんだよ。私は生きている。今まで通りに兄さんが好きなようにすればいい」


「ずっと目覚めないのは、死んだようなものだろ‼」


 ナイトの視線が迫る。


「オレはこれまでお前が嫌がることはやらなかった」

「うん」


 だからエルカは彼の優しさに甘え続けることが出来た。


「オレは今からお前が嫌がることをする」

「え?」


 そんなことを言われる日が来るとは思わなかった。

 ナイトが意地の悪い笑みを浮かべた。

 

 嫌がること。

 それが何なのか、エルカには予測できない。


「お前が現実に戻りたくない理由は分かっているよ。そいつは………オレやソルには、どうすることも出来ない理由だ」


「………だったら、放っておいて」


「放ってはおけない。だから、お前の為に、お前を傷つける」




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